ARTICLE

一木教授が見つめる、委任の利他性、そして、委任契約はいつ終わるのかという問い

民法は、面白い ー後編ー

  • 法学部
  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

法学部 教授 一木 孝之

2022年12月1日更新

 民法に定められた、「委任」という契約。一見ドライに見える話だが、一木孝之・法学部法律学科教授がずっと魅了され続ける理由は、たしかにある。委任の基本と、その基本のレヴェルで胚胎している謎を語ったインタビュー前編に続き、この後編では、さらに民法のイメージが変わる話が待ち受けている。利己的な人間同士の調整のために用いられるのではない、利他的な人々の活動をバックアップするための民法、という側面があるというのだ。

 

 日常生活でよく見られる、「好意」にもとづく無償の口約束ではなく、法的な責任が生じる「無償委任」。日本ではまだ議論の途上にありますが、たとえばボランティアを中心にした介護や介助といった場面で、この無償委任の問題が議論されるような例が、すこしずつ出てきています。

 あくまで個人的な感覚ではありますが、時代が変わったのかもしれません。

 かつてはいま以上に、委任といえば、弁護士や税理士などの専門家への事務処理の委託という「有償委任」が第一であり、無償委任の議論がほとんどなかった状況がありました。その理由について、あとから考えてみれば、よくわかる話なのです。

 当時の学会では、無償委任は原始共同体で発生したものであるが、その後に克服され、有償委任こそがあるべき姿だ、というのが通説でした。とりわけ高度経済成長期という経済活動が極端に活発な時期においては、報酬が支払われる有償委任こそが法的に重要であり、無償委任に議論の意義を見出すのは難しいとの理解は当然だったのです。しかしながらその後、バブル崩壊を経た日本社会において必ずしも「有償」ではない、それこそボランティアといった営みに紐づいて無償委任がすこしずつ論じられるようになりつつあるということなのではないかと考えられます。

 ところで、私は近年、委任の無償性だけではなく、もうひとつ別のトピックにも心惹かれるようになっています。それは、委任の「利他性」というテーマです。

 このインタビューを前編からお読みいただければ、委任という契約は、「(法律行為の)委任」/「(法律行為でない事務の)準委任」、あるいは「有償委任」/「無償委任」という区分で、カテゴライズ可能であるという整理を、ご理解いただけるだろうと思います。私自身、無償委任を探究するなかで、有償委任と無償委任は、「克服」といった言葉で説明するような、なにか優劣を決しなければならないものではなく、委任という大きな枠内で、対置されるサブ・カテゴリィに過ぎないと考えるようになりました。

 では、そのように分類や区分けができるとして、それらすべての委任に共通して考えうる性質は、何かないのでしょうか?そこで私が考えるようになったのが、利他性なのです。

 たとえば、専門家(=受任者)が依頼者(=委任者)のために事務処理をする。その利益は当然ながら依頼者に帰属するわけですから、受任者は委任者の利益のために行動するということになります。この点は、有償委任であってもそうですし、無償委任ならばなおさらということができるでしょう。契約目的が法律行為である場合も、そうでない場合にも、事務処理から得られる利益を享受できるのは、主として委任者なのです。もっとも、受任者の付随的利益が追及されることも否定はされないのですが。

 興味深いのは、民法には定められた13の典型契約に関して、売買であっても、賃貸借であっても、贈与を除いた契約というものはほぼすべて、利己的な契約なのです。ものを売る側も、買う側も、自分の利益のためにその契約を結ぶわけです。

 しかし委任の場合は、有償委任であっても無償委任であっても、受任者は委任者の利益のために活動するということになっている。つまり委任は、利己的な契約ではなく、利他的な契約なのではないか――かれこれ10年ほど前から、私はこう考えるようになりました。

 民法には「利己的行為者としての市民間で対立する利害の調整規範」という側面と、他方での「利他的活動者としての市民にとっての行動支援または方針提示規範」という側面、その両方があるのだという理解にたてば、利他的な役務提供契約である委任はその後者にあたるだろうと、私は考えはじめているのです。

写真:左)山本豊編集「新注釈民法(14) 債権(7)」(有斐閣、2018年) 右)一木孝之著「委任契約の研究」(成文堂、2021年)

 もちろん、課題は多くあります。ここでひとつ挙げるとすれば、ここでいう委任者の「利益」とは、いったい何なのだろうという問題です。こんなケースを考えてみましょう。紛争に直面し、弁護士への事務処理を依頼している人物がいたとして、弁護士は「訴訟になったら負ける公算が大きい。今回は和解をすべきだ」と判断しているとします。しかし、当の本人は訴訟に持ち込むことしか考えていない……この場合、受任者である弁護士からすれば、これに同調して訴訟に至り、負けるわけにはいきません。専門家として方向性を修正するべく、依頼者を説得していくことでしょう。

 専門家への事務処理の委託という場合に、あえてこの言葉を使いますが――素人である委任者からの指図や指示について、専門家である受任者が、委任者の利益のためにならないと判断する場合がある、ということなのです。そのとき、委任者の指図を変更するように受任者が求めたり、受任者が修正して事務処理したりすることになる。このように、ひとくちに委任者の利益といっても、さまざまな問いが潜んでいるのです。

 そもそも、ここまで語ってきた利他性という概念自体は、法制史上、ローマ法の時代から考えられていたことなのですが、その後、次第に忘れられていきます。委任を総合的にとらえる新たな分析視点として再発見された「利他性」には、今後さらに検証する価値があると考えています。

 最近はさらに、新たなテーマを面白いと感じています。それは、「委任という契約は、いつ終わるのか?」という問題です。委任は、民法第651条に規定された解除のほかに、653条が掲げる事由によって「終了する」と定められています。ところが、民法第645条には、こんなことが書かれています。

 「受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも委任事務の処理の状況を報告し、委任が終了した後は、遅滞なくその経過及び結果を報告しなければならない」

 あるいは第654条には、こうあります。

 「委任が終了した場合において、急迫の事情があるときは、受任者又はその相続人若しくは法定代理人は、委任者又はその相続人若しくは法定代理人が委任事務を処理することができるに至るまで、必要な処分をしなければならない」

 何を言いたいのかというと、民法では、「委任が終了した」後であるにもかかわらず、委任者は依然として「委任者」のまま、受任者もまた「受任者」のままなのです。それでは、委任者が委任者でなくなり、受任者が受任者でなくなるのは、いつなのでしょうか。委任という契約が完全に終わるのは、いつなのでしょうか。

 このように、自身のこれまでの研究を振り返ってみると、私が興味を抱くのは、精緻な解釈の構築よりも、そのための所与とされている“枠組”の解明なのだなと実感します。議論の前提の「自明性」を疑うということ。私にとっての研究の主眼は、ほんの些細なことに関する躓きから生まれる、「分からない」ことの面白さなのです。研究は楽しい、それが、私の考える「楽しい学問」です。委任という対象に出会ったときと同じように、「あれ、一体これは何だろう?」という疑問をもとに、これからも研究を進めていくつもりです。

*参考
山本豊編集「新注釈民法(14) 債権(7)」(有斐閣、2018年)
一木孝之著「委任契約の研究」(成文堂、2021年)

前ページ

好意にもとづく約束と、無償委任という契約はどう違う?

 

 

 

一木 孝之

研究分野

民法

論文

委任者に生じた事情と委任の終了可能性 ―契約関係の終点および始点をめぐる研究序説―(2023/03/10)

委任の利他性-委任の解除、ならびに受任者の経済的不利益等の填補をめぐってー(2019/01/26)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU