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視覚障がい選手と二人三脚で目指す金メダル

2020年東京五輪・パラリンピックへ―院友たちの挑戦―

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視覚障がい者陸上中・長距離競技ガイドランナー、スカイランナー 星野和昭さん(平16卒・112期中文)

2019年9月21日更新

 2020年東京パラリンピックの陸上中・長距離競技でメダル獲得が期待される視覚障がい選手をガイドランナー(伴走者)兼指導者として、仕事の傍らボランティアでサポートを続ける院友がいます。陸上競技部OBの星野和昭さん(平16卒・112期中文)。ガイドランナーは視覚障がい選手の〝目〟となり、レース中は選手とひもを握り合い、声をかけながら誘導。選手と息を合わせて走ることが重要となり、高い競技力も求められる、まさに選手と一心同体の存在です。自身も、急峻な山岳地帯を登り下りしてタイムを競うスカイランニングの現役アスリートとして国際的に活躍している星野さん。「世界の舞台で選手の努力を実らせてあげたい」と日々の練習に熱が入ります。

星野和昭さん(左)と唐澤剣也選手

夢を断念させてはならない

――ガイドランナーを始めたきっかけは

星野和昭さん(以下、星野) 体のケアをするために通っている前橋市の鍼灸マッサージ院の院長からの紹介で、院長と同じ群馬県立盲学校出身で全盲の唐澤剣也選手(群馬県立点字図書館所属)の東京パラリンピック出場へ向けた指導とガイドランナーを頼まれました。唐澤選手の競技上の障がいクラスは視覚障害の中で最も重い「T11」です。高い指導力と競技力が必要であり、誰にでも務まる役目ではないということは理解していました。一方で、私はスカイランニングの現役選手であり、勤め人としての仕事も持っていますから、はたして時間をつくれるのかという不安もありました。それでも、「ここで断って、唐澤選手の夢を断念させてはならない」「私のランナーとしての経験や実績、指導歴を見込んでもらっているんだ」と考え、引き受けることにしました。東京パラリンピック開催まで、既に4年を切っているタイミングでした。

――全盲の選手に対する指導の工夫は

星野  練習の拠点は鍼灸マッサージ院です。ガイドランナーは現在、私を含めて8人に増え、練習や競技会を交代で務めています。平日は朝夕それぞれ1~2時間、唐澤選手と走ったり、トレーニングのサポートをしたりします。特に朝は、その日の練習担当者が食事を作り、唐澤選手と一緒に食べてから出勤しています。

 練習の全体的なメニューを組み立てるのは、私の役目です。ただ、指導者としては上武大学駅伝部コーチとして7年間の経験がありましたが、それは健常者に対する指導であり、全盲の唐澤選手には一切、通じません。それまでの指導方法が、いかに視覚に頼ったものであったかを思い知らされることになりました。そこで、視覚に頼らず、知覚で走りの技術を身につけてもらう方法を考えました。その一つが、唐澤選手に私の筋肉を触らせて、腕の振り方を再現できるようにしてあげることでした。唐澤選手が鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師の国家資格を持っていて、筋肉の役割や使い方を知識として理解していたことにも助けられました。

ほしの・かずあき 昭和56年生まれ、38歳。群馬県片品村出身。平成12年、國學院大學に入学し、陸上競技部に所属。16年に卒業後、陸上自衛隊入隊に入隊。上武大学駅伝部コーチに就任して以来、同大を4年連続で箱根駅伝出場に導くなど箱根駅伝の常連校に育て上げる一翼を担った。現在は仕事の傍ら日本スカイランニング協会理事を務める。スカイランニングでは27年のアジア選手権で3位、28年の世界選手権に日本代表として出場。スキーモでは31年の世界選手権に日本代表として出場。

ボランティアは私の宿命

――唐澤選手は、自身にとってどのような存在

星野 教え子と見られているのかもしれませんが、逆にいろいろなことを教えてくれる人です。「自分で考えることが大切だ」と唐澤選手にはよく言い聞かせるのですが、意外と私自身が考えていないことに気づかされます。目が見えているからこそ、もっとできることがあるのではないかと考えさせられます。私はスカイランニングやスキーモ(山岳スキー)の日本代表として世界選手権に出場しています。こうした現役アスリートとしての実績は、パラリンピックという世界を目指す唐澤選手に安心感を与えられていると思いますし、だからこそもっと自分が頑張らなければいけないという意欲にもつながっています。

――唐澤選手をサポートし続ける原動力とは

星野 自分の性格を人のために活動するのが好きなタイプだと分析しています。ボランティアでしていることが、自分の喜びに変わっていると実感できるのです。有償でコーチ業をしていたときに比べ、今の幸福度は比べものにならないくらい高いです。

 一方で、私のガイドランナー歴は唐澤選手の伴走経験しかありません。つまり、「ガイドランナーの普及」という観点からは、使命を十分に果たしているとはいえないのです。とはいえ、ガイドランナーが選手本人より目立つことは避けなければなりません。そこで思うことは、主役である唐澤選手が社会に対してガイドランナーの意義を伝えられるよう手伝いができる存在でありたいということです。

 大会に同行して出場するためには長期間仕事を休まなければならないケースもあり、職場との折衝も大変です。時間が足りず、仕事をやめたいと思うときもあります。しかし、縁があって務めているガイドランナーをボランティアとして続けることは、私の宿命だと思うのです。その思いが原動力になっているのかもしれません。

