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これからの祈り~神道文化学部トークセッション~

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神道文化学部 笹生衛 黒﨑浩行 藤本頼生 小林宣彦

2021年4月23日更新

 

 「祈り」とは何か――。
 ささいな瞬間、あるいは心から願うとき。大小さまざまな糸が組み上げられる組紐が、まるで宙に上っていくように、いたるところで人々の「祈り」はささげられている。「祈り」は、どこから来て、どこへ向かうのか。4人の識者が今昔の祈りについて演述する。

 

笹生 衛(さそう・まもる)神道文化学部教授                  

 「日本における祈りの特徴は、日本列島の環境が大きく影響していると考えています。日本は四季の恵みが豊かである一方、複雑な地形に由来する災害も多い。どうしようもない力に対して、コントロールができない、目に見えないからこそ祈る。死者に対する祈りも同様です。
 そして、社会構造が大きく変化する局面で、祈りの本質が変化していくことも忘れてはならないでしょう。今から約1000年前、日本は大きな変革期を迎えます。9世紀後半から10世紀に大きな災害が立て続けに発生し、それに伴い古墳時代から維持されてきただろう地域の共同体――、つまり地域構造が分散してしまった。既存の村はなくなり、新しい村が生まれていく。同時代には、仏教とともに道教が浸透し、個人の救済や除病延命という信仰も広まっていきました。一族や地域の衆で行われてきた祭りも、信仰的な変質と環境の変化によって解体し、祈りに個人主義的な側面が生まれるようになる。
 また、自然災害に加え、関東で平将門が、瀬戸内海では藤原純友が同時期に乱(承平天慶の乱)を起こした影響もあり、社会は不安定になる。そうした中、平安後期に祭礼という構造ができあがる。祭祀は、伊勢神宮の祭りのように静かに厳かに祈りをささげるものとして、以前から存在していた。一方、祭礼は不特定多数の人が集まり、大騒ぎをする――、今につながる祭りはこのときに生まれたのです。
 その中に、志多良神という新たな神を持ち上げる祭りが発生します。この神様はお神輿に乗り、何千という人が歌って踊って大騒ぎをするというものでした。言うなれば、今でいうクラブやダンスパーティーの様相を呈していた。祭礼には、多くの人を熱狂させる、興奮状態にしてしまう力が根っこに備わっているということです。
 祈りや祭りというのは、その都度、新しい時代の局面の中で育まれてきた。経済活動や社会行動を復元していく上で、それらは欠かすことができないことを歴史は物語っているのです」

黒﨑浩行(くろさき・ひろゆき)神道文化学部教授             

 「地方創生、地域再生という言葉が喧伝され、さらにはコロナに起因する移住や二拠点生活といった新しいライフスタイルが提案される中で、地方への関心が高まっている。新しい時代の中で、人々が自然の中で暮らしていく、支えあって生きていくための力の源泉としての祭りや伝統文化、そういったものを改めて見直し、学ばなければいけない状況だと思います。
 事実、新しい試みはさまざまな場所で生まれている。例えば、東日本大震災で甚大な被害に遭った宮城県女川町は、「祭りを復活させたい」という思いから、インターネットを通じてボランティアやお神輿の担ぎ手を募集し、翌年5月に130人くらいの方がお神輿を担ぐに至りました。
 壊れた社殿を修復するためにクラウドファンディングで資金を集める、祭りの様子をリモート配信するなど、地域の共同体である神社を継続させるために、新しいテクノロジーやメディア技術を駆使して、地域の魅力を発信しているコミュニティーは少なくない。遠くに居ながらにして「祈る」だけでなく、「かかわれる」ように変わってきているのです。
 また、熊本県人吉市の青井阿蘇神社も示唆に富んでいます。この神社では、「おくんち祭」といって平安時代から続く神事が行われ、9日間にわたって盛大な祭りが開かれます。ところが、若者を含めた人口減少に歯止めがかからず、危機感を覚えた宮司さんは、今から20年ほどまでに同期生の方々と、地域を活気づけるため、おくんち祭りに関わる文化的な習慣を学び直す活動を始めました。基本から見直したのです。
 時代が下り、当時30代だった人は50代になった。しかし、彼らの子ども世代が30代になり、「おくんち祭」の運営や下支えを立派に行っています。令和2(2020)年7月に発生した熊本豪雨によって球磨川が氾濫し、青井阿蘇神社を含む人吉市は大きな被害を受けました。しかし、この境内には続々と救援物資が届いた。ボランティアも自然と集まった。神社やコミュニティは、力の源泉になりうるのです」

