受け継がれてきた「伝統」で、新しい世界を表現する。
連載「伝統をあやなす人」では、文化や芸術、芸能など「伝統」という表現方法で、“今”を描くアーティストのみなさまにお話をうかがいます。
今回登場していただくのは飴細工師の手塚新理さん。飴細工と言うとお祭りの屋台でデフォルメされたキャラクター的な造形が思い起こされるが、手塚さんが作り出すものは既存の飴細工とはまったく異なる。わずか5分で指先が生み出す世界は、もはや芸術。なぜ、このような新境地を切り開けたのか。制作への思い、また後継者育成への思いについて語っていただいた。
「魚は魚の基本形があり、まずそれを作ってから細部の造形をしていきます。でもどんどん固まっていくので迷ってる暇はありません」と、金魚を作りながら語る手塚さん。
伝統は進化するから続く
手塚新理さんは飴細工師である。
もし、飴細工の歴史に分岐点があるとしたら、手塚さんは間違いなくそれを作った人だ。
「伝統継承」という考えにはこだわっていない。
そもそも、誰かに弟子入りなどしていない。
手塚さんが飴細工に目を向けたのは2010年頃。業界自体が先細りになっており、専業で飴細工師をやっている人も少なく、弟子入りしようにも飴細工職人自体がほとんどいなかった。
だから、独学で道を切り開いてきた。
「飴細工自体には昔からの技法やスタイルがあります。私もそれを受け継いでいます。その上で常に新しい挑戦をしていると言えるかもしれません。伝統って、今も残っているものは芸術も工芸も踊りも味も、時代時代が求めるものに合わせて進化していると思います。決して同じ形のままではない。飴を熱して棒につけ、ハサミで切りながら形を作るというやり方は先人たちが編み出したものそのままです。でも、私は作りながら毎回『もっと良くできないか』と考えて試しながらやっている、結果、今のようになったという感じなんです」
「浅草 飴細工 アメシン」花川戸店の体験教室用スペースにて語る手塚さん。
飴細工の勝負はわずか5分である。
専用の容器で90度程度にまで熱した飴をほんの一握りはさみで切り取り、棒の先につける。
ここから飴が固まるまでのカウントダウンが始まる。即座に和ばさみで切って形を作り出していく。重力による変形を防ぐために常にくるくる棒を回しながら細工していかなければならない。
はさみで“切る”といっても、切り捨てる部分はない、棒の先の飴はそのまますべて新しい形に生まれ変わる。私たちが見ている目の前で手塚さんの指先から本物そっくりの金魚が誕生した。
飴細工の原料。デンプンを原料とした水飴である。
手塚さん愛用の和ばさみ。この和ばさみを作っていた燕三条市の職人さんは引退してしまった。残る一人は兵庫県にいる職人さんのみ。こちらにはお弟子さんもいるそうだ。
和ばさみで引き伸ばした部分にはさみの刃でひだをつけていき、指で形を整えていくとたちまち金魚の繊細なひれが再現される。
目の突起も和ばさみの切っ先をわずかに動かしただけで丸くできあがる。口周りやうろこなど細かい部分は後で彫る。
「ちょっと見下ろした角度で見た時に、一番良く見えるように作っています。形は左右対称だと動きが止まった感じになるので、非対称にしています。今、熱した飴を伸ばしたり形を付けたりしたので表面にシワが寄ってすりガラスみたいに不透明になっていますよね。表面だけバーナーで軽く熱してツヤを出します」
バーナーで表面だけを熱してツヤを出す。造形したものが溶けない加減を手が覚えている。
そうするとたちまち、ガラスのような透明感とツヤがさらに躍動感を与えた。
「透明な飴細工を最初に作ったのは私だと思います。飴細工の原料はもともと透明なんですよ。だから『透明のまま細工ができないか』と考えたんです。製品として出すまでには、原料の成分や温度管理などを何度も何度も調整して、2013年ぐらいからやっと出せるようになったんです」
洋菓子にある飴細工からもインスピレーションをもらうことがあるという。
原料が透明なのはどの飴細工師にも周知の事実だったが、誰も透明な飴細工を作ろうとは思わなかった。飴細工の原料は水飴で、古くからの飴細工では熱した後に棒につけて練って空気を含ませる。すると白く濁ってくる。それから和ばさみで形を作るので、出来上がりは当然白くなる。色を付ける場合は食紅を混ぜた。飴細工とはそういうものだと多くの飴細工師は思っていた。
