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文学部3年 畠山 湧気 さん

2023年12月11日更新

 小学校の頃から書道に打ち込み、これまでに書道展で文部科学大臣賞や特別名誉賞を受賞する快挙を成し遂げている畠山湧気さん(日文3)。ひたすら文字を書き続けてきた畠山さんは、現在、文学部3年生。将来を考え始める時期だ。今、どんな道を思い描いているのだろうか。

 また、10年以上にわたりのめり込んできた書道とは、畠山さんにとってどんな存在なのだろうか。

 

苦しみの果てにつかんだ栄光

 書道を意識したのは小学生のとき。ある書道大会にクラスから3名の選手が選抜されるのだが、そのうちの一人に選ばれたのがきっかけだった。

 「このとき、僕はまだ書道教室にも通っていなかったんです。選手に選ばれたことで興味が湧いて、その後、書道教室に通うことになりました。曾祖母も書道の先生なので、書道と縁がないわけではなかったのですが」

 書道は極めて高度な集中力が必要な作業だ。満足のいく文字を書くには地道に練習し続けなければならず、修行のような側面もある。なぜ、畠山さんは書道に夢中になったのだろう。

 「僕は負けず嫌いなんです。県の書き初め大会には、市の大会で銅・銀・金・特選という賞のうち特選を取った者だけが出場できます。僕は最初に銅賞、習い始めてから銀賞、金賞と上がっていったのですが、中学3年までに特選を受賞することはできなかった」

使える時間の大半は書道に打ち込んだ高校時代だが、学業のほうもクラスでトップクラスをキープし続けたという。

 その無念を晴らすため、全国で唯一書道科がある埼玉県立大宮光陵高等学校に進学。書道の精鋭が集まる高校である。ところが入学後、思わぬ苦しみが待っていた。

 「同級生はみんな県で特選を取ったような実力者で、すごくうまい。在学中も、さまざまな展覧会でどんどん入賞していく。ところが、僕はどの展覧会でもまったく入賞できなかったんです。そんな状況が、2年の後半になるぐらいまで続いていました」

 自信を失くすつらい日々、しかし投げ出すことはなかった。授業での週8時間の練習に加え、夜7時までの部活動、週に1回は以前から通っていた書道教室に通い、ひたすら練習に励んだ。そして高校2年。全国高等学校総合文化祭という全国大会に向けて、学内の選考が行われる時期が来た。このとき、畠山さんはある挑戦をした。

 「今まで大宮光陵高等学校では誰も出したことがない、曹全碑(そうぜんひ)に挑戦したんです」

 曹全碑は全部で850字からなる後漢時代の古典で、曹全という偉人の業績を褒め称えた碑文だ。これは隷書という書体で書かれている。

 これだけの文字数を、縦方向だけではなく、横方向にも文字の中心を揃えていかなければならない。試しに書いてみて、1枚書き終わるのに最低1週間はかかると分かったので、作品提出の日から逆算して「あと◯枚練習できる」と考えながら書いていった。間違えたら最初からやり直さなければならないので、1枚仕上げるにはかなりの集中力が必要となる。

 「もうすぐ終わるという頃に、最後の一行で間違えることもありました。やってしまった!と思うと同時にもう次の紙に手が伸びていました。時間は限られていますから、すぐに気持ちを切り替えて次へと向かっていったんです」

 今の練習時間では足りないと、先生にお願いして朝早く教室を開けてもらい、始業前に1〜2時間練習を加えた。家が遠かったので、朝5時に家を出て、朝練し、授業での書道時間を加えて部活で夜7時まで練習。家に帰ってまた翌日5時に家を出るという日々が続いた。

 そして、その努力が報われる日が来た。畠山さんは、まず書道部から1人選出される代表選手となり、作品が県内の選考に出された。その結果、トップクラスの点数を得て10人の代表枠に入り全国大会に出場となったのである。

 「僕よりも実力がある同級生の中から僕1人が選ばれたわけですから、みんなのためにも絶対入賞したいと、必死でした。そんな風に張り詰めている僕を、当のクラスメイトや先生はずっと支えてくれて『一人で戦っているんじゃない』と心強かったですね」