 

藤本頼生(ふじもと・よりお)神道文化学部准教授

 「神社本庁には、毎日、「氏神さまを知りたい」という問い合わせの電話が少なくない。初詣のとき、七五三のとき、厄除けのとき、日本人の関心事として、神社が頭の片隅にあるのだと思います。
 神社は地域コミュニティの基盤だからこそ、そう簡単にはなくなりません。なぜ神社は、近代以降の幾多の危機を乗り越え、残り続けてきたのか。一体、何が残り、どんなことが起きたのか。そういった視点を持つことで、地域に根差し続けてきた神社が、地域社会にもたらすものがより明確化すると思います。
 一方で、ここ数年は一年間で20~30の神社が合祀しており、近年は設立される神社数よりも、合併数が増加の傾向にあるのは事実です。異なる地域の神社を合祀する……これは神様の問題だけではなく、成り立ちが異なるそれぞれの地域の伝統文化や慣習をも合併させることを意味します。神社というのは、まさに人で生きている。人に支えられ、その背中に神様がいる。人々のなかに感じる多様な神々のあり方があり、これを大事にしていかなければいけません。
 神社は、古くて新しい 存在です。2000年の時代を経て、その時々に応じて新しいものや新しいことを取り入れています。古いものにも社会をよくする手段がある一方で、古いものを残すために新しいものを創造しなければならない。
 都市部への人口の一極集中や、地方の過疎化が進む中で、今までの神社の支え方だけでは困難となってきたこともあり、ここ30年くらいで一般化した新しい支え方、考え方もあります。伊勢神宮の神宮大麻(伊勢神宮の神札)など、20数年前から「ふるさと便」といって、氏子区域外に暮らす自分の息子や孫にお札を届けることができるような「祈り」を取り入れる神社もあらわれるようになりました。
 新しい生活様式が求められている――、新しく物事が生まれたり変わったりしているということは、神社の世界、祈りの世界においても、これまでとは異なる新しい形が生まれてくることを予感させます」
 
                                

小林宣彦(こばやし・のりひこ)神道文化学部准教授         

 「“自分の欲望を満たす”というよりも、“自分たちの生活が維持できる”よう祈る。『こうあってほしい』『こうあってほしくはない』、そういったものが日本の伝統的な祈りの姿ではないでしょうか。
 都市に人口が流入してくる平安時代。衛生面の悪化なども重なり、疫病が流行るようになります。陰陽師は、そうした状況下で登場します。公的な祭りに加え、個人的な祈願にも対応するようになり、民間の中でも祭りは一般化していく。そうした中で、神社の神職も個人祈願へと対応していくようになります。
 人は立場の違いによって、神様に対する願いごとやご利益が変わります。京都の伏見稲荷大社は、稲荷という言葉が示すように五穀豊穣の神様を祀っていました。ところが、京都に人口が集中することで商人が増え、五穀豊穣とはさほど関係のない彼らのために、いつしか商売繁盛の意味合いを持ち始めるようになります。今では、産業興隆や家内安全、交通安全などの守護神としても信仰されるようになった。祈りというのは、とても弾力性を持つものなのです。
 個人で生きていくことができるのが都市です。一方、過疎化が著しい地方などは、共同体によって暮らしが支えられています。人口が都市部へと流出し続ける昨今、地方部では共同体の再活用、再活性が必須でしょう。その中で神社が果たす役割は大きい。神社とは人々の生活を支える場所であり、地域社会を支える施設です。神社や祈りは、時代々々に応じるだけの柔らかさを持っているのですから」                      

 

制作:原生林   企画:國學院大學

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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