歴史は古いものとして固定されているのではなく、常に新しい光のもとに論じられるものである。そのように、矢部健太郎・文学部史学科教授は語る。豊臣期の公武関係史を専門とする自身もまた、史料に丹念にあたりながら新説を提唱し、注目を集めてきた研究者である。
終始なごやかな空気に包まれた前後編のインタビューは、歴史を語ることの愉悦に満ちていた。まずは前編、矢部教授が歴史研究の道に踏み入っていく経緯を尋ねた。まったく異なる関心をもっていた矢部少年が歴史に目を向ける、ひとつのきっかけとなったのは、大ヒット作として知られるあの歴史シュミレーション・ゲームだったという。
研究の中心にしているのは、織豊期の政治史や公武関係史です。ただ、このような歴史研究の道に進んでいくことになるとは、かつてはほとんど考えていませんでした。
1984年のロサンゼルス・オリンピックで陸上競技選手カール・ルイスが、伝説となるほど活躍したのを見て以来、中学生の頃は「海外へスポーツ取材に行く、特派員記者のような仕事に就けないかなあ」と思っていたものでした。いまでもプロ野球・広島カープの熱心なファンなのですが、当時からスポーツが好きだったのですね。
ただ、進学した高校で英語の先生との相性が今ひとつで、英語の成績がどんどん下がっていってしまった(笑)。進路をどうしようか、と考えたとき、ふと頭に浮かんだのが日本史のことでした。父親は、高校で社会科の教員として働いた後に大学教員になった人。本学史学科のOBでもあります。私に歴史をやれなどということは特にありませんでしたが、身近な対象ではありました。
加えて、後に大人気シリーズとなるシュミレーション・ゲーム『信長の野望』に出会ったことも大きかったんです。高校時代に部活の先輩の家で、熱中して遊んだことを覚えています。懐かしいですねえ、ゲームのソフトであるパソコンの記憶媒体は“ペラペラ”と表現しても差し支えない薄さの、5インチのフロッピーディスクだったんですよ(笑)。
そんなこともあり、戦国時代をはじめとした歴史について面白く語ることができる社会科の教員になれれば、という思いで、本学の史学科の門を叩いたのでした。そこから徐々に、歴史を研究することそのものへと興味がうつっていった、というわけです。
大学で気づいた、歴史研究の魅力とは何なのか。実は今年の入学式に際しても学生たちに話したことなのですが、「お寿司が好き」ということと「お寿司を握ることができる」ということがまったく異なるように、「歴史が好き」ということと「歴史の論文を書くことができる」ということはまったく違う、ということなんです。
かつて一介の「歴史好き」だった私もまた、大学に入ってから、「歴史の論文を書くことができる」ことの意味を知っていきました。それは言い換えれば、「新たな光を当てて、歴史を論じていくこと」の重要性と表現することもできるでしょう。
信長から歴史の世界に入っていった私ですから、卒論で扱う対象も、信長を希望していました。師事していた先生にそのことを伝えると、「秀吉と公家の関係でもやってみたらどうか」とおっしゃったんですね。そうして誘われ、後に初めての単著『豊臣政権の支配秩序と朝廷』(吉川弘文館、2011年12月)にまとめられることになった研究の世界は、まさに「新たな光を当てて、歴史を論じていくこと」を絶えず考えさせられるものでした。どういうことか、戦後の日本史研究史の一端をダイジェスト的にお話ししてみましょう。
戦後になって、日本の歴史学は徐々に客観性を取り戻していきました。しかし、すべてのジャンルが等しく論じられてきたわけではありません。実は現在に至るまで、研究対象におけるブーム、より直截的にいえば、流行り廃りというものはあるんです。
たとえば学生運動が盛り上がっていた頃は、朝廷や公家社会は権力主体として忌避される向きがあり、在地の農民などに比べてほとんど注目が集まらなかった。逆に、昭和天皇が崩御され「大喪の礼」が行われた後は、古代を起源とする朝廷儀礼に関心が寄せられ、研究が一気に進展していきました。
私が大学院生として過ごした1990年代は、まさにこのように、朝廷へと歴史研究者たちの目が向くようになった時期でした。天皇・公家衆と武家の関係、いわゆる公武関係が熱心に取りざたされるようになったのも、この頃です。
それまで、戦国時代の天皇・朝廷に対するイメージは、はっきりいえば“無力”そのものでした。実体的な権力は失われ、大きな意味合いはもっていなかっただろう、と。しかし、公武関係の研究が進むなか、信長や秀吉も、相当に朝廷のことを意識していたらしいということがわかってきたわけです。そうした先達の方々の議論を見ながら、私もまた、「新たな光を当てて、歴史を論じていく」営みに、取り組んでいくことになったのです。
実はこうした織豊期を再考するような研究の潮流は、先ほど触れた『信長の野望』シリーズにも、少なからぬ影響を与えていると思われます。
初期の『信長の野望』では、ゲームのメイン要素はほぼ合戦に占められていました。つまり、当時の戦国大名たちの日常を主に軍事的な観点からとらえていたわけです。
しかし実際は、毎日のように戦に明け暮れていたわけではありません。平時はむしろ、交渉がメインであるわけです。そこで決裂してしまった場合にはやむを得ず、武力での衝突に至るという側面がある。おそらくはそうした議論を視野にいれるかたちで、『信長の野望』シリーズで「同盟」や「婚姻」といったコマンドが用意されるようになったのだと思います。いまでは朝廷権力との関係性も、ゲームのなかに組み込まれているんです。
このように歴史は、古いものとして固定されているのではなく、むしろ新しくつくりだされていく面もある。それが、私が大学に入ってから学んできたことです。インタビューの後編ではこうした歴史のありようを踏まえながら、より具体的に、私自身の研究内容をお話ししてみたいと思います。