神話や神々、神社などを解説する一般向けの書籍の数々に、テレビ出演。いまやあちこちで引っ張りだこなのが、平藤喜久子・神道文化学部教授だ。神社での御朱印集めや、漫画やアニメ・ゲームなどポップカルチャーでの神・神話表象の拡大など、裾野が広がる昨今だからこそ、先生のやさしい語り口は注目を集めている。
インタビュー前後編で語る「神話学」の世界もまた、人を惹きつけるものがある。人を魅了してきた神話を研究する、そんな学問の面白さとは。
「神話学」が専門です、とお伝えして、どんな学問なのか馴染みのある方は、まだあまり多くないかもしれません。神話という言葉やイメージはたくさんの方々がご存じだと思うのですが、それを専門とする学問となると、いかがでしょうか。
実は学問の世界のなかでも、神話を研究する場合、日本でも西洋でもそれぞれの古典文学などの領域で研究されることがほとんどで、神話学の専門家は珍しいのです。
改めて、神話学とはどんな学問かといいますと、「いろんな地域の神話を比較する」ということが基本になります。
仮に、まったく別の地域の神話で、似ているものがあるとしましょう。どうして似ているのだろうと考えると、片方の文化から他方の文化へ伝わったのか、偶然なのか、はたまた人間の心理や思考をめぐるある種の普遍性というレベルでの話なのか、いろんな見方ができるわけですね。さまざまな神話を扱い、比較しながら神話を考えていくというのが神話学なんです。
私はその神話学のなかでも、特に人間と神話の関係を考えていきたいと思っています。
研究テーマは、大きくわけるとふたつです。ひとつは、「人は神や神話を、どんなふうに表現してきたのか」ということ。これは文献のみならず、絵画などのビジュアルも含めます。その表現の仕方に、人間が神や神話をどう受け止めてきたのかが表れてきます。インタビュー前編では、主にこちらについてお話しようと思います。
もうひとつは、時代ごとの神話の語られ方です。人は神話を使って、自分の思想もふくめていろんなことを語ろうとすることがあります。インタビューの後編でお話しするように、特に近代においては神話を使って思想を語る傾向が顕著になっているだけでなく、政治的にも非常に難しい問題が絡んできます。そのあたりを正確に把握しようというのが、もう片方の研究の軸になっています。
さて前者のテーマ、人が神や神話をどう表現してきたのかについては、たとえば現代の漫画やアニメ・ゲームのポップカルチャーを例を挙げることができます。いまの若い世代が神や神話をどう受け止め、どんな距離感を築いているのかということは、こうしたポップカルチャーのなかで観察することができるんですね。
実は私自身、2000年代半ばから大学で教鞭をとるようになったとき、学生さんたちはこうしたカルチャーにおいて神話に触れているんだということに衝撃を受けたんです。神や神話について話をすると、「それ、FFで見た」といった反応が返ってくるんですね。
私はまったくポップカルチャーに詳しくなく、「FFって何……?」という状態で(笑)、そこから「ファイナルファンタジー」というゲームについて知っていくことになったのですが、いまの神や神話の表現はこうした領域でなされているのだという発見がありました。
たとえば、北欧神話に出てくる「オーディン」という神については、学生さんたちはFFにおけるキャラクターの一種として最初に接していたわけなんですね。当時オーディンという神については、それこそ宗教学の先生も含めて日本ではほとんど知られていない状況だったにもかかわらず、です。
もちろん、彼らがいうところの「オーディン」はどんな姿をしているのだろうと確かめると、私が知っている「オーディン」とは似て非なるものではあります(笑)。それでも、文献などを通した神話ではなく、こうしたゲームのビジュアルなどを通して、現代の人は神や神話に触れているんですね。
その表現のされ方にしても、“元ネタ”がチラッと見えるようなものもあれば、まったく関係ないようにさえ思えるものもいろいろある。それらを見ていくうちに「ああ、これが現代の神の姿の表現なんだ」と腑に落ちていった、という次第なんです。
じゃあ、日本の神々はどう表現されてきているんだろう。ちょっと驚いてしまうような表現もあるけれど、それが許されているということにはどういう意味があるんだろうか、などと興味も広がってきています。
世界を見渡せば神を描くことを禁止されている宗教もあるわけですから、翻って日本の状況は──たとえば江戸時代には自由に描けていたけれど、近代には制限的になったこともあるような歴史は、どのように位置づけることができるのだろう、と遡りながら考えることもできる。
やはり、神や神話を表現するということは、その時代の人が神や神話をどう受け止めているのかということと直結しているんだと実感します。神話を比較し、歴史を遡りながら、こうしたことを考えているのが、私の研究の一端です。
他方で、神話が「いま」という時代と直結するとき、その扱い方にはさまざまな留意が必要であることも事実です。神話が思わぬ利用のされ方をしてしまったり、ある表現が意図せぬところで人を傷つけてしまったりすることがある。インタビューの後編では、近代から現代までを見渡しながら、神話をめぐる繊細なポイントと、その上での楽しさということを語っていきたいと思います。
神話は楽しい、そして奥深い。だからこそ扱い方には気をつけるべき点があると、平藤喜久子教授が語る後編「神話を感じる場所での撮影で見えてくるものとは」はこちらをタップして進んでください