 それでもあまりにもつらく、父親に泣きながら相談したこともあった。日頃寡黙な父は、

「自分で選んだ道じゃないか。周囲に素晴らしい実力の人たちがいる中で、代表に選ばれたんだから大丈夫だ、できるはずだ」

と励ましてくれた。その言葉を胸に、一心に書を書いていった。

 その努力は報われ、ついに全国高等学校総合文化祭(全国大会)で3席という快挙を成し遂げた。

畠山さんが書かれた曹全碑。全850字を書き終えるのに1週間かかるという大作だ。

自分らしい、書を活かす道を探して

 高校時代はまさに書道に捧げた3年間だった。しかし、大学進学を前にして、畠山さんは書道と同時に国語の教員にも興味を持ち始めていた。書道と教員、両方の免許が取れる大学を探し、國學院に入学したのだが、入学後、将来のことを考えたときにさまざまな迷いが生じてきた。

 「書道を仕事にするとなると、書家になるか、高校の書道の教師になるかしかないんですよ。個人の書道教室は世の中にたくさんありますが、家族を抱えてはとてもそれだけで食べてはいけないです。

 書家になるには、一種独特な、書道の世界のさまざまなしきたりや仕組みの中で目指すことになるので、その世界でやっていくのはちょっと違うな、と感じていました。では高校の書道の教師は? と人には言われましたが、国語の教師に興味が出てきてしまっていたので……。

 仕事として書の道を選ばないのであれば、今、書をやっている意味はなんなんだろうという気持ちが湧いてしまっていたんです」

 いったんは国語教師を目指そうとしたが、大学でも書道の研鑽を続け、令和4(2022)年、第37回全国書き初め展覧会では文部科学大臣賞を受賞、令和5(2023)年には第3回全国学生書写書道展に出品した作品(隷書霓裳逸史四屏 れいしょげいしょういつししへい)が、第38回全国書き初め展覧会で特別名誉賞を受賞。これは連続日本一を達成した人にだけ与えられる賞だというから、畠山さんの実力の程が分かる。

特別名誉賞を受賞した『隷書霓裳逸史四屏』(れいしょげいしょういつししへい)

 「やはり自分が歩むべきは書の道なのだろうか」と考えていたとき、「人に教える」ことと、「書道」が結びついた新しい道がひらめいた。

 「フィリピン出身の友人に書道を教える機会があって。このことがきっかけで、外国の人に書道を教えることに興味が湧いてきました。この友人と英語で会話をしたときに、コミュニケーションがとれる楽しさを感じて、英語にも興味が出てきました。大学では日本語教育の授業も取っていて、『日本語パートナー』(國學院大學に在籍する留学生のパートナーとなり、日本語学習のサポートのみならず、良き相談相手となり支える制度)にもなっています。またSNSでも外国の人と交流して、その人たちと実際に会って話すという“国際交流”をしています。

 海外の人たちの考え方や日本語を勉強する姿勢には学ぶことが多くて、だんだんと日本語教師になりたい(目指したい)と思うようになりました。外国の人と話してみると、書道に興味を持つ人が多い。外国の人たちに日本語を教えながら、日本文化を体験してもらうために書道も教えることができたらいいなと」

「畠山さんの2023年を書いてください」という注文に、迷わず書き上げた「前進」。

愛用の筆の一部。小筆が多いのは、大筆に比べて耐用年数が短いからだそうだ。

 令和5(2023)年8月には、大学が行う「日本語教育実習スタディツアー」で台湾へ行った。授業の一環で書道を教える機会があり、生徒たちの楽しそうな様子や生き生きとした反応に喜びを感じ、ますます思いを強くした。

 「台湾も漢字文化の国ですが、みなさん、書道をやったことがないというので驚きました。初めて持つ筆で、自分の好きな文字や好きなキャラクターの名前なんかを書きながら『楽しい、楽しい』って喜んでくれて。ああ、これ、自分がやりたいことだなと発見した思いでした」

「台湾では日本語授業の一環で書道を教えました。言葉の壁もなく盛り上がり、生徒たちはとても楽しかったと感想を寄せてくれました」

 畠山さんは今、日本語学校の教員になろうかと考えている。

 それでもやはり書道からは離れられない。最近では、地元の小学校から依頼され、小学校の150周年記念のための書道パフォーマンスを行った。

 「同じ文字を臨書(手本を見て文字を書くこと)しても、書く人によって書の雰囲気がまるで違うんです。人間そのものが現れる。自己表現の極地ですね。僕の書は、人からは『まじめな性格がよく出ている文字だね』と言われますが、それだけじゃない、いろいろな思いが込められています。もし、海外の人に文字を教えたり、自分が海外に行くようになったりしたら、また自分の書も変わっていくかもしれないですね」

「日本語学校の採用は不定期なので、日々、全国の日本語学校のサイトをチェックしています。北海道の学校とかいいな〜と思ったり……。今まで経験したことがない天候や生活を味わえそうなので」と笑う畠山さん。

取材・文:有川美紀子 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

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