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地域から観光を考える
~東京・谷中から描く日本の観光まちづくり~

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新学部設置準備室長 西村幸夫

2021年3月18日更新

全国で厳しい状況が続く観光。今だからこそ改めて「地域のための観光とは何か」を考え直すときなのかもしれない。そこで対談したのが、まちづくりの専門家である國學院大學新学部設置準備室長の西村幸夫教授と、谷中の建物の保存や活用に取り組む「たいとう歴史都市研究会」理事長の椎原晶子氏。谷中のまちから観光の未来を語った。

 

コロナ以前に表面化していた観光の課題                        訪れた人を「関係人口」につなげるために

西村 コロナ禍で日本の観光は大きな打撃を受けています。それ以前のインバウンド需要は途絶えてしまいました。しかし当時はオーバーツーリズム(※キャパシティを超えた観光客が訪れること)になりかけていたのも事実ですよね。

椎原 そうですね。騒音やゴミ問題、マナーのない観光客の増加は深刻化していました。谷中もコロナ前はゴミが増えるなど、課題は大きくなっていたのです。

西村 少子高齢化の中でまちを持続可能にするには「関係人口」の創出がカギです。関係人口とは、外から継続的に地域に関わる人材。そのきっかけが観光であり「訪れた人もまちの一員になる」のがあるべき姿です。ただ、コロナ前の観光施策は関係人口につながりにくかった。流行のプログラムで人を呼び、波が去るとテナントも地域を離れていく。焼畑農業のような観光ビジネスは瞬間的な集客・消費にとどまり、継続的な関係人口を生みにくい。オーバーツーリズムはその表れだったのかもしれません。本当に「まちの一員」になれば、観光客はまちや住民に敬意を払うはず。迷惑をかける行為は起きないでしょう。

椎原 谷中は関係人口が多いまちと言えます。もともとが寺町で、お墓参りに訪れる人もたくさんいます。人を迎え入れる土壌はありますが、それでも近年の観光ブームに疲弊している声も聞かれたのです。

西村 観光が住民を疲弊させては意味がないですよね。コロナ禍は、その課題に向き合う期間なのではないでしょうか。

 

自分たちのまちの魅力を再発見するには?外からの視点を生かし、歴史を見つめ直す

西村 関係人口が増えると、外からの視点で思いがけない評価を得ることもできます。住民にとっては当たり前のものも、外から見ると大きな価値になる。自分たちでは気づかないまちの魅力が再発見されるのも関係人口の意義です。

椎原 昔はこの辺りも「古いまち」のイメージで、今のような観光地になるとは想像しなかったでしょう。でもよく見ると単に昔の建物が残るだけでなく、江戸・明治・大正・昭和の各時代の面影がモザイク状に在り続けています。そういった谷中の価値を再発見した人がまちの魅力を磨き直しました。さらに今はアートのまちにもなっています。東京藝術大学が近いだけでなく、古くから木彫や美術設営の職人が多数住んでいました。そういったまちの歴史が地域の価値につながっていますよね。

西村 大切なのはまちの価値をどう見つけるかです。外からの視点とともに、住む人が地域の歴史や成り立ちを熟知するとまちの魅力は再発見されます。そしてその魅力から生まれた観光施策は、一時的なブームに左右されない、まち固有のものになるでしょう。訪れる人もまち自体に興味があるので、深いファンとなるかもしれない。関係人口につながる観光とはそうあるべきだと思います。

明治40年に建てられた市田邸。改築を行い、芸術文化活動の拠点兼住居として活用されている。<撮影:岡田康継 協力:NPO法人たいとう歴史都市研究会>

SCAI THE BATHHOUSEは、200年の歴史を持った銭湯「柏湯」(建物は戦後築)を改装して誕生した現代アートのギャラリースペースだ。<撮影:上野則宏 協力:SCAI THE BATHHOUSE>

日本の生花の歴史を語る上では欠かせない「花重」、店舗は明治10年に建てられた国の登録有形文化財だ。

大丸松坂屋百貨店が運営する「未来定番研究所」も、大正町家の元銅壺屋「銅菊」を改装し、平成30年に誕生した。

 

まちそのものの魅力を伝えると地域コミュニティも元気になる

椎原 まちのファンが増えると、移住してくる人も増えてきます。谷中も特に1990年代から2000年代にかけて、若者が多数移り住んできました。それも住むからには地域の一員になりたい人が多く、町内会やお祭りといったコミュニティへの参加意識が強い。それは、若い人が谷中というまちそのものに惹かれて来たからだと感じています。

