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中国現代文学の女性作家謝冰心に牧野先生が惹かれ続けるわけ

謝冰心の再評価に向ける眼差し ―前編―

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文学部 准教授 牧野 格子

2023年1月15日更新

 ひとりの女性作家を、再評価しようとしているのが、牧野格子・文学部中国文学科准教授だ。その作家の名は、謝冰心(しゃひょうしん、1900年~1999年)。中国現代文学を代表する作家であり、長い年月を現役の作家として過ごし多くの作品を書いてきたものの、非常にヒューマニスティックな筆致ゆえ、中国現代文学研究の現場では軽んじられてきたのだという。前後編にわたるインタビュー、この前編ではまず何よりも、牧野准教授自身が惚れた作品世界の魅力について尋ねた。

 

 「中国現代文学」の作家で誰が思い浮かぶかと聞かれて、魯迅と答える方は多いはずですが、いまでこそあまり知られていない謝冰心は一時期、魯迅よりも人気があった作家でした。

 1900年生まれの彼女が初めての文章を発表したのが、1919年。その後1920年代初頭は、初期代表作の『超人』(1921年)をはじめ、青年たちから絶大な人気を得たのです。まさに新世代の作家の台頭、という感じでした。

 謝冰心の作品の世界観は、とてもヒューマニスティックです。母の愛情や、子どもの無邪気さ、そして自然を愛する心――部分的にキリスト教の影響も受けているその精神は、「愛の哲学」と呼ばれています。日本でも実は多くの作品が訳されてきていて、作品によっては子ども向けの日本語訳が出たこともあります。

 ただ、そうしたヒューマニズムが、中国現代文学の研究者たちの目には、あまり好ましく映らないといった面があります。中国現代文学の多くは、マルクス主義思想などに基づき、たとえば革命思想や、農村の人びとのたくましさなどを書いてきました。

 もちろん近年の中国現代文学には――インタビューの後編で触れるように、SFが人気を博すなど――政治的な思想だけからは捉え切れない大きな変化があるわけですが、少なくとも研究において扱われる中国現代文学の主流の立場からいえば、謝冰心の世界は素朴にすぎて、幼稚だと思われてしまうようなんですね。

 実際に中国でも、文化大革命期を中心に、謝冰心には多くの批判が寄せられてきました。再評価されるようになってきたのは、1980年代以降のことであり、それでもまだ大きく扱われるには至っていません。海軍要職の父のもとに生まれ、アメリカ留学もすることができた謝冰心が書くものは、端的にいえば“お嬢さん”の文学であるという批判に、長らくさらされてきたといえると思います。

 しかし、私が惹かれてきたのは、まさにそうした謝冰心の、こう表現してよければ“洗練された”作品世界なんです。

 神戸で日中貿易を手がける家庭に生まれた私は、中国人の方が普段から家を出入りしているような環境で育ちました。大学に入ったら中国語を学ぼうと思い、当時はいまのようにオーディオやビジュアルのデジタルな教材が充実している時代でもありませんでしたから、中国文学を通じて勉強していくことにしたんですね。

 そこで中国現代文学の“主流”である作品を読んでいったのですが、正直にいえば、肌に合わなかったんですね。やがて出会ったのが、謝冰心の作品でした。私自身、20歳を過ぎた年齢でしたから、そうしたヒューマニズムには「あまりに理想的だ」と鼻白むようなことがあってもおかしくなかったはずなのですが、なぜか強く惹かれていったのです。

「現代中国文学全集 第11巻」(河出書房、1955年)

 たとえば、先ほど触れた短編『超人』は、こんな作品です(以下、『現代中国文学全集 第14巻』河出書房・1955年より、倉石武四郎訳を引用)。

 もう人間なんて信じられない、世の中が嫌だというような、いわゆる厭世思想に憑かれた青年がいる。あるとき、住んでいるアパートの近所の部屋に住む子どものうめき声を聞きます。その子は怪我をしてしまっているようで、青年は治療費を渡すんですね。すると子どもから、花束と一緒に、感謝の手紙が届く。そこには、小父さん(=青年のこと)は花束が要らないだろうけれど……という言葉の後に、こう書かれている。

 「(・・・)ぼくには母さんがあります。母さんはぼくが好きですから、小父さんにはとても感謝しています。小父さんに母さんがありますか? その母さんもきっと小父さんが好きでしょう。それならぼくの母さんと小父さんの母さんはよいお友だちになります。だから小父さん、どうぞ母さんのお友だちの子どものものを受け取ってくださいね」

 青年は心を強くうたれ、むせび泣きます。そして、手紙の返事を書く。

 「わたしは十何年このかた、この世はうつろであり、人生は無意識であり、愛も同情も悪徳であると考え違いしていました。わたしがあげたあの治療費には、愛や同情の気もちはちょっとも入っていなくて、ただきみのうなり声を拒み、わたしの母さんを拒み、宇宙と人生を拒み、愛と同情とを拒んだだけでした。神さま――これはなんという考えなのでしょう。

 きみが無邪気な心で私に教えてくださったいろいろのおことばに、重ねて感謝いたします。小さなお友だちよ。ほんとにそうだ。世の中の母と母とはみんないいお友だちです。世の中の子どもと子どもともみんないいお友だちです。めいめいが結ばれているのです。お互いに見棄てられるものではありません」

謝冰心著、倉石武四郎訳「超人」(『現代中国文学全集第11巻』)より

 いかがでしょうか? もちろん、それこそ子どもっぽいと断じることはできるかもしれませんが、私はそうは思いません。このヒューマニズムには、やはり切り捨てることができないものがあると感じている。現代中国文学研究というフィールドで、こうした謝冰心の魅力をなんとか説得力をもって論じていきたい、というのが私のライフワークになっています。インタビュー後編で触れる、1920年代の謝冰心のアメリカ留学時代というトピックも、その一環なんです。

 

 

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激動の時代を生き抜いた謝冰心の足跡をたどっていくこと――その先に、現代を生きる私たちの地平がある。
謝冰心の再評価に向ける眼差し―後編-「作家のアメリカ留学時代を研究することで見えたひとりの女性である作家の姿」はこちらをタップして進んで下さい

 

4分間の動画で伝えるLife story-准教授 牧野格子編

 

 

 

牧野 格子

研究分野

中国近現代文学

論文

1955年「旅欧日記」から見る謝冰心の社会的地位(2020/12/25)

謝冰心とエレン・ラモット”ペキン・ダスト”――異文化接触における不幸な邂逅――(2019/08/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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