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なぜ『日本書紀』は日本を名乗るのか

ゼロから学んでおきたい『日本書紀』 史学から読み解く

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横浜市歴史博物館館長、國學院大學名誉教授 鈴木 靖民

2020年10月20日更新

 日本初の国家による歴史書『日本書紀』が編纂(へんさん)されたのは今から1300年前の養老4(720)年。先に作られた『古事記』とは異なり、当時の国際語である漢文体を採用し、中国で「紀」と呼ばれ時系列で表記する編年体で書かれていることから、外国人が読むことを前提に書かれた史書とされます。7世紀末8世紀初は東アジアの動乱期で、律令制の整備によって各地を治める豪族による首長国連合から古代国家へと生まれ変わろうとする倭(やまと)王権が、「日本」の国号とともに対外的なアピールを狙った『日本書紀』編纂の背景について、「ゼロから学んでおきたい 日本書紀 史学から読み解く」として、横浜市歴史博物館館長で國學院大學名誉教授の鈴木靖民氏に伺いました。

ゼロから学んでおきたい『日本書紀』 文学から読み解く《上》

ゼロから学んでおきたい『日本書紀』 文学から読み解く《下》

天武天皇が即位した飛鳥浄御原宮(奈良県明日香村)。『日本書紀』、『古事記』の編纂はここで始まった

背景に東アジア全体の混乱

 7世紀末8世紀初の前段階として、日本では中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我氏を滅ぼした乙巳(いっし)の変(645年)と、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)が甥の大友皇子(後に弘文天皇)を打ち破った壬申(じんしん)の乱(672年)という2度の政変が起きています。それと並行して倭王権は、数度にわたって朝鮮半島への外征を試みていますが、日本古代史と東アジア関係史を専門とする鈴木氏は、「7世紀後半における政変・外征・内乱は、親百済から一時的な親唐へ、そして親新羅へという外交政策の変化を引き起こし、それが国制や文化の受容・発展に敏感に反映して時代ごとに特色ある国家形成の諸局面を現出した」との論を展開しています。地域ごとの首長国を束ねるだけの倭王権が、周辺の東アジア諸国と影響しあう中で古代国家へと成長する過程こそが『日本書紀』編纂の時代背景だったのです。

 倭国が2つの政変によって揺らいでいた時期、海を渡った朝鮮半島でも大きな動きがありました。660年に半島南西部の百済が、668年に半島北部の高句麗が、それぞれ新羅と唐の連合軍によって攻め滅ぼされたのです。その後、半島統一を成し遂げたい新羅と半島に勢力を伸ばしたい唐との間に軋轢(あつれき)が生じ、唐の干渉は676年まで続きます。その唐にしても、690年に2代皇帝・高宗の皇后だった武則天によって国を奪われ周の建国を許すという事態に見舞われています。このような乱世にあって、新羅・唐ともに日本を取り込むことに腐心しますが、天武天皇は新羅とは通交するものの遣唐使は中断したままとし、この外交方針は次代の持統天皇にも継承されました。このような時代に、『日本書紀』は国際語である中国語を用いた漢文体で、しかも編年体によって編まれたのです。

 「天武天皇が編纂を命じたのは、壬申の乱に勝って国家の枠組みを整えつつあった時期です。7世紀末から8世紀初頭の時期は、集中的に東アジア全体で動きがありました。『日本書紀』という単なる歴史書の編纂だけが進んだわけではないのです。重要な国作りの一環として歴史書が重視されてきたといえるのです」と鈴木氏は解説します。

すずき・やすたみ 1941年北海道生まれ。横浜市歴史博物館館長、國學院大學名誉教授。文学博士。専門は日本古代史・東アジア古代史。『古代の日本と東アジア―人とモノの交流史』(勉誠出版)を令和2年7月に上梓

国号、書名に込めた対外意識

 倭国が唐・新羅連合軍と戦った白村江の戦い(663年)以来途絶えていた中国への使節派遣は、天武天皇と持統天皇の孫に当たる文武天皇の治世で大宝2(702)年に復活されましたが、当時は武則天が唐を簒奪(さんだつ)していた時期で、粟田真人の使節団には国交回復とともに「天皇」号と「日本」の国号を採用したことなどを中国側に伝える大切な役割があったといいます。「大王(おおきみ)」から「天皇(すめらみこと)」へ、「倭」から「日本」へ、天武天皇による中央集権化はそれまでの呼称を次々と改めて古代国家へと脱皮したことを周辺国家に知らしめるアピールにまでなりました。

 鈴木氏は「書名として『日本』を名乗ったということは『日本』と名乗る必然性があったということです。端的にいえば、『日本』と名乗るということで日本の歴史、日本の文化を強烈に意識したのだと思います」といいます。そして、その先にある「唐」の存在を意識しつつ「国号の『日本』は『日(ひ)の本(もと)』という意味ですよ。中国に認めさせたい強烈な思いですよね」と結びます。

 

 

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