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師との出会いが紡いだ「一生の仕事」

大場磐雄の神道考古学

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研究開発推進機構 准教授 深澤 太郎

2020年12月25日更新

 國學院大學ならではの「神道考古学」を一代で築き上げたのが、「楽石」こと大場磐雄(1899〜1975)である。もっとも、彼が古代祭祀研究に興味の的を絞っていった過程には、幾つかのきっかけがあった。

 第一の契機は、生涯の師となる折口信夫(1887〜1953)との出会いである。ある日、自宅まで折口が訪ねてきた時のこと。2人で土偶を観察しながら、壊れていない土偶が発見された例がないことについて疑問を呈された折口は、「それは大変面白いですネ、きっと欠けると霊力を失うから捨てたのでしょうネ」と答えたという。後に大場は、このような問答が、古代宗教の研究を志した端緒になったと述懐している。

折口信夫博士との会話から研究の端緒となった土偶(茨城県椎塚貝塚出土)

 また、大正14(1925)年から内務省神社局考証課の嘱託となった大場は、課長であった宮地直一(1886〜1949)の下で神宝調査や社史編纂に従事。大正15年に、宮地の名で『神社と考古学』を執筆する機会を得た。そして、昭和2(1927)年の伊豆の調査で、古墳時代の祭祀遺物が多数出土した洗田遺跡を訪問。遺跡の西方に聳そびえる三倉山の山陰へ沈みゆく夕日を拝して「一種の霊感に打たれ」、ついに「古代祭祀址の研究」を一生の仕事と心に決めたというのだ。

大場磐雄博士

 その後の大場は、昭和4年に本学講師となり、昭和10年に「本邦古来の神道を背景とする諸現象を考究する学」として、「神道考古学」を提唱するに至った。さらに、昭和24年から教授となり、昭和50年に亡くなるまで後進の育成に当たった。このような大場の歩みは、彼の日記である『楽石雑筆』に詳しい。そこには、まさに大場が辿ってきた「学問の道」が示されている。最後に、大場が好んで揮毫した歌を一首。

いにしへの手ぶりきはむる
 くさむらにこの一すじの
       小道たどりて

 これまで調査してきた数々の遺跡には、古の人々の生きた証が刻まれている。振り返ってみれば、彼らの足跡を追い求め、考古学の道を、この小さな一筋の道をたどってきたのが、私の人生であった。学報連載コラム「学問の道」(第31回)

深澤 太郎

研究分野

考古学・宗教考古学

論文

「伊豆峯」のみち―考古学からみた辺路修行の成立(2020/06/18)

常陸鏡塚古墳の発掘調査(2019/12/25)

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