比較歴史分析という手法で、政治学や行政学を研究する國學院大學法学部専任講師の羅芝賢氏。彼女が研究するさまざまなテーマは、自身が感じた「なぜこうなっているのか」「なぜこういった違いが生まれたのか」という問いが出発点になっているという。そして、その問いを突き詰めることにこそ、政治学の役割があると考える。
問いを出発点に研究する重要性とはどんなものか。また、彼女のいう政治学の役割とは。羅氏の研究に対する姿勢に迫った。
【前編】行政や政治のあり方を地域と歴史、2つの軸で分析する「比較歴史分析」とは
生活の中での素朴な問いが、政治学の研究テーマにつながる
生活する中で、あるいは社会に対して、ふと「なぜ?」と疑問を感じる場面もあるだろう。実は、そういった素朴な問いが政治学につながることもあるという。
「たとえば、なぜ人間は穀物を主食にするのか、よく考えてみると不思議ではないでしょうか。じゃがいもだって主食になれたかもしれないのに、どうして多くの国では穀物なのか。この問題について、政治学者のジェームズ・C・スコットは、『反穀物の人類史』(みすず書房)という本の中で、古代まで歴史をさかのぼって、穀物は税を取る国家の役人にとって都合の良いものだったからだ、と指摘しています」
穀物は地上で収穫する品種であり、収穫時期もおおむね決まっている。収穫後も蔵で保管するため、誰がどれだけ貯蔵しているかを把握しやすい。それに対してジャガイモは地中にできるので把握しにくい。そのような穀物と徴税との関係が、スコットの著書に述べられているという。
「なぜ」という問いが、政治学につながっていく一例だ。
羅氏も、自身の抱いた問いを出発点に研究することが多く、だからこそ問いの立て方は重要だという。そこで大切にしているのは、その問いが「パズル」として成り立っているかどうかだ。
「パズルとは、ひとことでいえば反直感的な事実。もう少し噛み砕くと、世の中には我々が当たり前だと思っているさまざまな常識、いわば通説がありますよね。それを覆すような事実、通説では説明ができない事実を見つけたときに『これは良いパズルかもしれない』と思うのです」
パズルという概念は、政治学者のヤン・エルスターの本で学んだもの。羅氏が研究してきた国民番号制度(前記事参照)でいえば、技術が進歩するほど国民番号制度のような監視の技術も発達するという通説がある。しかし、情報技術を先に発展させた国が、必ずしも統一的な国民番号制度の導入に成功したわけではない。これも、通説では説明がつかないパズルだ。
なかでも日本は統一的な番号制度がなかなか導入できなかった国といえる。その理由としてよく言われるのは、「日本人のプライバシー意識が高いから」というもの。しかし、羅氏はそれが根本的な原因とは思えないと考えて研究を始めた。
「気をつけなければならないのは、パズルだと考えているものが本当は存在していない可能性です。国民番号制度の研究をはじめるときも、本当に世界各国で多様な制度が運用されているか確かめておく必要がありました。そこで各国の行政組織に問い合わせ、また報告書なども調べながら、まずは自分が見つけたパズルが本当に成り立つかを確認しました」
政治学者としてうれしいのは、説明する言葉を与えること
パズルの話を含め、羅氏の研究は徹底して「なぜ?」という問いに向き合ってきた。そしてその姿勢こそが、政治学が果たすべきひとつの役割につながると考えている。
「生活の中で生まれる『なぜ?』という感情は、多くの場合、そこに社会との摩擦や怒りがあるのだと思います。政治学に携わる人のひとつの役割は、摩擦を感じている人に対して、その状況を説明する言葉を与えることではないでしょうか」
だからこそ、多くの人が政治学の文献に触れて「自分の疑問を説明する言葉を見つけたなら、それが政治学者として一番うれしい瞬間である」と話す。言葉を見つけずとも、世の中にいろいろな見方があることを知るだけで、政治学に触れる価値があるという。学生にも、政治学の授業を通してそんなことを伝えている。
自身の問いを大切にし、研究に励む羅氏。その根底には、社会への摩擦を感じる人たちの一助になりたいという思いがある。
羅 芝賢
研究分野
科学技術と行政、比較歴史分析、行政学
論文
疫病と酸っぱい葡萄—感染経路追跡にまつわる権力手段について (特集 統計学/データサイエンス)(2020/09/)
行政改革とマニュアルの生成、その絶えざる悪循環について (特集 コンプライアンス社会)(2019/10/)