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保護者と大学の昭和、平成、令和
学報で振り返る若木育成会

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2021年5月25日更新

 いつの時代も親は子が気にかかる。國學院大學に子を送り出す保護者と大学を繫ぐ取り組みは、戦後間もない昭和23年に発足した「父兄後援会」に端を発する。

 学生運動が激しくなった40年代。46年11月に「流動化する社会情勢と複雑化する生活環境に対応しつつ、大学との連携を密にし、協力をはかる」(本紙159号、47年1月)目的で「國學院大學父兄会」と改称した。今年は、「父兄会(現在の若木育成会)」設立から50周年にあたる。父兄会改称の前年に福岡県支部が誕生したのを皮切りに支部活動は、50年の沖縄県支部結成で全国56支部に広がった。

「父兄後援会」から「父兄会」への改称を報じる50年前の國學院大學学報159号(昭和47年1月)

 本紙242号(54年9月)には「“開かれた父兄会”へ 普段着の母親増加」という見出しで、全国各地で行われた支部総会の様子を「各会場とも頗(すこぶ)る活況」とし、「母親が多くなり、また普段着で気楽に出席できる雰囲気が醸し出されてきた」と紹介する。

 62年には、現在では恒例となった「キャンパス見学会」を初めて開催。長野県中南信支部の父母が来校した。63年度の支部総会に触れた記事では、「父兄会」という名称が時代にそぐわないのではという記述も。「出席者の多くがお母さん方で占められている現状からみて、もっともなご意見」(342号、63年10月)と当時の校友課長が寄稿する。実際に名称を改めたのは平成9年、渋谷キャンパス所在地の旧名称「若木町」にちなみ「学生(若木)を育てる」の意味を込めて「若木育成会」と改められた。16年からは、支部の集いへの参加を促そうと「若木育成会会報」を「会報 わかぎ」にリニューアルするなど広報活動を強化。各支部の独自の活動への支援も拡充するなど活動の幅を広げている。

 父兄会、若木育成会と大学との連携の中では、学生の奨学金、課外活動、就職活動などへの支援、教育環境の整備などの支援に長年にわたり助成を受けてきたことは忘れてはならない。特に、災害で被災した世帯への経済的支援や家計支持者の死亡などで修学が困難になった学生への支援では、多くの学生に手を差し伸べてきた。また、高校生を対象としたコンテストへの後援や文化講演会の開催など、本学の特色を生かした文化事業にも注力している。

令和元年度若木育成会千葉県支部の集いの様子

 本紙383号(4年6月)には、全国の大学で初めて誕生した父兄会の歌「南に北に花が咲く」と賛歌「われら親バカ」(いずれも作曲は山本寛之さん)を紹介している。作詞は、「貴船たゞし」のペンネームで活躍した元岡山県父兄会副支部長の河野忠男さん。会歌の1番は次のような歌詞だ。「コミュニケーション 年一度/國學院の父兄会/あの顔この顔 その笑顔/いちばん気になる 大学からの/『楽しみですね』の ひとことが/なにより嬉しい 親バカさん」。変わらぬ親がわが子を思う気持ち。保護者、学生と大学の歩みは続く。学報連載コラム「学問の道」(第33回)

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