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予約が取れないキャンプ場経営者と考える、若者たちの「疲れ」(連載第11回)

ランタントーク Vol.6 「生き方」<前編>

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経済学部・経済学科 教授 中馬祥子

2022年1月8日更新

新型コロナウイルスは、私たちの「働き方」や「生き方」にも変化をもたらした。たとえばテレワークが増えたことで出社の必要性が減り、勤務地から遠い地域に移住する人も出ている。副業解禁する企業も増え、いままでチャレンジしたくてもできなかった人生の一歩を踏み出そうとする人もいる。

そんな現在からさかのぼること16年前。東京で働きながら、地方にあった手つかずの自然を切り拓いてキャンプ場を作り始めた夫婦がいる。群馬県中之条町でキャンプ場「AUTO-CAMPING BASE NAPi」を営む広川康朗さん・多恵子さんだ。2005年に土地を購入し、会社勤めをしながら10年かけてキャンプ場を完成させた。現在は会社を退職し、こちらに移住している。

セカンドライフや地方移住の典型といえそうな、広川夫妻の生き方。NAPiを訪れる若者の中には、同じように地方移住して「キャンプ場を作りたい」という人が最近多いという。広川さんは「決してオススメしない」というが、キャンプ場を作るのは別にしても、“移住”や“次の夢”を口にする若者が増えているのは確かだろう。

そこで今回、自身も長野と東京とで二拠点生活を始めた國學院大學の中馬祥子教授(経済学部経済学科)と対談。キャンプ場「NAPi」が誕生するまでのストーリーも聞きながら、若者たちの働き方・生き方の背景を語り合っていく。

 

「平日は会社、週末のたびにここに来てテントで寝泊まりしながらキャンプ場を作りました」

広川康 私は新潟県長岡市の生まれで、学生のときに上京して、そのまま電機メーカーに就職。40年ほど東京で暮らしました。キャンプ場を作り始めたのは2005年、49歳のとき。当時、夫婦二人で月2〜3回はキャンプに行っていたのですが、お気に入りのキャンプ場が閉鎖してしまったんです。

 それからはいろいろなキャンプ場を巡りましたが、どうも居心地が良くない。雰囲気やルールがしっくりこなくて、それなら自分たちで作ってしまおうと思ったんです。

広川康朗さん・多恵子さん(左から)は、夫婦二人でキャンプ場を経営している

中馬 すごいきっかけですね(笑)。ここは最初、手つかずの林だったものをお二人ですべて切り拓いたと聞きましたが。

広川多 2年ほどかけて土地を探しました。こだわっていたのは、植林ではなく自然の木々が残っている場所で、ここは一目惚れだったんです。

広川康 キャンプ場を作るからには、お客さんに来ていただかないと困るので、東京から200km圏内、車で2時間ほどの場所で探して、ここを見つけました。本当に手つかずの林だったので、木を切るのはもちろん、建物や電気、水を引くのも全部自分たちでやって。最初は「2〜3年でできるだろう」と軽く考えていたのですが、10年かかりましたね(笑)。

広川多 平日は東京で仕事があるので、週末に来て、日曜までテントを張ってキャンプをしながら作業をしていったんです。

國學院大學経済学部経済学科の中馬祥子教授

中馬 なんとも壮大な話ですね。広川さんとは比べものにならないのですが、私も最近、50歳を過ぎたあたりで二拠点生活を始めて。長野と東京を行き来しています。広川さんも49歳でキャンプ場を作る決断をされたと聞いて、ちょうど私と同じ頃にいろいろ考えられたのかなと。

広川康 当時の定年が60歳で、ふと、このままサラリーマンを10年ほど続けて定年を迎えた先に何が残るだろうと思ったんです。周りの人は「60歳で定年を迎えたら、そこから新しく何かを始めればいい」と言うのですが、本当に60歳から新しく何か始める人をあまり見たことがなかった。それなら、定年を待たずに今から始めようと思ったんですね。

