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コロナ禍を経て4年ぶりのフル開催。 観月祭に臨んだ学生それぞれの思い

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神道文化学部 神道六部会 

2023年12月6日更新

 令和5(2023)年10月28日、渋谷キャンパス5号館ピロティの特設舞台で、通算13回目となる「観月祭」が催された。今年は神道文化学部の学生を中心に、約100人が参加。「十三夜」翌日の美しい月の下、詰めかけた観衆の前で、管絃かんげんや祭祀舞、舞楽を披露した。

 國學院大學の観月祭は、古式ゆかしい伝統行事の復活を望む学生の声が起点となり、平成22年に始まった。舞楽や管絃の演奏だけでなく、装束の着装や会場設営まで、すべて学生主体で行うのが特徴。半年前から稽古を重ね、それぞれの技能を高めて本番に臨む。

 回を重ねるごとに学内外で知られるようになり、800人を超える参列者が集まった年もある。だが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、令和2年は観客なしのリモート配信。令和3年は開催できず、令和4年は招待客のみの縮小版としての開催だった。

 中には入学前からこの舞台に上がることを夢見ていた学生もいる。本番のやってこないここ数年が、どれだけ歯痒いものだったかは想像に難くない。サークル活動の縮小により、先輩から後輩へと脈々と受け継がれてきた技術が途絶えかねない危機でもあった。

 実に4年ぶりとなる「フル開催」。コロナ禍を経てようやく訪れた晴れの舞台に、学生たちはどんな思いで臨んだのか。裏側を追った。

 

家と学校をただ往復する毎日を変えたくて

 観月祭の演目は、管絃から始まる。管絃とは、雅楽の唐楽のうち、純粋な器楽合奏の形態のものをいう。今年は28人の学生が楽人(演奏者)として参加。日本古来の楽器である三管(しょう龍笛りゅうてき篳篥ひちりき)と三鼓(鞨鼓かっこ太鼓たいこ鉦鼓しょうこ)を使って雅な音色を奏でた。

 龍笛は篠竹の管で作られた横笛。主旋律の篳篥をなぞりながら飾り、彩る役目を担う。その音色は、天と地の間を飛翔する龍の鳴き声にたとえられる。

 パートリーダーを務めた瀧本美遊さんは、神道文化学部の2年生。1年前には「自分が観月祭の舞台に立つなど、想像すらしていなかった」という。雅楽サークル 『青葉雅楽会』に入会したのは今年の4月になってから。管絃はもちろん、楽器の演奏経験もなかった。

 入学とともに静岡から上京。だが、思い描いていたキャンパスライフはどこにもなかった。アパートと大学をただ往復する日々。オンライン授業が多く、友達もなかなかできなかった。そんな毎日を変えたくて2度目の春、勇気を出して雅楽会の門を叩いた。

 「周りとのあまりのレベル差に、最初は恥ずかしくて合同練習にも出られませんでした」。カラオケボックスに一人通って、ひっそりと練習を重ねた。夏休み中に前任のパートリーダーが体調を崩すと、経験こそないが、欠かさず稽古に出続けた彼女に白羽の矢が立った。

 「わからないことが多すぎて、正直言って一杯一杯。でもそれも含めて今はすごく楽しいんです。ああ、やっと思い描いていた大学生活が始まった、って」

 実家は静岡県島田市の敬満神社。母・良子さんもかつて國學院大學で学んだ卒業生(院友)だ。美遊さんが吹く龍笛は、その母から受け継いだもの。当日観覧に訪れたという母の耳には、特別な音色として届いたはずだ。

 

大学パンフレットで見た、あの憧れの舞姫に

 続いて披露したのは祭祀舞。祭祀舞とは、神社などで披露される舞のことをいう。明治時代以降に創作された神楽で、「近代神楽」とも呼ばれる。千早、緋袴姿の巫女が厳かに舞う姿は、 女性にとっての憧れとされる。

 最初に豊栄舞、続いて浦安舞をそれぞれ4人1組で舞った。

 浦安舞の一姫を務めたのは、神道文化学部3年の相澤なつみさん。観月祭で浦安舞を舞うことは、大学入学前からの悲願だった。

 役所勤めの父親の仕事柄、自宅がホームステイの受け入れ先になることが多く、幼少期から外国人と触れ合って育った。客人から寄せられる質問に答える中で、自然と日本文化に興味を持つように。「日本人の多くは無宗教と言われるけれど、調べていくと、意外なほど生活の端々に宗教の影響があることがわかって、面白かった」

 中でも着物、十二単の美しさに魅せられたという相澤さんは、大学受験に際して取り寄せた入学パンフレットで、観月祭との運命的な出会いを果たす。浦安舞を舞う舞姫の美しさに目を奪われ、「これがやりたい!」と國學院大學受験を決めた。

