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大学生におすすめしたい
伊藤教授の1冊 (後編)

思い出の本棚 Vol.1(文学部 伊藤 龍平教授 後編)

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文学部 教授 伊藤 龍平

2022年4月14日更新

 「お説教じみたことは、私にはいえないんですよ……(笑)」と、伊藤龍平・文学部日本文学科教授はいう。自身を振り返ってみると、人生も読書も、最短距離ではなく、ゆらゆらと歩いてきたからなんです――そういって、伝承文学の専門家はやさしい表情で笑ったのだった。

 新シリーズ『思い出の本棚』の第一回。サマセット・モーム『月と六ペンス』をおすすめするインタビュー前編に続く後編では、知らない世界に触れる読書、その面白さを考える。

 

 

 読書は何か知識を得るためだけのものではなくて、考えるヒントになるようなもの。そう、私は感じています。

 答えじゃなくて、問いを見つけるようなところがあるんじゃないか、という気がするんですよね。別のいいかたをすれば、結果じゃなくて、過程を楽しむものといいますか。

 よく、読書と旅は似ているといわれますが、本当にそう思います。一冊の本を読むのには、短くても数時間、あるいは数日、長ければ数週間とか数カ月というように時間がかかるものですが、そのあいだの経験、過ごす時間自体が、とても大切なんですね。それはやっぱり、旅と似ています。

 私たちはインターネットで検索すればすぐに答えが見つかることに慣れていて、とても便利なのですけれど、そのぶん「検索して出てこないものは最初から存在しない」ように、いつの間にか感じてしまうおそれがあります。すくなくとも、検索で出てこない世界を想像しにくくなっているのではないかと思うんですね。

 旅行をしていたり、本を読んでいたりすると、そうした検索で出てくるもの「以外」のものが見えるようになってくる――そんな気がします。

 たとえば、私がかつて赴任していた台湾にはタロコ峡谷という、まるで360度パノラマでこちらに迫ってくるような、見事な峡谷があります。その世界は、画像検索で出てくるような小さな写真のフレームには、なかなか収まらないものです。そういった世界があるということに、旅は生々しく気づかせてくれます。

 いまは、旅はなかなかできませんけれど……なおさら読書で見えてくる世界はあるのではないでしょうか。知らない世界へと、自分の想像力を駆使しながら、時間をかけて入り込んでいく。その過程のなかでこそ、感じ取ることのできるものがあるはずです。

 (小説やエッセイに登場するタロコ峡谷は台湾有数の観光スポット。日本統治下の悲惨な抗日戦争の歴史も残す)

 その読むプロセスのなかでためしてみてほしいのが、インタビュー前編でお伝えしたような、本のなかに“異なる視線”を持ち込む読み方です。

『月と六ペンス』の主人公のあり方は、脇役の人からどう見えていたのだろう、タヒチの人の目にはどう映っていたんだろうか。そうした読み方ができると、共感したり反感を覚えたりしながら、本をもっと楽しめるのではないかなと思います。

 もうひとつお伝えしたいのは、“無駄”を大事にする、ということですね。無駄というと言葉が悪いようですが、ゴールに向かうために最短距離で突き進むよりも脇道にそれたりしながら、てくてくと歩いていくほうが、私には性に合っていますし、おすすめできるんじゃないかなと感じます。

 実際、若いころの私は本当に乱読、雑読でした。いえ、いまでも専門書を読みながら、どうしてもそれ以外の本へと手が伸びて、乱読・雑読になってしまいがちなのですけれど……(笑)。

 『月と六ペンス』を読んだころ、高校生から大学の学部生時代にかけての私の読書というのはSF、推理小説、怪奇小説――次から次へと読んでいた記憶があります。

 そのなかで出会ったのが、『月と六ペンス』なんです。今回、おすすめの一冊ということでパッと思いついたということは、それだけ心の底に残っていた作品だったということですし、それは脇道から脇道へと逸れていく、“無駄”がたくさんある読書だからこそ出会うことができたのだと思います。あっ、もちろん古典や純文学も(笑)。

 ぜひ、“無駄”をおそれないで読んでみてください。自分にとって大事だと思っているものがそうでもなかったり、大したことがないと思っていたものが実は大事であったりと、いろんな発見があるはずですから。

(『月と六ペンス』も新訳が刊行されている。比べて読むのも楽しい)

 実は私自身いまも、読むものを広げてみたいな、と考えているところです。

 活字離れなどといわれますが、私の実感としては、普段触れ合っている学生さんたちはよく本を読んでいる気がします。そして、若い読書好きの皆さんのあいだで、ライトノベルは人気のジャンルのひとつです。

 日々の忙しさに追われてしまって、私自身、まだきちんと読めていないんですけれど、きっとライトノベルも深い世界なんだという予感がしています。

 「ライトノベルをきっかけに、文学に関心をもってほしい」という意見を見かけることがありますが、そういうことではないんじゃないかな、とも思います。おそらくライトノベル自体が、深い世界だろう、と。

 たとえば、最近のライトノベルでは「異世界もの」が流行っていますよね。実は民俗学の観点でいうと、「他界」や「異界」という概念につながるものです。とても豊かな世界が広がっているはずで、先入観を持ってしまってはよくないと思うんですね。

 学生の皆さんに「毛嫌いしないで古典を読みなさい」だなんて説教じみたことをいう大人の側が、最初からあるジャンルを毛嫌いするのは、非常によくない話ですよね。

 ですから私も、時間ができたらライトノベルをちゃんと読んでみたいと思っているんですが、なかなか時間がとれなくて……いや、それも学生の皆さんと同じですね(笑)。ぜひ本を手に取って、未知の世界をのぞいてみませんか。

 

 

 

伊藤 龍平

論文

「「語り手論」夜明け前―野村純一『全釈 土佐日記』を読む―」(2021/03/31)

「アマビエ考―コロナ禍のなかの流行神―」(2021/03/31)

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