中馬 60歳の節目を控えて、体力のあるうちに新しいことを始めるのは大切かもしれませんね。私は結婚を機に長野へよく行くようになり、その流れで二拠点生活をしようと考えました。子どもの頃、東京の八王子に住んでいて、自然が自分の原風景であったことも関係していると思います。

 長野を訪れる中で、人工物の少ない場所に住みたい感覚も芽生えてきたのかもしれません。たとえば「音」ひとつとっても性格が違います。東京は窓の外からかすかに聞こえる音のほとんどが人工音ですが、長野に行くと、カエルや虫の声に変わります。

キャンプ場利用者の中には、広川夫妻と顔なじみの人も多い

広川多 ここに来る方もよく言いますね。「夜眠っているときに聞こえる音が違う」と。自然の音の中だと「不思議とよく眠れる」という方も多いです。

広川康 土地を選ぶときも、とにかく人工物の見えない場所を探したんです。山の中からでも看板や大きな建物が見える場所は意外と多い。その意味でもここは最適でしたね。

若者が仕事の苦しさから逃れたい理由は「会社経営の変化」かもしれない

広川多 最近は、若い人たちが「ここと同じように自分でキャンプ場を経営して暮らしていきたい」と話してくることも増えましたよね。

広川康 決して若い人にはオススメしないですけどね(笑)。私はあくまでこの年齢だからできるところもある。若い人がこの生活をしながら、たとえば子どもを育てていくのは収入面を考えると大変かなと。副業として始めるのは楽しいと思います。

 いずれにせよ、そういう話をしながら若い人に感じるのは「東京に疲れているのかな」ということですよね。また、仕事を辞めて私たちのような暮らしをしたいと若者が話すのを聞くと、会社や仕事の苦しさから逃がれたいのかなと思ってしまうこともあるんです。

中馬 いわゆる“ゆとり世代”の若者は打たれ弱いなどとも言われますが、経済的に見ると、そういった若者の言葉にも背景があると思います。たとえば高度成長期から1980年代頃までは、自己実現と収入の増加が多くの人にとって重なる時代だったと思います。つまり、自分がやりたいことや会社での仕事を頑張るほど、お金が入ることにつながっていった。

広川康 まさに私はその時代でした。本当に、仕事を頑張れば頑張るほど給料が上がる状況でしたね。

広川康朗さんが感じる「若者の疲れ」は、どこから来るのか

中馬 でもいまの若者、20代から30代前半くらいの人たちは、バブルがはじけた後に生まれ育った世代ですよね。「失われた30年」といわれ、長く経済が低迷する中で、右肩上がりではない中で育ってきた。自己実現や仕事の頑張りと収入の増加が重なりにくい。昔ほど、人生の成功モデルがはっきりしていないと感じています。

 企業も余裕がないので、若者をじっくり育てるのが難しくなります。かつてのように、OJT(On the Job Training:職場での実践を通して業務のスキルや知識を身につける育成方法)で育てる余裕が減り、個人の成長は各々の「自己投資」に託す企業も増えています。それはやはり若い人には厳しい環境かなと。

広川康 私もサラリーマン時代の終盤は、ちょうどその転換期でしたから。成果や効率を求めますし、数字に厳しくなっていきましたよね。

労働環境が厳しいからこそ、若者は自然に癒しを求めるのかもしれない

中馬 従来の「日本的経営」から「新日本的経営」に変わっていく時期だったと思います。ただ、最初から即戦力を求める企業姿勢は、やはり若い社員への負担を大きくしているでしょう。経験値を積む前に成果を求められてしまいますから。

 広川さんがおっしゃっていた若者の疲れや、人生を変えたいという気持ちの背景には、そういった問題も関連していると思うのです。

 

(後編では、「自然の中では格差を作らない」という広川さんご夫妻の考え方から、キャンプ場に見る格差や、これからの私たちの生き方について語ります)

 

 

中馬 祥子

研究分野

女性労働論、非市場経済論、社会的連帯経済、国際経済

論文

「日本における”女性職”の現状:図書館司書を含めた『専門的・技能的職業』に着目して」(2021/11/25)

「市場経済と性差別の奇妙な関係」(2021/06/01)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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