本や雑誌、WEB記事などが世に出ていく前に、著者の書いた文章を整える。誤字はもちろん、事実関係や文章表現に至るまであまねく目を凝らす――。昨今の辞書ブームや校正・校閲ブームのおかげで、校正の仕事は広く知られるようになった。しかしこの世界の第一人者である大西寿男さんからお話をうかがっていると、校正という仕事はその作業によって、哲学的な境地にまで到達することがあると気づかされる。それはいったいなぜなのか? 大西さんの言葉を追いながら、校正という作業から見えてくるものを、前後編でお届けしたい。
校正は「言葉の肉声」を聞くことから始まる
校正と聞くと、多くの人は「間違いを探して正す作業」と思うかもしれない。それは校正の仕事のほんの一部分。ときには文章の前後や全体を何度も読み返しながら、著者が本当に言いたかったことはこれなのか? と、考えたり、たった1つの表記の確認のために資料を何冊も読んで確認したりすることも含まれる。校正者はみな、言葉と向き合い真剣勝負をしている。中でも大西さんの校正は、芥川賞作家に「書き方に影響を与えるほどのものを受け取った」と言わしめるほどのクオリティなのだ。
大西さんはゲラ(校正刷)には肉声があり、それを聞くことで、見えてくるものがあるのだと言う。
ゲラを手にして、読者でも編集者でもなく、ただフラットに文字と向き合う校正者の目線で文字を追っていく。集中し、深く作品世界に入り込んでいくと、ゲラから肉声が聞こえてくる。
「声といっても具体的な誰かの声ではありません。この感覚を説明するのはとても難しいのですが、音声として聞こえるのではなく、自分の内側に直接届く、いわば(ちょっと怪しく聞こえるかもしれませんが)テレパシーみたいな声なんです。
そこには、自分とゲラの声しかありません。すると、ところどころそのゲラが持つテンポや調子、流れが乱れるところがある。ノイズがある。なにか引っかかる。この違和感はなんなのか、確かめるために何度も読み返すことはもちろん、時には辞書で調べたり、いろんな資料を見直したりしているうちに、違和感の正体が見えてきます」
たとえばそれは、「ここは漢字じゃないほうがいいのでは」「意味が反対なのでは」「言葉遣いがここだけ違うのでは」という風に姿を表してくる。
顕著な例を見てみよう。令和5(2023)年1月、大西さんが出演したNHK総合テレビジョンの『プロフェッショナル 仕事の流儀〜縁の下の幸福論』で、大西さんはある小説の一文に鉛筆で(訂正するときは赤ペンを用いるが、疑問や確認、提案を入れるときは鉛筆を使う)「ここはない方がいいかもしれません」と記した。著者からすれば、思いを込めて綴った一文について疑問を呈されたわけだ。一読者としてその小説の該当部分を読んでみると、なければ確かにスッキリしたように感じるが、あってもいいのかも、とも思える一文だ。なぜ、「ない方がいいかもしれません」と考えたのだろうか。
「作家というのは思いがあふれ、そのすべてを書き表したいと思うものです。だから、つい書き過ぎてしまうこともある。僕が提案を書いた一文は、読者が言葉の力に導かれて想像を広げ、感じようとしているところに、著者がポンっと『ここはこういうことなんですよ』と答えを言ってしまっているように思えた。それは、もったいないと思ったんです」
その指摘に対して著者は「確かにそうかもしれない」と受け止め、削除することになった。著者は指摘に対して「言い過ぎないことが大切。大西さんの校正は、原稿が直るだけではなく、自分の書き方にも影響している」と語っている。
著者や編集者、読者に忖度するのではなく、大西さんが向き合うのはそこにある言葉。いかにすればこの言葉のいのちが全うできるか、言葉自身がいちばん伝えたかったことは何か、ひたすらそれだけを追求する。ある意味、著者と校正者の真剣勝負、剣を交えるようなやりとりである。
本ができあがるまでの間には、このように読者には知るべくもない人々の力が関わっている。それは著者と校正者だけではない。
「一冊の本を作り上げるために、著者、編集者、デザイナー、校正者、印刷関係、製本関係の人々、出版社の営業部などがチームとなって本を世の中に送り出します。多くの人の手が関わり、心配りをし、時間やエネルギーを費やして作られているということは、やはり大切にしたいし忘れたくないですね」
そう大西さんが話すのは、現代ではデジタル化が進んだことや、出版業界を取り巻く環境が変化し、以前よりもじっくり時間をかけて本を作ることができにくくなっているからだ。
そしてその変化は、読み手の方にも起きている。
「現代は、仕事でも余暇でも“タイパ(タイムパフォーマンス)”といって短時間でいかにたくさんの情報を得られるかが重視されています。それも大切ですが、ぜひ一度、一冊の本、いやもっと短い文章でもいいので、情報を得るだけではなく言葉の響きやリズム、言い回しや文字から受ける印象などをゆっくり味わって自分の中に入れていく、そういう読み方をしてみてほしいですね。誰かの言葉を味わうことは、言葉を大切にすることです」
誰もが情報発信できる時代だからこそ
誰もが情報発信できる時代であることは喜ばしい反面、発信者以外のチェックなしに、生の言葉、無防備な言葉が無数に生まれ、投げ出されるように人の目に触れるということでもある。言葉が人を癒やしたり励ましたりすることもある一方、ときに暴力となり人を傷つけ、命さえ奪うことにもなる。
そんな状況をどうすればよいのかと考えたとき、大西さんの著書「校正のこころ」(創元社、2021年)に1つのヒントがあった。大西さんは著書の冒頭で、
「〝正しい言葉〟が見えにくく、言葉の伝わりにくさに息苦しさを感じるいま、言葉が満たされ成就することをめざす校正の態度や考え方は、とても有効ではないかと思います。(略)『校正のこころ』はだれもが持つことができる、言葉のコミュニケーションを大切にしたい、私たちみんなのものです」
と記しているのだ。
〝校正のこころ〟を持つことで、人間同士のディスコミュニケーションをも回避できるのだろうか。不用意な言葉を投げ出さず、人も自分も傷つけないように言葉を使うにはどうすればよいのだろうか。後編では、「言葉と人」についてより深く、大西さんにお話をうかがう。
プロフィール
大西寿男(おおにし・としお)
1962年神戸市生まれ。校正者、一人出版社「ぼっと舎」代表。1988年より文芸書、一般書を中心に校正の仕事を始める。岩波書店、集英社、河出書房新書などの外部校正者として数多くの作品の校正に携わり、その仕事は芥川賞作家をはじめ多くの作家、編集者から信頼を寄せられている。現在は出版業界以外の人も対象にした校正のワークショップや講座も数多く開催しており、言葉の寺子屋「かえるの学校」をライターで編集者の渡邉裕之さんとともに主宰。著書に「校正のこころ 積極的受け身のすすめ」(創元社)、「校正のレッスン 活字との対話のために」(出版メディアパル)などがある。2023年1月NHK総合テレビジョン「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演。
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取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學