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作家のアメリカ留学時代を研究することで見えたひとりの女性である作家の姿

謝冰心の再評価に向ける眼差し ―後編―

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文学部 准教授 牧野 格子

2023年1月15日更新

 20世紀を生き抜いたひとりの女性作家の姿と作品から、どんなテーマが見出だしうるだろうか。牧野格子・文学部中国文学科准教授が調査と研究を進めるのは、謝冰心(しゃひょうしん、1900年~1999年)の、1920年代に経験したアメリカ留学時代だ。

 作品の魅力にまつわるインタビュー前編を経て、この後編では、激動の時代を生き抜いた作家の軌跡を語ってもらった。謝冰心の足跡をたどっていくこと――その先に、現代を生きる私たちの地平がある。

 

 謝冰心のヒューマニスティックな作品世界にわけいっていくためにこそ、研究の進んでいない、1920年代のアメリカ留学時代を探ってみよう――そう考えて論文を書き継ぎ、まとめたのが『謝冰心とアメリカ』(晃洋書房、2021年)という単著です。

 アメリカ留学は、謝冰心の作家人生に大きな影響を与えていると見ることができます。たとえば、彼女の代表的作品のひとつ『寄小読者』(1926年)は、子どもに向けた手紙という形式をとりながら、アメリカ留学時期の生活を述べている散文です。これは、謝冰心が児童文学を手がけていく端緒になった作品だといえるでしょう。結核にかかってサナトリウムで生死の境をさまよったのもまたこの留学時代ですから、謝冰心の人生に大きな影響を与えているのは間違いありません。

 そもそも、なぜ留学することになったのか。謝冰心は、中国の燕京大学卒業を間近に控えた1923年、当時燕京大学で英語教師の任にあったグレース・ボイントンという人物に勧められ、ボイントンの母校であるアメリカ・ウェルズリー大学に1926年まで留学したのでした。1919年のデビュー以降、謝冰心が当時すでに人気作家であったことは、インタビュー前編で触れた通りです。

 1923年の中国の政情を考えると、国民党内部の内紛や相次ぐ政権交代、マルクス主義の導入による共産党の台頭など、非常に不安定な状況。そんななか、彼女はアメリカへと旅立ちました。

 彼女の足跡を追う私自身も、何度かアメリカに足を運びました。2017年4月から9月には、ハーバード大学に滞在・調査。ウェルズリー大学のアーカイブに通うのみならず、ハーバード大学内にもボイントンにかんする資料が所蔵されていることにも気づくことができました。膨大な紙の山を前に、必死に撮影を続けた日々が、いまもまざまざと蘇ります。

 そうした調査を経て見えてきた謝冰心の実像は、“激動の時代をしなやかに生き抜く、ひとりの女性の姿”ともいうべきものでした。人付き合いが非常に上手だし、政治的な運動には深入りしすぎない一方で、植民地化されてゆく母国の、しかし本当は西洋に負けない文化というものに、誇りを持っている。アメリカのジャーナリスト、エレン・ラモットという人物が書いた『ペキン・ダスト』(1919年)という偏見と差別が散見される書物があるのですが、謝冰心がこの本を読んで書いた文章には、ラモットの侮蔑的な筆致に対抗しようとしたことが見てとれます。

 他方で、謝冰心をめぐる現代的な論点として、良妻賢母主義ともいうべき彼女の姿勢に対する、フェミニズムからの批判というものが、昨今見られます。これは引き続き検討されていくであろうトピックで、拙速に結論づけるべきものではないと思うのですが、新しい研究として、謝冰心が女子校に通っていた中高生時代における“女性を慕う感情”を論じるものがあります。

 謝冰心はたしかに家庭に入りましたし、書くものも含めて良妻賢母主義ともいえる姿勢をとってきましたが、たとえば1945年の作品『関於女人』(邦題『女の人について』竹内実訳、朝日新聞社、1993年)のあとがきには、こんな言葉があります。

「この四十年間、私はいつも、女のひとは誰であれ、尊敬してきた。好きなひとはたくさんいたし、愛したひとも二、三人はいた。だが恋した人はいなかった。この『愛するも恋せず』という性格は、私の致命傷だと何人かの友人はいう。

 どんな女のひとの夫にも私はなれない。女のひとを尊敬し思いやるがゆえに、私のために苦しみを負わせることはできない」

 こうした言葉を、そして謝冰心のアンビバレントな姿勢を、どう読み解いていくのか。

 私のアメリカ滞在時、調査を手伝ってくれた当時ハーバード大学大学院生だった方には、「英語教師ボイントンは密かに謝冰心に心を寄せていたのではないか」と指摘されたこともあります。

 あくまで可能性の領域の話ではありますが、フェミニズムにおけるシスターフッド――女性との共闘やつながりといったテーマも、謝冰心に見出だしうるかもしれない。私自身は、女性の社会進出が進むなかでも、その女性にとって大事な存在としての「家庭」はありうるだろうと考える立場の人間ですが、こうした問いは私たちに託された、今後の課題のひとつだろうと思います。

 謝冰心の人生を歴史的に調査していく「作家研究」を、当初私が引き込まれた彼女の作品を繙く「作品研究」へ、どのように再び接続していくのか。もう一度、謝冰心の文学に真正面から向き合うということも、考えている最中です。

 参考になる前例が、わずかながらあります。たとえば1960年代に、謝冰心の作品を、まさに真正面からとらえて論じている書き手がひとりいるんです。あるいは、中国文学という枠組みを飛び越えて、文学研究のフィールドで活発に議論が続けられてきた「世界文学」というような視点において謝冰心を位置づけている例が、かなり早い時期に見受けられます。

 私自身これから研究していこうとしているアイデアなので、まだ明確に、広くお伝えすることはできないのですが、従来「謝冰心」を取り巻いてきた枠組みを外しながら読んでみることは、できるように思います。

 中国では現在、SFがブームになっていて、日本も含めて世界的に評価され、ベストセラーにもなっています。文学のありよう自体が変わってきているんですね。一方で、2022年10月23日付の朝日新聞朝刊でコラム「天声人語」を読んでいたら、習近平体制がつづく現在、謝冰心の『陶奇的暑期日記』(1956年)――日本では倉石武四郎訳『タオ・チーの夏休み日記』という児童文学として知られる作品を読んだ感想が書かれていました。いま、謝冰心を読む意義自体が、変わりつつあるのだと感じています。

 

 

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牧野准教授自身が惚れた作品世界の魅力について尋ねた。謝冰心に再評価に向けた眼差し―前編―「中国現代文学の女性作家謝冰心に牧野先生が惹かれ続けるわけ」はこちらをタップして進んで下さい

 

4分間の動画で伝えるLife story-准教授 牧野格子編

 

 

 

牧野 格子

研究分野

中国近現代文学

論文

1955年「旅欧日記」から見る謝冰心の社会的地位(2020/12/25)

謝冰心とエレン・ラモット”ペキン・ダスト”――異文化接触における不幸な邂逅――(2019/08/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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