大学卒業後、一貫して耳の聞こえない人たちと社会をつなぐため、手話でサポートを行ってきた森本行雄さん。前編では耳の聞こえない人たちにとっての手話の大切さや、その歴史についてお話をうかがった。後編となる今回は、手話が生まれる背景となった、「音のない世界での意思伝達」についてお話をうかがいたい。
手話は「言語」であるということ
お話をうかがう中で、耳が聞こえない世界を知らない者には、「?」となる言葉を森本さんから聞いた。
「手話は、“言語”なんですよ。日本語とは異なるんです」
手話が言語、というところがよく分からない。調べてみると、法的には平成18(2006)年に国連総会で採択された「障害者権利条約」に「手話は言語である」と制定され、日本でも平成26年にこの条約を批准しているようだ。
手話は万国共通ではなく、各国でそれぞれ異なっている。
「手話は、まったく音のない世界で人に何かを伝えようとしたとき、自然発生的に生まれたものです。そのため国それぞれの文化がベースとなっています。たとえば、日本で“すごい”という表現は、右手をものを掴むように曲げて、顔の横でひねるようにします。これは『四谷怪談』のお岩さんの目が腫れている様子を“すごい”としたと言われていますが、外国のろう者には分からないですよね」
という話を聞くと、やはり手話は「日本語の単語や文章を手の形で示す表現」と思ってしまう。しかし、手話は音声言語の日本語とは異なる独自の文法を持つ言語。ただ、日本語の文法に即した手話を使う人もいる。それは、生まれたときから耳が聞こえない人、中途失聴した人、口話を使っていたが、成人してから手話を習得した人、難聴でまったく聞こえないわけではない人など、それぞれの環境の中で、自分に合った手話を習得し用いるからだ。
「日本語の文法に即した手話」と「独自の文法を持つ手話」とが共通しているのは「目で見る言語」であるということ。「伝えよう」としたときの発想そのものが、音のない世界から生まれたものであること。
広辞苑第七版で「手話」の意味を引いてみると「手の形・動き・位置などによって意味を伝える言語。非手指動作と呼ばれる顔の表情やあごの動きなどが文法的機能を持つ」と載っている。つまり、手話とは手の動きだけで情報を伝えているのではない。スピードや手の位置、表情、アイコンタクトまでも含んだ言語表現なのである。そこが、日本語とは違う文法を持ち、手話が独立した言語といわれる所以なのである。
実際に音が聞こえない世界を体験してみると
音が聞こえる人にはこの「成り立ち」がなかなか想像できないが、音が聞こえない世界でのコミュニケーションを体感できる催しがある。ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」(以下、対話の森)で期間限定で開催される『ダイアログ・イン・サイレンス』というソーシャルエンターテイメントだ。森本さんは監修として関わり、S I(サイレンス・インタープリター*)としても活動している。
対話の森では、すでに日本での開催が24年という歴史を持つ「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のほか、70歳以上の高齢者がアテンドとなり、歳を重ねることから生き方を考え、対話する「ダイアログ・ウィズ・タイム」の3つのプログラムが開催されている。
平成29年に初めて日本で行われた「ダイアログ・イン・サイレンス」は、入場時に音を遮断するヘッドセットを装着し、数人ずつのチームになって入場する。そして、聴覚障害者のアテンドに案内されながら、いくつかの部屋に入り、それぞれの部屋のテーマに従って、言語(手話や声)を使わないで様々なミッションに挑戦しながらコミュニケーションを深めていく。
*SI(サイレンス・インタープリター)……音のない世界と音のある世界の架け橋となるスタッフのこと。
「手話を知らない方がほとんどですから、身振り手振りボディランゲージや表情で気持ちを伝えあいます。そして最後に、経験したことを対話します。私はその時にSIとして登場し、簡単な手話を交えつつ、みんなの対話をサポートしていきます。
対話のときは声を使ってもいいんですけど、それまで約60分間、話をしないで気持ちを伝える経験をしているから、みなさん、引き続き声を使わずに対話することが多いですね」
このとき、参加者の顔つきは入場前とまったく異なっているのだそうだ。
「初対面同士がチームを組むこともあるので、最初は不安げで、居心地悪そうに『別の世界に来てしまった』というような表情をしている方が多いです。ちょっと恥ずかしそうな、ためらいがちな方もいます。しかし、最後は『言葉がなくてもこんなに気持ちを伝えられるんだ!』という自信に満ちた顔になるんですよ!」
そういって森本さんは微笑む。音がない世界で伝えたい、伝えよう、伝わった!という経験は、まさに手話が生まれる過程の体験、日本語とは文法が違うという意味も実感できるのではないだろうか。
もっともっと理解者を増やしたい
コロナ禍を経て、令和3(2021)年には東京パラリンピックが開催され、障がいを持つ人々への理解は少しずつ広がってはいる。病院や銀行、役所、駅などでは、聞こえが不自由なことを表すと同時に、聞こえない人・聞こえにくい人への配慮を表す「耳マーク」の掲示も見かけるようになり、そういった人のサポートを行う施設も増えてきている。そして、令和7年には東京でデフリンピック(※注1)の開催も決定していて、ろう者への理解はまた深まり広がっていくだろう。
それでもまだ、耳が聞こえる人と同じ情報を、聞こえない人が完全に得られる社会とは言い難い。
「私はこれからも、さまざまな形で理解者を増やしていきたいと考えています。聞こえない人のこと、手話のことなどを、一人でも多くのまだ知らない方々に伝えていきたいです。
國學院大學は福祉系の大学ではないので、講義が終わった後も手話を使い続けてくれるだろうか?という懸念もありましたが、授業を契機に手話通訳を始め、補聴器のメーカーに入った学生や、社会福祉士の資格を取得して、役所の福祉部門や聴覚障害者情報提供施設に就職した学生もいるんですよ。とてもうれしいことです。伝えることについての責任も感じますが、これからも心を込めて授業を行っていきたいですね」
森本さんの撒いた種は、世の中で少しずつ花を咲かせ始めている。森本さんの話を聞いた私たち一人ひとりがしっかりメッセージを受け取り、行動することでもっと世界は変わっていくのではないだろうか。
※注1 デフリンピックとは、国際的な「ろう者のためのオリンピック」。デフ(Deaf)は耳が聞こえないという意味。4年に1度夏季大会と冬季大会がそれぞれ開催される。「東京2025デフリンピック大会」は日本初開催、かつデフリンピック100周年目の大会となる。
プロフィール
森本行雄(もりもと・ゆきお)
大学卒業後、ろう学校、盲学校、国立障害者リハビリテーションセンター、聴力障害者情報文化センターに勤務。手話サークル、全国手話通訳問題研究会などで手話通訳活動を行う。厚生労働大臣公認手話通訳士。國學院大學非常勤講師。一般社団法人Get in touch理事、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム対話の森の「ダイアログ・イン・サイレンス」監修者、SIチーフ。舞台やテレビなどエンターテイメントの場から、式典や講座など幅広い分野で手話通訳を行っている。
取材・文:有川美紀子 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學