手塚さんはこのやり方もしているが、同時に「どうすれば透明にできるか」を目指した。そして一心不乱に追求し、模索し続けて成し遂げたのだ。
「進化し続けたい」。手塚さんが飴細工を通して常に人々を驚かせ続けている原点はそこにある。
技術を形にするにはむしろ「インプット」が重要
手塚さんの飴細工のもう一つ大きな特徴は造形力である。
金魚、カエル、ツル、コイ、龍、ペガサス、タコやイカなどなど……。空想上の動物も含め、生み出されるすべての造形はリアルすぎるほどリアルである。5分でこれほどの物を作り上げる造形力はどのようにして磨かれたのだろうか。
「うーん、繰り返し繰り返し作り続ける中で、毎回神経を尖らせて、ここはもっとこうした方がいい、この部分はこう表現したほうがいいと思いながら作り続けていくというか……。これを言語化するのはとても難しい。
デッサンやスケッチしたりすることはないですね。観察はしますし、動物の動画を見たりはします。でもそれよりも、作る中でできあがっていくという感じです。毎日の作業の中で『もっとこうしたらいいのでは』と思うことを作りながら形にしてくというか……。このあたりを言葉で言えるようなら、飴細工師の仕事をしてないでしょうね」
目の部分は炭を使う。赤い部分は食紅で着色。
手がその感覚を覚えるまで、繰り返し作り続けるということだろうか?
「それとも違うんですね。特訓するように繰り返し繰り返し作るというより、むしろ吸収することが重要だと思っているんですよ。一般的なイメージでは技術はアウトプットすることであり、アウトプットがすぐれていることが技術と思われがちなんですが、そうじゃないと思っていて。
金属加工の職人さんで、触るだけで0.001ミリの誤差が分かるというような方がいますが、その凄さって誤差が『分かる』ことなんですよね。分かるから、作ることができる。ものから情報を読み取ってインプットする感覚が鋭いかどうかで技術が決まる。だから新しいものを作るときはものを見る視点とかインプットをすごく意識して、ものの粗を見つけるというか、何が違うんだろう、どこがイマイチなんだろうということを手探りしていきます。気づく力を一番大事にしています」
「初めて作るものもデッサンしたりはしません。三面図は書くときはあるかな。高専出身なので、三面図があれば大概の形は作れます」
感覚を鋭敏にして感じる力を高めていくから、つい先日作ったものから今日作ったものはまた進化している。世の中を驚かした、2013年頃の「透明の金魚」について「今となっては見れたもんじゃない」と手塚さんは言う。それどころか「今作った金魚も明日には気に入らなくなってる。よく『最高傑作は?』と聞かれますがとんでもない、そんなものはありません。きっと永久に」というのである。
気づく力を磨くためには、おそらくは血がにじむような取り組みがあったはずである。しかし、透明な飴細工を生み出したときと同じように、手塚さんはその努力を一言も口にしない。有言実行どころか不言実行である。飴細工師になろうと前職だった花火師をやめたときも、半年ほど家にこもってひたすら飴細工の試作を繰り返していたという。その時点では家族にも飴細工師になるとは一言も話していない。「こいつ、何やってんだろうって思ってたと思いますよ、親たちは」と手塚さんは笑う。
新しいものを生み出すためにストイックにものづくりに励む職人の姿がそこにある。同時に、手塚さんは7人の弟子を抱える経営者でもある。後編では次世代育成への取り組みと、手塚さん自身のこれからについて伺ってみた。
手塚新理(てづか・しんり)
1989年千葉県生まれ。飴細工師。手塚工藝株式会社代表取締役。幼少時からものづくりに興味があり高等専門学校に入学、卒業後、花火師として就職するが理想のものづくりの実現のため退職、2010年より飴細工師として活動を始める。店舗「浅草 飴細工 アメシン」として浅草の花川戸店、スカイツリーソラマチ店の2店舗を構える。上海やニューヨーク、バルセロナなどでの実演も行い、世界からも注目を集めている。
インスタグラム @shinri_tezuka
ホームぺージ「浅草 飴細工 アメシン」 www.ame-shin.com
取材・文:有川美紀子 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學