西村 そうですね。多くの地域では、たとえ若い人が移り住んでも町内会やお祭りに参加せず継承に苦労している現実があります。もし地域のコミュニティが崩壊すればまちの伝統や歴史といった魅力も失われる可能性があるでしょう。そう考えると、谷中のようにまち自体のファンが移り住むことはコミュニティの継続にもつながると言えます。

谷中に魅せられた人たち ① ギャラリーやカフェ、レンタルスペースとして使われる「HAGISO」。運営する宮崎晃吉さんは、東京藝術大学進学のために上京後、大学院時代から社会人まで「HAGISOの前身となる木造アパート『萩荘』で生活していました」という。一時は取り壊しが決まったものの、リノベーションを経て現在の施設に。以降、宮崎さんが経営者を務めている。近隣のホテル「hanare」も経営しており、HAGISOの2階はホテルのレセプションとなっている。

HAGISOは築60年の木造アパートを改修。解体前に行ったイベントが大盛況、計画が見直されて今の形へと生まれ変わった。
谷中のホテル「hanare」。大浴場は近くの銭湯を、レストランは飲食店を使うなど、まち全体をホテルに見立てるコンセプトで人気。

椎原 さらに、まちのファンとなって移住してくる人は、地域の慣習や文化、景観といった「目に見えない価値」も継承していくと思います。一例として、谷中は昔から職住近接で生活する人が多いんですよね。1階をお店や仕事場にして、2階を住居にするような。実は新たに移り住む方も職住近接を好む人が多い印象。それは谷中の人々の「暮らしぶり」に惹かれたからかもしれません。

西村 時代の中で住民は入れ替わっても、暮らしぶりやコミュニティは引き継がれているということですよね。そういった精神はまちの回復力にもつながるでしょう。日本は災害の多い国であり、ダメージを受けても力強く回復できる「レジリエントなまちづくり」を目指すべきです。では地域の回復力となるものは何なのか。そのひとつがコミュニティの強さです。住民が継承してきた伝統や文化、思いがはっきりしていると、厳しい状況でも取り戻したい「まちの姿」が一致し、復興への結束が生まれやすいのです。

椎原 多くの人が外から移り住んできた谷中ですが、出身や生い立ちの違う人たちが同じコミュニティでうまく結束できているのは、谷中というまちや伝統、文化への一致した思いがあったからかもしれませんね。


谷中に魅せられた人たち ② 谷中で「すし乃池」を営む野池幸三さんは御年95歳。三崎坂商店街振興組合の会長や14ある谷中の連合町会長など、さまざまな職を歴任してきた。そんな谷中の“顔”である野池さんも、もともとは長野県の生まれ。上京して修行後に独立し、寿司屋の出店場所を探す中で「谷中にたどり着いた」という。「ここに住むうちに、谷中の魅力やまちづくりの大切さを知った」と話す。今も若い人から谷中の生活や商売について相談を受ける日々だ。

 

今だからこそ国やまち、住民で日本の観光の未来を議論しよう

西村 まちとして関係人口を増やすためには、政策的な支援も必要。住民の努力だけでは難しい現実もあるからです。まちそれぞれの個性が失われることは日本全体の損失ですから、この時期に国や都市で活発な議論が進むのを期待したいところです。

椎原 その通りだと思います。一時的な観光施策に流れる事情をみつけ改善策を繰り出していかないと。たとえば谷中は東京都心で地価の高い場所です。利幅の出やすい観光客を対象にしないとコストをまかなうのが容易ではありません。そういった背景もあるのです。

西村 日本の観光が均一化・パターン化する理由のひとつでしょう。都市はそれぞれの歴史が幾重にも重なってできており、本来はまち独自の個性が存在している。その個性を見せるような政策の助けが必要です。どのまちもきちんと見れば独自の魅力がありますから、官民ともにまちや観光のあり方を見直すべきでしょう。コロナ禍で近隣を周遊するマイクロツーリズムが脚光を浴びましたが、楽しんでいた人は多かったですよね。修学旅行も近場をめぐる形は意外に好評だったようです。

椎原 自分たちのまちの魅力を再認識したということですよね。それは住民の誇りにもつながりますし、本来の観光の意義だと思います。まちの魅力を軸にした観光を行い、訪れる人も住む人もまちを一層好きになる。それがまた地域を良くします。

西村 しばらく厳しい時期が続きますが、この期間にこそ地に足をつけて将来の観光を考える必要があります。まちそれぞれがどんな魅力を打ち出すか。国や都市はどう戦略を立てていくか。いまこそ、本来あるべき観光やそれを起点としたまちづくりの姿について、議論を深めるチャンスではないでしょうか。

 

このページに対するお問い合せ先: 総合企画部広報課

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