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花田植の飾り牛

今年の干支にちなんで

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文学部 教授 小川 直之

2021年1月27日更新

 広島県西北端に位置する北広島町壬生には「花田植」という行事が伝承されている。「壬生の花田植」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産代表一覧表にも記載されていて、毎年6月第一日曜日に壬生の水田で行われている。

壬生の花田植(サンバイ・早乙女・囃子)※小川教授提供

 これは「囃子田」とも呼ばれ、サンバイと呼ぶ2人の音頭取りが、両手に割竹の楽器であるササラを持って叩たたきながら田植唄の上の句をオヤウタとして歌うと、着飾った早乙女たちが下の句を歌いながら揃そろって稲苗を植えていく。一線に並ぶ早乙女の背後では、男性たちが小太鼓、大太鼓、笛、手打鉦で田植囃子を奏でるが、なかでも大太鼓は飾り房が付く桴(ばち)を両手に持って高く掲げたり、投げあげたりしながら叩き、音に加え動作でも田植を囃している。この囃子田植は、壬生と川東の2つの団体があって、同時に田に入り、田植唄は田の神迎えの朝唄から始まり、昼唄、晩唄と現在では18曲が歌われている。

 この囃子田でもっとも特徴的なことは、田植に先立って背に飾り鞍を付け、幟と花傘を立てた「飾り牛」が田の代掻きを行うことである。昭和30年代から動力耕耘機などの普及によって、日本では農耕に牛馬の姿はほぼなくなっていて、役畜による農耕はこうした場面以外では見られなくなっている。

花田植の飾り牛 ※小川教授提供

 壬生の花田植の飾り牛は、安芸高田市の杉原牧場と北広島町の大朝飾り牛保存会が担っていて、オモウジ(先牛)と呼ぶ先導の牛に続いて十数頭が代掻きを行っている。それぞれの牛は代掻具の馬鍬を引き、牛を操る「追い手」が付くが、代掻きでの田の巡り方には「水見」「八の字」「縦鍬形」「横鍬形」「八重だすき」「鶴の舞もどき」など、いくつもの型があって、実際の農耕というよりも牛を飾って誉める代掻祭りともいえる性格をもっている。

 こうした飾り牛の代掻きがいつから始まったのかは分からないが、津和野藩の国学者である岡熊臣は文化8(1811)年4月28日に岡原(現北広島町)で壬生の花田植と同じような囃子田を見ていて、飾り牛は松竹や鶴亀の飾りや色紙の幣のようなものを附けた鞍をのせていると記している。中国地方では「大山牛供養」などといい、大山の神仏による牛守護と牛霊供養の祭りが各地にあり、花田植の飾り牛はこの祭りとも関連をもっている。近畿地方などには牛を神とする「牛神」伝承もあって、牛は人とともに生きてきた動物だった。

 

 

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