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好意にもとづく約束と、無償委任という契約はどう違う?

民法は、面白い ー前編ー

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法学部 教授 一木 孝之

2022年12月1日更新

 民法は、面白い。日常生活でのリアリティと、アカデミックな議論の奥深さ。その両方に満ちていることが、一木孝之・法学部法律学科教授の話を聞いているとよくわかる。研究している「委任」というテーマもまた、専門的な話でありながら、次から次へと謎が飛び出す体感的な楽しさがある。なにせ、一木教授は本学ホームページの「教員からのメッセージ」欄にこう書いているのだ――「実は、大学には『楽しい学問』というものが存在します」と。

 

 民法上の委任と聞くと、どのようなイメージを抱くでしょうか。細かな話はあとにまわすとして、社会生活上想像しやすいのは、弁護士や税理士に事務処理を委託するというケースです。

 民法所定の13の典型契約を、性質の近さに注目して、いくつかのグループに分ける場合、役務提供型契約というグループができます。そこに含まれるのが、「雇用」「請負」「寄託」、そして「委任」です。弁護士や税理士、あるいは医師といった専門家に事務処理を委任するというのは、事務処理を有償で委託し、報酬を支払うので、「有償委任」という契約になります。

 ただ、不思議なことに、民法第648条にはこんなことが書かれているのです。

 「受任者は、特約がなければ、委任者に対して報酬を請求することができない」

 つまり、委任というものは、原則として「無償」であり、「有償」は例外ということになります。しかし、主に論じられるのは有償の場合なのです。これはいったい、どういうことなのでしょうか。

 若いころの私も、どのように考えれば良いのだろう、と思いました。明確な目的意識を持たずに大学院生になってしまい、右も左もわからないままに研究テーマを探していたころの話です。

 1994年のことですが、ある大きな民法の学会に初めて参加しました。そこで、「専門家の責任」というテーマの総合シンポジウムが開催されたのですが、そのなかで出てきた委任という言葉が、耳に残ったのです。それが、すべてのはじまりでした。

 シンポジウムで議論されていたのは、弁護士や司法書士といった専門家への事務処理の委託、つまり有償委任における受任者の義務の問題でした。当然のことながら、無償委任については話題に上りませんでした。

 しかし、教科書を見れば、委任は無償が原則だと書かれている。不思議ですよね。委任についての論文を片っ端から読み進めても、「例外」である有償委任の話ばかり出ている。「原則」であるはずの無償委任にかんしては、ほとんど取り上げられていなかったのです。

 誰も論じていないなら、自分が研究してみよう――本当にシンプルな動機で、「委任の無償性」というテーマに取り組むことを決めました。当時の民法学においては、はっきりいって無名の問題でした。にもかかわらず、「面白い」といって背中を押し、論文を書かせてくださった指導教授の先生には、いまも感謝しかありません。

 さて、ここから先は、委任とは何かという基本的な話を、すこし専門的な表現を使いながら進めてみたいと思います。

 民法第643条には、このようにあります。

 「委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる」

 ある人間が、別の人間に「法律行為をしてください」と委託し、相手が「いいですよ」と承諾すると、委任の効力が発生する、ということが書かれています。この法律行為というのも本当はややこしい話なのですが、ひとまず、法的な意味での権利義務関係を生じさせる行為、というように説明しておきます。

 ところで、実は先述した弁護士や、司法書士などの準法律家は、このような法律行為に関連する業務に携わっているのですが、医師の診療行為は、法律行為には含まれません。委任にかんする条文の最後、第656条に、

 「この節の規定は、法律行為でない事務の委託について準用する」

と書かれていて、委任は、法律行為ではない事務処理の委託にも準用される、ということになります。これを、準委任といいます。もっとも、契約の目的が法律行為であるか否かは、実際にはあまり重視されず、通常は、狭義の委任と準委任を包括して、広い意味で「委任」という言い方をします。

 このような委任は、すでにお話したとおり、無償と有償のいずれも可能です。つまり、委任とは、法律行為と法律行為でない事務(事実行為とも言います)のいずれも目的とし、無償または有償でなされるという、非常に広い契約概念なのです。これまでの話をまとめると、委任とは、無償または有償の事務処理契約だ、ということになります。

 ただ、こうした委任のうち、委任が議論される場合も、専門家への事務処理の委託である有償委任が主であり、だからこそ、語られざる無償委任のことを私は考えるようになった――というのが、先ほどまで述べてきた話を、ある程度法学的に整理した流れになります。

 日本ではまだ議論されることの少ない無償委任ですが、研究していくと、さまざまな論点があるのです。たとえば日常生活では、「好意」にもとづいた口約束というものは多いですよね。日本ではかつて、好意からなされた子どもの見守りをめぐる「隣人訴訟」という事件があって、日常生活上の好意と無償委任という契約の境界がどこにあるのかが争われたことがあります。いったい、好意の口約束は、どのような条件のもとで、法的拘束力を持つ無償委任という契約になるのか。

 ドイツ民法は、実は、委任は原則ではなく、完全に無償である、という立場です。そんなドイツで議論された例のひとつなのですが、ある人物が、仕事にかかわる手紙を友人に託し、投函しておいてほしいと頼んだ。しかしその友人がポストに出し忘れてしまったために、損害を被った。では「ポストに投函するという約束」は無償委任なのでしょうか。果たして、法的な責任は問えるのか。

 あるいは、電車のなかで、荷物をすこしのあいだ置いて席を立とうとした人が、隣り合う乗客に荷物を見ておいてほしいと頼み、相手も了承した。けれど戻ってみたら、隣の人が見張っていなかったために、その荷物が盗まれてしまい、訴訟になったという例もあります。

 当事者にとっては大変な出来事ですが、興味深いですよね。無償委任というテーマが、多くの問いに満ちていること、その一端を、ご理解いただけたのではないでしょうか。インタビューの後編では、この無償委任の話を掘り下げつつ、私が最近関心を抱いているもうひとつのテーマ――委任の利他性についても、お話してみたいと思います。

 

 

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一木教授が見つめる、委任の利他性、そして、委任契約はいつ終わるのかという問い

 

 

 

 

一木 孝之

研究分野

民法

論文

委任者に生じた事情と委任の終了可能性 ―契約関係の終点および始点をめぐる研究序説―(2023/03/10)

委任の利他性-委任の解除、ならびに受任者の経済的不利益等の填補をめぐってー(2019/01/26)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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