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大学生におすすめしたい
伊藤教授の1冊(前編)

思い出の本棚(文学部 伊藤 龍平教授 前編)

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文学部 教授 伊藤 龍平

2022年4月14日更新

 

   

 新シリーズ『思い出の本棚』が、スタートする。本学の研究者たちが、学生におすすめしたい書籍を紹介する、新たな出会いのシーズンにぴったりのシリーズだ。

 記念すべき第一回に登場するのは、伊藤龍平・文学部日本文学科教授。未来を歩いていく大学生、その胸のうちに秘めておいてほしい“情熱”を描いているという、サマセット・モーム『月と六ペンス』を取り上げる。自身の青春時代に読んで、衝撃を受けたという一冊だ。

 【後編】大学生におすすめしたい伊藤教授の1冊

 

 学生時代に読む本というのは、「道が定まっていない」ときに読む本なんだと思います。私もそうでしたし、いま、教壇に立っている先生方にもきっと、「まだ何者でもない自分」というものを感じながら過ごしていた時期があったはずです。

 私が皆さんにおすすめしたいのは、そうした日々のなかで読む本なんですね。もちろん研究書も論文も、読むと面白いのですけれど、それはある程度道が定まってから読むものなのかもしれない、とも感じます。そうではない、将来が漠然とした青年期に読んでもらいたい本――こう考えたときにふと思い出したのが、私自身が高校2、3年生のころに読んだ、サマセット・モーム『月と六ペンス』でした。

 この小説には、本当に自分の好きなものだけを追いかける人生の素晴らしさが描かれています。他人にどう思われようと、自分の人生は自分のものです。悔いのない人生を送ろうという気持ちにさせてくれる、そんな一冊なんですね。社会に出る寸前の大学生というタイミングで読むのには、いい本ではないかなあと考えています。

(中野好夫訳 新潮文庫 1959年)

 まずは『月と六ペンス』が、どんな小説なのか見てみましょう。

 ロンドンで株式仲買人として働いているストリックランドは、平凡な中年の男で、夫人や子どもと共に穏やかに暮らしていました。しかしある日突然、妻子を捨てて、画家になるためにひとりでパリに向かってしまいます。かれが絵描きになりたいと思っていたなんて、周囲にいた人物は誰も知らなかったので驚くのですが、本人はなんのその。貧乏暮らしをしながらも情熱を抱きつづけ、やがてタヒチに向かい、病魔におかされながらも絵にうちこんでいく――そんな小説です。

 ラストシーンを読み終えた高校生の私は、衝撃を受けてしばらくボーっとしていた記憶があります。面白い本にはたくさん出会っていたのですけれど、そうした感慨を受けたのは、このときが最初だったかもしれません。

 主人公の胸のなかにはずっと、普段人に見せているのとは異なる、「別の自分」がいたんだと思います。それがある瞬間にはじけて、一気にそちらに向かって歩んでいく。

 いえ、私は決して、自分探しをするために本を読もうといっているわけではないんです。自分を変えなきゃいけないからと、読書をする必要はないと思います。自分なんてそんなに変わらないものですし、放っておいても変わっていくものですから、無理に変えなくてもいいよ、と。

 ただ、これから生きていくときに、この主人公のような「別の自分」を常に持っておくということは、心の張りになるんじゃないかな、という気はするんです。「別の自分」というものを、いつも胸のなかにたぎらせておく、ということですね。

 私自身、この小説にすくなからず影響を受けてきたところがあります。実は私も、自分が好きなものではない道に進みかけたときがありました。大学受験をしたときに、いくつかの大学・学部に合格したんです。ただ、それは私自身の興味からは、すこし離れたものでした。せっかくの4年間なのだから、自分が好きなこと、やりたいことをやろうと思って一浪し、改めて受験して、本学の文学部に入学したんですね。

 その18、19歳のときの私の頭には、どこか『月と六ペンス』の主人公のことがあったんじゃないかなあ、と思います。

 きっと学生の皆さんの心のなかにも、この主人公と似たような気持ちは、既にあるんじゃないでしょうか。ストリックランドが胸のうちに持っていたものは、そんなに特殊なものではなくて、だからこそ共感できるところがある。名作として読まれつづけてきた理由のひとつでしょう。実はもう答えは皆さんのなかにあって、それに気づかせてくれるのが、この小説なのかもしれません。

(主人公のモデルとなったゴーギャンの作品 シカゴ美術館所蔵「テ ラウ ラヒ」(1891年))

 もちろん、「100%、この小説の主人公のように生きろ」とはいいません。というより、実はこの主人公は、問題ぶくみのところがたくさんあります。それはモデルになった実在の画家・ゴーギャン自体が人間的な問題を抱えていたところもあるからなのですけれど……。 たとえば、まわりの人間、特に女性を次々に傷つけていってしまいます。

 そうした描写は、私たち自身が「読み直す」ことができるといいですね。捨てられてしまった妻や、その兄といった「脇役」たちの目に、主人公はどう映っていただろうかと考えてみるといいと思います。

 あるいは、文明を捨ててタヒチに向かう描写などには、植民地主義といわれる根深い問題が潜んでいる。これもまた、タヒチの人びとから見たストリックランドのことを想像してみるとよいでしょう。

( 作者のサマセット・モーム)

 こういった点をきちんと踏まえておけば、やはり大切なことを伝えてくれる小説だと思います。

 好きなことをつづけることには、もちろん楽しいだけではなく、過酷さもある。主人公は自分の理想とする絵、その画境にどうしたら近づけるか苦闘します。芸術と向き合うことは魂と向き合うことですから、その大変さも描かれている。

 それでもなお、大変さのなかから楽しさが見えてくるというのは、私自身が研究の道において実感していることでもあるんです。

 この『月と六ペンス』を踏まえながら、インタビューの後編では、読書ということにかんして、もうすこしお話ししてみたいと思います。私は最近、ライトノベルが気になっているんですよね。

 

伊藤 龍平

論文

「「語り手論」夜明け前―野村純一『全釈 土佐日記』を読む―」(2021/03/31)

「アマビエ考―コロナ禍のなかの流行神―」(2021/03/31)

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