ARTICLE

外国語は「自分の世界にはないものを知ろうとする営み」

小学校外国語教育における教師教育の理論と実践 -後編ー

  • 人間開発学部
  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

人間開発学部 准教授 長田 恵理

2022年12月15日更新

 小学校の先生たちは忙しい。いずれ教壇に立つ、教員養成課程の学生たちも、必要な授業をとるので手一杯。教科として本格導入されながらも、小学校の授業時数のなかでは比重がちいさい英語は、どうしても後手にまわりがちだ。しかし日々、子どもたちが英語の授業に臨んでいるのは事実。厳しい状況のなかで、英語を教える力をどう養うべきだろうか。

 小学校外国語教育を専門とする長田恵理・人間開発学部初等教育学科准教授、そのインタビュー後編のなかに、解決の糸口があるかもしれない。意外にも長田准教授は、自分は英語至上主義者じゃないといって笑みをこぼす。そうした柔軟な立場からの話だからこそ、「『小学校で英語を教える』教員の教育」という営みの黎明期に、響くのかもしれない。

 

 英語を教えるということは、実は特殊なものだと考えています。もちろん他の教科にもいえることだとは思うのですが、特に英語を教えるのに必要な背景知識の獲得、そして英語運用能力の向上は、きちんと意識的に身につけていかないと、簡単に実践できるものではありません。他の教科に比べると、英語運用能力のぶん、身につけなければいけない力が多いという見方をしています。

 「ESP(English for Specific PurposesあるいはEnglish for Special Purposes)」という考え方があります。学習目的に応じた内容と活動を盛り込む英語のコースという意味で、中学校などの英語教育がその典型であると言われる、一般的な目的のための英語(English for General Purposes)と対比されます。教室英語には、教室内で起こることに対応する表現が必要です。また、英語をペラペラ喋ることができる人が、必ずしも英語を上手に教えることができるとは限りません。「名選手、名監督にあらず」、というのと似ています(笑)。外国語を母語とするALT(Assistant Language Teacher)という心強い先生方もいらっしゃいますが、かといってすべてのネイティブスピーカーが良い教師にはなれるわけでもありません。教室内で指導のために必要な英語の力というのは、やはり独特のものがあるわけです。

 とはいえ、その力を鍛える機会を設けるのはなかなか大変だ、というのもインタビュー前編で触れた通りです。こうした状況を踏まえつつ、初等教員養成課程においては、どのような取り組みが可能なのでしょうか。

 ひとつ挙げられるのは、「CLIL(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)」というものです。このインタビューに引きつけていえば、教員を目指す人が、英語科目以外の授業、例えば指導法を英語で学ぶ、ということですね。

 もちろん、専門的な内容をいきなり英語で解説されても面食らってしまうでしょうし、英語の指導法をすべて英語で教えるというのも無理があります。どのような授業を英語で展開するのがよいのか、私もまだ模索している最中なのですが、たとえば「絵本」を扱う授業ならどうだろう、と考えています。小学生への絵本の読み聞かせに関して、英語で授業を行う。これなら無理なく、初等教員志望者が英語に触れる機会を増やすことができるのではないでしょうか。

 小学校の現場で教えるようになってからは、どのような可能性があるでしょう。私自身、小学校外国語教育の参考とすべく、イタリアやマレーシアの小学校で英語を教えるクラスルームに赴き、リサーチを重ねてきました。さまざまな発見があったのですが、そのひとつは、英語を教えるのが上手な先生は、「発問」の仕方が上手い、ということなんです。

 イタリア北部の小学校で、美術(art)を英語で教える――先述したCLILを実践している先生がいたのですが、子どもたちの関心をひきつける「発問」が、とても上手だったんですね。そうすると、子どもたちも生き生きと英語を話し出そうとする。学級担任として子どもの様子を日々見ていらっしゃる小学校の先生は子どもが関心を寄せやすい発問もお得意だと考えます。話したいという気持ちにさせることは言語学習においてとても大切なことなんです。逆に、英語がペラペラであってもその力がなくては子どもの言語運用能力は上がっていかないのではないでしょうか。

 先ほど、小学校教育における英語は特殊であるとお話ししました。それは実際にそうなのですが、とはいえ他教科における「発問」の仕方と、英語の授業における「発問」の仕方が、完全に断絶しているわけではありません。英語教師教育者としては英語指導に特化した英語運用能力を鍛える道を引き続き探らなければなりませんが、他の教科の指導方法・アプローチも英語の授業の参考になるし、逆もまた真なりということを、学生や現場の先生方にはお伝えしたいと思っています。

 そもそもの話になりますが、英語教育がそこまで必要なのかという一般的な疑問は、繰り返し出されるものでしょう。これには、いろんな答え方が可能だと思います。教科書的な応答をすれば、英語を知っていたほうがコミュニケーションをとることができるチャンスは広がりますし、ずっと日本にいるのだとしても、伝統的な文化に近ければ近いほど――たとえば寿司職人さんは接客のために英語が必要になる、ということもあるはずです。他の言語に比べて英語は汎用性が幾分高いとはいえそうです。

 とはいえ、これは個人的な話になるのですけれども、私は「英語こそが絶対」だとはいいたくないんですね。私自身、学部生時代に学んでいたイタリア語も好きで役に立つこともありますし、最近では韓国語にハマっています(笑)。韓国語を学ぶことで日本語にもより興味を持つようになりました。

 そうやって外国語を学んでいくなかで実感するのは、これは「自分の世界にはないものを知ろうとする営み」なのだ、ということです。自分の世界だけが正しい、それ以外のものは間違っているという考えに至ることなく、その外側へと常に関心を広げていく。

 端的にいえば、「異文化理解」なのだろうと思います。言語は文化を背景としていますから、言葉を知ることは、自分とは異なる文化を知っていくことになる。小学校から英語を教え、その教員を養成・教育する意義は、根本的にはこうしたところにあるのでしょう。

 ……と、もっともらしいことをいいましたが、私は単純に、人を「揺さぶる」ことが好きなのかもしれません(笑)。ほぐされることがないと、人の考え方はどんどん凝り固まっていきますから。これからも、初等教育を志す人たちを、心地よく揺さぶっていきたいですね。

 

 

<前ページ>

ちいさな英語教室の先生が小学校の先生たちの英語指導の先生になるまで

 

 

 

長田 恵理

研究分野

小学校外国語教育, 応用言語学

論文

韓国の初等学校英語教育における教員養成課程の展望と実態(2024/02/28)

「小学校英語の指導者と指導体制」の問題をめぐる文献検討ーJASTEC Journal掲載論文を中心としてー(2023/11/30)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU