日本では災害や戦災、そして高度成長期以降の都市開発の中で、地域の歴史を感じさせる建物や環境が多く失われてきました。現在も成長の最中にあるアジアに目を転じてみても、社会経済の発展が都市の歴史的環境を脅かすという状況は、さまざまな都市や地域で生じています。
都市も、そこでの人々の暮らしも、常に変化し続けるものですが、その中で継承されてきた歴史や文化は、地域のアイデンティティと個性の源です。
歴史的環境を損ねない都市発展、そして変化し続けることとともにある保全。そのカギになるのは何なのでしょうか。アプローチは地域ごとに異なるはずだけれども、共有できるものもあるのではないだろうか―。そんな意識のもと、共同研究者とともにアジアの複数の地域を対象に研究を行ってきたのが観光まちづくり学部の藤岡麻理子准教授(専門:文化遺産学、歴史的環境保全)です。
【後編】地域や社会の中での歴史・文化の位置づけを考える
―― アジアではどのような都市で歴史的環境の保全が行われているか
マレーシアのジョージタウンは一つの例に挙げられます。ペナン州の州都であるペナン市の中心部に位置し、マラッカとともに、2008年にユネスコの世界遺産に登録されました。文化遺産として登録されたマレーシア最初の世界遺産です。
ジョージタウンには、ショップハウスと呼ばれる伝統的な建物が連なる町並みが広がっています。ただ、それは古くから文化遺産として守られてきたわけではありません。歴史的な地区を保全対象とする法律は2000年代に入るまで存在しませんでした。それでも歴史的な町並みが残されてきたことは、第二次世界大戦後に制定された家賃統制令が大きく影響しています。同法令下では、主に戦前の建物が指定され、家賃の引き上げが禁止されていたために、所有者は市場価格より低い家賃収入しか得られず建物の更新などが妨げられていました。また低家賃が維持されていたために、元の住民が住み続けることができ、地域のコミュニティが維持されていました。
しかし、それでは都市の経済発展は滞り、老朽家屋も増えていきます。そのため、2000年に家賃統制令が撤廃され、その後、家賃上昇と、周辺地区における低コスト住宅の建設が相まって、住民の域外への転出が進んでしまいました。世界遺産登録を目指す動きは1990年代にはじまっていましたが、その一つの背景には、いずれ家賃統制令が撤廃されれば町並みが失われるという危機感もあったといいます。
2008年の世界遺産登録やグローバル化の進展に伴い、こうした空き家に外国資本を含む観光産業が流入し、特に用途やコミュニティは変化してきています。歴史的建造物に関しては、世界遺産登録を目指す中でマレーシアでは国家遺産法が制定され、国家遺産に指定されたものもありますし、現在は特別地区計画が策定され、町並みを構成する物理的要素に関しては細かなガイドラインが示され、保全が図られています。一方、地域の歴史的・文化的価値や「らしさ」は、多文化性や伝統産業などにも依拠するものです。法律や計画ではコントロールすることが難しい人々の有機的な営みへの対応も課題です。
ジョージタウンでは藤細工や金細工、木工など、さまざまな伝統産業が営まれてきました。無形文化遺産と総称されることもあるそうした伝統は、全体としては衰退しつつあります。機械化やグローバル化、生活慣習や価値観の変化が進む中では、あらゆる営みをそのまま継承することは難しく、現実的ではありません。「この仕事をやりなさい」と押し付けることもできないですし、すべきではないでしょう。そうした中で、若い人たちにその仕事を体験してもらい、技術や産業の継承につなげようとするプログラムや、失われつつある無形の文化遺産をできる限り記録に残すことで継承しようとするプログラムが地域のNGOによって行われています。
―― 歴史地区で生活する現代の人々は伝統をどう取り入れているのか
ジョージタウンには、ローカルな食堂やコーヒーショップ、屋台も残る一方、世界的な飲食チェーンも増えています。例えば、どの海外都市に行ってもスターバックスは人気で、マレーシアでもそれは同じです。しかし、地元の人に「スタバとコピティアム(マレー語で伝統的なコーヒーショップのこと)、普段はどっちにいくのか」と尋ねると、もちろん実際は、その時々で選んでいるのだとは思いますが、「コピティアム」と話していました。行きつけの屋台がある人も多いです。
生活の場である都市は変化し続けるもので、社会変化が著しい時にはなおさらのことです。しかし、そこに暮らす人々が暮らし方をすべて一新するわけではなく、残るものがある、というのは印象に残っています。
―― 都市保全を考えるうえで重要なことは
保全することが単に人々の我慢や負担になってしまわないようにすることは大切です。豊かな暮らしや経済が回ることが確保されないと、景観や伝統的な営みが残ったとしても地域が持続することが難しくなります。
一方で、例えば観光開発が進む中でまちの様子がガラッと変わってしまうと、最初は賑わうかもしれませんが、繰り返し訪れたいと思う人は減るでしょうし、地域らしさを支えていたシステムも崩れてしまいます。
保全とは本来、発展や変化を内包するものです。守ること、変化することのどちらか一方に偏るのではなく、いずれも持続性という枠で留まるように考えることが重要だと考えています。(後編に続く)
藤岡 麻理子
研究分野
文化遺産学、歴史的環境保全
論文
1954年ハーグ条約の定める軍隊の組織, 規則, 命令等に関する規定の履行状況 : 「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」の履行状況とその課題 その2(2008/07/30)
1954年ハーグ条約に基づく履行状況報告書とその内容 : 「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」の履行状況とその課題 その1(2008/04/30)