――障がい者スポーツの一端をボランティアで支えることを通じ、感じることは

星野 障がい者がスポーツをしたいと考えたときに、誰もができる環境は本当に整っているのでしょうか。メダルや入賞を狙える人にしか門戸が開かれていないような気がしています。ガイドランナーを例に挙げると、ボランティアで引き受けてくれる人材を集めることは、とても難しいのが現状です。実業団には抱えている選手を1年でもいいので、能力開発の一環としてガイドランナーに派遣するようなシステムをつくってほしいと願っています。

 唐澤選手を支えるガイドランナーの一人に、インターハイ3位の実力を持ちながら箱根駅伝には出場できず、競技からいったんは離れようとした仲間がいます。しかし、彼は唐澤選手と関わることで、アスリートとしての意欲を持ち直し、長距離ランナーとしての素質が再び開花しています。一方で、実業団のバックアップがあれば、志のある有望な選手の助けにもなりますし、競技人口の裾野も広がると思うのです。

学生時代の悲運がステップに

――学生時代の思い出は

星野 スポーツ推薦で入学しましたから、陸上漬けの学生生活でした。授業はきちんと受けていましたが、クラスの仲間との飲み会には参加できたことはありません。長距離走は、中学3年のときにテレビで観戦した箱根駅伝の5区走者に憧れて始めました。國學院大學は私が1年と3年のときに箱根駅伝に出場し、私は6区にエントリーされたのですが、風邪による発熱などで実際に走るチャンスには恵まれませんでした。この経験がなければ、その後も粘り強く指導者やアスリートとしての活動を続けてくることはなかったと思っています。学生時代の悲運は、次の人生へ進むためのステップになりました。

――スカイランニングやスキーモの魅力とは

星野 スカイランニングもスキーモもヨーロッパ発祥のスポーツで、山を駆けながら、スキーで滑りながら登り下りしてタイムを競います。もともと山を登ることが好きで、平成24年に上武大学駅伝部のコーチをやめた後に始めました。魅力は体にきついところでしょうか。ロードの長距離走より、きついです。

――出身地の群馬県片品村で開催されている登山レース「尾瀬岩鞍バーティカルキロメーター」の企画者でもあります

星野 5㎞の間に1㎞登るという過酷なレースで、今年で5年目を迎えました。片品村の経済は冬場のスキー観光で成り立っているため、夏場のスキー場を有効活用しようと発案したものです。今年9月には、村内の別のスキー場を使った登山レース「第1回丸沼高原日光白根山アセント」を開催。どちらも、地域活性化に加え、地元の子どもたちにも参加してもらい、村の魅力を広く発信してもらおうという狙いもあります。来年は日本百名山の1つで片品村にまたがる武尊山でのレースも企画していて、「尾瀬岩鞍」「日光白根」「武尊」の3レースをシリーズ戦にしたいと考えています。東京五輪・パラリンピックと合わせ、スポーツ熱を盛り上げたいです。

――改めて、東京パラリンピックに向けた抱負を

星野 唐澤選手は初の国際大会となった昨年10月のアジアパラリンピック(インドネシア・ジャカルタ)で、T11クラス陸上男子5000mで金メダル、同1500mでも銅メダルを獲得し、東京パラリンピックでのメダル獲得が期待されているほか、今後のタイムしだいではマラソンへの出場も視野に入っています。東京パラリンピックでは、唐澤選手のその後の競技人生のためにも、続けてきた努力を実らせてあげなければなりません。唐澤選手が金メダルを狙える環境づくりはできています。日本代表になって、しっかりと金メダルを手にしてもらいたいです。

メダルで恩返しを―唐澤剣也選手

からさわ・けんや 平成6年生まれ、25歳。群馬県渋川市(旧 小野上村)出身。先天性の網膜剥離(はくり)により生まれながらにして弱視で、小学4年で視力を失う。中学卒業時に光覚を失い、全盲となった。競技クラスは最も障がい度の重い「T11」。競技を本格的に始めて2年余で自身初となる国際大会出場を果たした平成30(2018)年アジアパラリンピック(インドネシア・ジャカルタ)でT11クラス陸上男子5000m金メダル、同1500m銅メダルを獲得。今年11月、アラブ首長国連邦 (UAE)・ドバイで開催される、 東京パラリンピックの前哨戦・世界パラ陸上競技選手権大会への出場が決まっている。群馬県立点字図書館勤務。

唐澤剣也選手 2016年リオデジャネイロパラリンピックで、同じ視覚障がいの選手が活躍していることを知り、自分も挑戦してみたいと考えました。

 星野さんには申し訳ないのですが、指導とガイドランナーをボランティアという形でお願いしています。毎日、熱心に指導していただき、自分のことのように考えてもらっているのだと感じます。「自分で考えないと伸びない」という厳しいアドバイスも、優しさなのだと思います。走りでは、自分に欠けている積極性があり、隣から声をかけて私を引っ張ってくれます。

 星野さんをはじめ、多くの方が私の夢の実現のために協力し、力を貸してくださっています。こうした方々の期待に応えるためにも、しっかりと結果を出し、メダルという形で恩返しをしたいです。

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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