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歴史の中に置き去られた「コード」を復元するところに考古学のポテンシャルがある

深澤太郎 研究開発推進機構・准教授 後編

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研究開発推進機構 准教授 深澤 太郎

2022年1月8日更新

 「あれもやりたい、これもやりたいという感じで、人生がいくつあっても足りないですね」と、深澤太郎・研究開発推進機構准教授は笑いながら話す。軽やかなフットワークで時代や地域を横断する研究のありようは、考古学に秘められたポテンシャルを、十全に発揮させようとしているようにも見える。自らの歩みを振り返るインタビュー前編につづき、後編は“考古学再考”のような内容に。

 

 

 「マツリのアトの静けさ」。インタビュー前編で触れた言葉ですが、考古資料というものは、それだけでは何も語りません。いわば、掘って出てきたモノは、すべてが「マツリのアトの静けさ」の中にあります。それを語らせるための仕組みといいますか、回路が必要になる。

 その回路のひとつが、既にお話ししてきたような時代遡及的な考え方です。考古学なら“最古”を探らなければといって、いきなりルーツを特定しようとしても、わからないことが多くてうまくいかない。そうではなく、より現在に近い時代においてわかっている物事から、過去に遡って解釈をしていこうということですね。

 かつて1960年代から70年代にかけて、アメリカの考古学界を起点にして、「ニュー・アーケオロジー」という動きが流行したことがあります。その中では、静態的な考古資料から動態的な歴史を復元するために、さまざまなことが試みられました。たとえば現代の無文字社会と、先史時代の社会を比較したり、同時代の文字資料から考古資料を解釈したりする。あるいは土器や石器がどうつくられ、使われ、捨てられたのか、同じ過程を現代の私たちが追体験して検証する、といったように。僕の研究が直接「ニュー・アーケオロジー」に関係しているわけではありませんが、「マツリのアトの静けさ」を前にして、むしろマツリをやっている最中の騒がしさをどう再現しようかとあれこれ考えているという点では、似ているところがあるかもしれません。

 たとえば、僕が調査研究を行っている伊豆諸島では、中世の面影を色濃く残した民俗儀礼が現在も執り行われています。いわば、無形の文化財ですね。決してそっくり昔のまま執り行われているわけではないかもしれませんが、考古資料の――「あたかも」という留保をつけつつですが――同時代資料として扱いうる部分はあるのです。

 これはそのまま、地域文化の保存という現代的な課題と結びついてきます。僕はいつも、失われた過去の物事を考古資料からどうサルベージするのか、ということに取り組みつづけているわけですが、同様に、今目の前でなくなりつつあるものをどうやってすくい取るのかという課題にも直面するわけです。

 客は減り、島々の経済は疲弊し、ただでさえ少子高齢化は進んでいる。記事前編で触れた伊豆修験と同じように、やがて伝統文化が途絶えて消えてしまう可能性は、残念ながらあるわけです。だからこそ、すばらしい文化が残っているということを、調査研究を通じて明確にし、広く知ってもらいたいと感じています。

 もちろん、「それは考古学なのか?」というツッコミはありえますし、僕も自身に問いかけることはあります。

 ただ、実は考古学には、こうしなきゃいけないという常道と言いますか、セオリーがないとも思っているんです。これは学生にもよくいうことなのですが、「〇〇学」という専門性は、方法のひとつでしかありません。「君たちが興味関心のあることに応じて、方法を選べばいいんです」と伝えているんですね。

 医者の比喩を用いれば、研究対象に応じて文献史学のような内科的手法をとってもいいし、考古学の発掘調査のように外科的な研究を行ってもいい。結局は自分が何を知りたいかによる、ということなんです。

 もちろん手広く研究を進めれば、僕のようにたまに混乱することもあります(笑)。それでも、必要な方法を都度取捨選択する、という姿勢が大事だと思います。物質資料を深く、深く研究していく「小考古学」ももちろん重要ですが、隣接する分野に広く目を配る「大考古学」も、同じように重要です。

 それこそ以前に、一見専門外である江戸時代の浮世絵師・鈴木春信の美人画について、論文を書いたことがあります。しかし、普段ものいわぬ考古資料に語らせようとしている僕にとっては、現代人が失ってしまった、当時の人々が共有していた「コード」を復元してゆく、という点においてつながっている話です。

 春信の美人画は、現代の私たちがパッと見れば、どの絵も同じような顔をしていて見分けがつかないかもしれません。しかし、当時の人々は描かれた着物の文様や画面構成から「あ、これは『笠森お仙』だな」とすぐわかったわけです。

 そうした失われた「コード」を、のこされた考古資料から復元する。古墳時代の祭祀を研究する場合でも、中世の修験を復元する場合でも、たしからしい文献などから遡及的に復元する。その復元のための手がかりが、近世や近代、場合によっては今目の前で執り行われている無形の文化財だということさえあるのです。

 古代国家の成立期である古墳時代や、宗教の考古学を中心としながら、こうして忘れ去られた歴史上の部分的な「コード」を復元して繋ぎ合わせ、それらを過去の人々と共有することで、やがて子どもの頃に憧れた「人類とはいったい何者なのか」、という謎に少しでも近づいてゆけないだろうか。

 そう考えながら、日々の調査研究を進めています。日暮れて道遠し、という感じではありますが(笑)。

 

 

 

 

深澤 太郎

研究分野

考古学・宗教考古学

論文

「伊豆峯」のみち―考古学からみた辺路修行の成立(2020/06/18)

常陸鏡塚古墳の発掘調査(2019/12/25)

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