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【先輩に聴く】メダリストの指導に生きた大学時代の経験

全盲選手と挑んだ東京パラリンピック(前編)

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スカイランナー 星野和昭さん(平成16年卒・112期中文)

2021年10月27日更新

 東京パラリンピックの陸上男子5000m(T11※)銀メダリスト、唐澤剣也選手(群馬県社会福祉事業団)。ガイドランナー(伴走者)兼コーチとして指導したのは、國學院大學陸上競技部出身で、山岳地帯を登り下りしてタイムを競うスカイランニングの選手でもある星野和昭さん(平16年卒・112期中文)。2019年の取材で語った「世界の舞台で唐澤選手の努力を実らせてあげたい」との思いは見事に結実。東京大会がパラスポーツの未来につながればと思いを込めて語った。
※T11:パラリンピックでの障がいに応じたクラス分けの表記。Tは陸上競技の走、跳躍種目。11は全盲~視力0.0025未満。

2019年記事「視覚障がい選手と二人三脚で目指す金メダル」
【後編】「東京パラリンピックで感じた日本パラスポーツの課題」

唐澤選手を指導した星野和昭さん(平成16年卒・112期中文)

―唐澤選手の銀メダル獲得の要因は

星野 唐澤選手が東京パラリンピック陸上男子5000m(T11)で銀メダルを獲得し、1500m(同)でも4位入賞を果たせたのは、何より本人の努力に加え、2つの要因に集約できます。一つは、多くの人の協力を得られ、練習環境を整えられたこと。おかげで、日々のトレーニングを継続することができました。これは地域の協力が無ければ難しいことです。もう一つはトレーニングの目的と効果をその都度説明し、彼がしっかり理解して練習に臨んでくれたことです。何のための練習かを理解して臨むというトレーニングの基本に徹したと言いえます。
 練習環境の充実は、前橋市の鍼灸マッサージ院「からだの地図帳」の清野衣里子院長のご尽力によるものです。私も平成28年に、清野院長から「インターンをしている唐澤選手が、パラリンピックを目指して真剣に陸上を始めたいと言っている。ガイドランナー兼コーチになってくれないか」と相談され、唐澤選手と出会いました。清野院長の呼びかけで伴走の協力者も徐々に増え、今では3、40人ほどで練習をサポートしています。皆が唐澤選手を結束して応援しようという気持ちで集まってくれ、「からけん会」というサポート組織もでき、一つのチームとして唐澤選手を支援できたことがメダルの後押しになったと思います。

―指導で特徴的だったことは

星野 全盲の選手の指導は初めてで、引き受けた当初は手探り状態でした。ですが唐澤選手の走りを見て、練習をすればタイムを一定水準まで伸ばせるという確信はあり、最初は土台となる基礎体力づくりに重点を置きました。練習では必ず私が伴走しましたが、彼は体幹が強く体の軸がしっかりしていた。路面状態が悪くても転倒しないし、潜在的な能力の高さを感じていました。
 トレーニングのたび、目的と効果を細かく説明したことですが、これは私が大学時代に受けた指導法の一つ。私が1年生のときにチームは箱根駅伝への初出場を果たし(第77回大会)、3年生のときにも出場しました。当時の森田桂監督は、トレーニングの目的と効果を詳しく説明してくれ、「そうか、なるほどな」とスッキリした経験が何度もあり、この実体験が生きました。人はただ指示されるよりも、頭の中で納得していれば練習にも身が入ります。

 また、自信を持ってもらうため「この練習結果なら10キロはこのタイムが出せるよ」といった声かけを心がけました。私は選手、指導者としての経験から話していましたが、競技未経験の彼は不安だったようです。大会に向かう車中で、ずっと「必ず記録が出るよ」と言い続けたこともありました。そして、彼はレースの度に記録を出してくれました。これは簡単なことではなく、彼の選手としての強さです。そのような経験を何度も経て、自信を深めていってくれました。

―障がい者スポーツに関わって思うことは

星野 なぜ障がい者スポーツに関わるのかと問われると「頼まれれば断れない性格」だから(笑)。また、唐澤選手が競技者としてステップアップしていくことに関われて私自身も充足感があり、サポートの大きな原動力になっています。彼のように視覚障がいを持っていると、走るのにはガイドランナーが必要。走り始めるのに健常者より壁があるというのが現実です。走りたいという彼の願いを諦めさせてはいけないという思いもサポートを続ける理由の一つです。
 東京パラリンピックが無観客開催になり、逆に世間の目が大会に向きパラスポーツへの理解が進むきっかけになったと感じています。重要なのは、大会が終わっても理解が進み、今より障がい者の方がスポーツにチャレンジしやすい社会になるよう、少しずつでも変化していくことです。

 

星野さんは、唐澤選手と共にチャレンジした東京パラリンピックで、パラアスリートやサポートの在り方で日本と世界の違いを感じることがあったという。後編では、その課題や2024パリ大会と自身の今後の夢について伺ってく。


星野和昭 ほしの・かずあき 平成16年國學院大學文学部中国文学科卒業。在学中は陸上競技部に所属し、卒業後は陸上自衛隊を経て上武大学駅伝部コーチに就任し、同大を4年連続で箱根駅伝出場に導く一翼を担った。その後、28年から唐澤選手の指導を任され、同選手の銀メダル獲得に導き、見事に大役を果たした。現役選手として活動しているスカイランニングでは27年のアジア選手権で3位に入賞し、28年の世界選手権には日本代表として出場。現在は競技活動の傍らイベントプロデューサーとして、出身地である群馬県片品村をスカイランニングなど山岳競技や野外レジャーの一大拠点にすべく様々な新事業を立案中。唐澤選手の指導は、3年後のパリパラリンピックでの金メダル獲得を目標に今後も継続する。

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 総合企画部広報課

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