 入学した令和3年はコロナ禍の真っ只中でサークル勧誘はなかったが、自ら門を叩き、神楽舞サークルの『みすゞ会』に押しかけるようにして入った。

 サークル活動の縮小で不足した練習量は、学外の稽古に通ったり、助勤先の祭事で場数を踏んだりして補った。昨年は琴を担当。3年目にしてようやく立てた夢の舞台だ。

 「浦安舞は海のような心の安らぎ、つまりは平和を願うために作られた神楽。海にほど近い神奈川県三浦市で育った私も、安らぎを表現できるような女性になりたい」。来年は掛け持ちする弓道部の活動に専念する考えもあり、最初で最後かもしれない舞台を全力で舞った。

 

1年前に味わった全身が震える感覚を再び

 國學院大學には、神道六部会と呼ばれる六つの神道系サークルがある。瀧本さんが所属する『青葉雅楽会』は雅楽、相澤さんが所属する『みすゞ会』は神楽舞というように、それぞれ神道に関連する異なる技術を磨く。

 この六部会が補い合うようにして連携し、一つの催しとして作り上げているのも、國學院大學の観月祭の特徴の一つだ。

 観月祭に向けた稽古は半年前にスタートし、前半はパートごとの稽古、夏休み明けから合同稽古を重ねて、本番を迎える。技術レベルが追いつかなければ、メンバーから外れるケースもある。学業や助勤もある中、本番に間に合わせるのは簡単ではない。

 そんな中、今年の観月祭で唯一、二つの役割を務め上げたのが、神道文化学部3年の朝田慎之介さんだ。斎主として祝詞を読み上げ、観月祭の始まりを告げる大役を終えると、一度舞台裏に退き、装束に着替え、舞楽の舞手として再び舞台に上がった。

 高山祭で有名な飛騨高山の出身。小さい頃から神事が身近にあり、祭りのたびに舞手として参加した。そうした中で、一般家庭の出でありながら、神主を目指すように。中学生の時点で、神道文化学部で学ぶことを決めていたという。

 観月祭のことも入学前から知っており、「この舞台に立ちたい」と入学と同時に『瑞玉會』に入った。2年生だった昨年は管絃を担当。役目を終えた瞬間は「緊張からの解放と達成感でぶるぶると体が震えた」。同時に「できることなら次は装束を着て舞いたい」という想いが芽生えた。

 コロナ禍で縮小開催だった昨年は舞楽がプログラムになかったが、今年は登殿楽とうてんらく萬歳楽まんざいらくの二つの演目を披露。朝田さんは萬歳楽の一郎として、朱色の装束に身を包み、「コロナ明けの晴れ晴れとした気持ち」を込めて雅やかに舞い切った。

 

自分たちがいなければ祭りは成り立たない

 観月祭は舞台に上がる演者だけで成り立っているわけではない。舞台設営や装束の着装など、裏方もすべて学生が担っている。

 衣紋えもん担当のリーダー・岡﨑良介さん=神道文化学部3年=は、自他共に認める装束マニアだ。その起点は、小学生時代に見た映画『陰陽師』。初めて見る平安時代の世界観に「なんだこれは!」と衝撃を受けた。中学生になると本格的に装束にハマり、今では数十万円もする装束を自前で購入するほどという。

 「ご先祖さまもこういうものを着ていたのか!という純粋な感動がありますし、当時の人の歩き方や刀の抜き方など、着てみて初めてわかることもある」。大学進学後に入ったサークルは当然のように祭祀服衣紋サークル『萠黃會』。現在は会長を務める。

 観月祭における衣紋方えもんかたの役割は、装束を着せて終わりではなく、着せたものを解くまでを担う。華やかな舞台に出られないどころか、その様子を見る時間もない。だが「着せたものが舞台に立つのが衣紋方の喜び。自分がいなければ祭りは成り立たないという自負がある」。

 研鑽してきた自身の技術に誇りを持つ岡﨑さんだが、着付けは1人を2人がかりで着せるチームプレーであり、8人もの舞手を短時間で素早く着付けること自体がチャレンジングでもある。その重要な選抜メンバーに、会長としてあえて1年生を抜擢した。

 「しばらく観月祭のような大きな行事がなかったことで、正直に言って、今は技術継承の危機にあります。自分が1年生の時に当時の4年生から手取り足取り指導を受けたものを、なんとか次の代に受け継ぎたいと思っています」

 技術と思いを次の世代につなぎ、國學院大學の観月祭はここからまた続いていく。

 

執筆:鈴木陸夫 編集:日向コイケ(Huuuu) 撮影:本永創太(提供写真を除く)

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