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コロナ禍で分断していく世界を、つなぎとめるSDGsの意義
("新しい世界"を生きるための知)

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研究開発推進機構・客員教授  古沢広祐

2020年10月19日更新

 

 

 SDGs(持続可能な開発目標)と言うと、どんなイメージを抱くだろうか。単に国や企業が努力するものとして、自分とは遠い大目標だと感じたり、環境問題に限った話と受け取ったり……なかなか身近には実感しにくいもの、かもしれない。
しかし、アフターコロナにおけるSDGsの意義は、私たちひとりひとりにとって非常に大きなものだと、古沢広祐・客員教授は語る。コロナにより不安定になり始めた世界、私たち市民社会がグローバルに連帯できるかどうか――。その試金石として、SDGsに取り組む必要がある、と。近年、注目されるSDGsを今、アフターコロナ時代の「共存」の手がかりとして再考する。

 コロナ禍が世界に急拡大し続けている中、今年6月中旬、国連SDGアドボケート共同議長であるエルナ・ソルベルグ(ノルウェー首相)とナナ・アド・ダンクワ・アクフォ=アド(ガーナ大統領)が共同声明を発表しました。
ご存じの方も多いと思いますが、平成27(2015)年、国連サミットにおいて採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で示されたのが、「SDGs(持続可能な開発目標)」です。「貧困、飢餓、不平等をなくそう」「気候変動の防止、海や陸の生態系を守ろう」といった17の大目標となるゴールと、それに付随する小目標となる169のターゲットから構成されています。
一方、SDGアドボケート(主唱者)とは、令和元(2019)年5月、SDGsにかんする行動を牽引し、志を高め、グローバルな政治的意志を固めるという任務を国連事務総長から託された17人です。今年6月に発表された共同議長の表明では、下記のように新型コロナウイルスの感染克服への決意が示されています。

 

 
二人の国連SDGアドボケート共同議長。左がエルナ・ソルベルグ(ノルウェー首相)とナナ・アド・ダンクワ・アクフォ=アド(ガーナ大統領)(国際連合広報センターホームページ(https://www.unic.or.jp/news_press/info/38063/)より)

 


現在のSDGsアドボケートメンバー(国際連合広報センターホームページ(https://www.unic.or.jp/news_press/info/33227/)より)

 

 「COVID-19パンデミックはグローバル・ヘルス・システムの危機を白日の下にさらしました。また、2030年までにSDGsの目標3(編注:17のゴールのひとつ「すべての人に健康と福祉を」のこと)を達成できる見通しを著しく損なう一方で、その他すべてのSDGsにも深刻な影響を及ぼしています」
このように現在の苦境を認識したうえで、次のような強いメッセージを発しています。

 「SDGsの一部で前進が損なわれたとしても、意気消沈すべきではありません。むしろ、この行動の10年で『より良い復興』を遂げ、さらに健全、安全、公正かつ豊かな世界をつくるための取り組みを加速し、深めていくきっかけとすべきなのです」

 

 

SDGsでコロナ禍から良い復興を!

 なぜ、今この時期に、こうした決意表明がなされたのでしょうか。それは単純にSDGsを頓挫させないためということではなく、より積極的な意義があると、私は考えます。
なぜならば現在、「共存」よりも、他を押しのけて自分だけが生き残っていくような、敵対と排除、そして分断という負の循環が起こりかねない状況がある。自分達だけが安全で健康であるという状態は成り立ちません。互いに依存しあうグローバル世界の現状において、世界が連帯して問題解決していく道、その理想を再確認する際に、改めてSDGsの意義が明確になるからです。
少し歴史を振り返ってみましょう。第二次世界大戦後、昭和20(1945)年に設立された国連が48年に採択した世界人権宣言では、人間社会のあり方について「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と明言されています。
 平成4(1992)年の地球サミット、そして平成12(2000)年ミレニアムサミットにおける「MDGs(ミレニアム開発目標)」を継承しながら、2001年の世界同時多発テロといった危機を乗り越えて、2030アジェンダで提示されたSDGsは、こうした国連の存在意義、使命の具体的な現れであるわけです。
 しかし今、その土台自体が大きく揺らいでいます。パンデミックにおいては横断的な連帯が求められるわけですが、アメリカも2021年にWHO(世界保健機関)を脱退すると国連に正式通知するなど(トランプ大統領、7月6日付)、足元が総崩れになりかかっている。

 

 状況が厳しいのは事実です。「貧困をなくそう」という目標1があるにもかかわらず世界の貧困率はコロナ禍において上昇し、「質の高い教育をみんなに」という目標4にかんしては、学校に行けなくなってしまう児童が多く発生し、教育の保障が行き届かなくなってしまっている。
 SDGsの構造自体に対する問い直しも起こりうることでしょう。SDGsは条約でも協定でもなく、ボランタリー(自発的)な参加と実践に期待する、という枠組みです。あくまで共通目標であるという緩さが、コロナ禍においては弱さとして露呈してしまった、と見ることができます。
 そもそも、平成27(2015)年の国連サミットでSDGsが全会一致で採択されたこと自体が、妥協の産物であるとも言える。たとえば日本国憲法のような「戦争の放棄」までは組み込めず、SDGsの目標16に掲げられる「平和と公正をすべての人に」というに留まっており、どこまでも、理想と現実の間にギャップはあるわけです。

 

新たな共存の扉を開く

 しかし、それでもSDGsを再び掲げることは重要だと私は感じます。それは、決して国家や企業にとって大事であるだけではなく、私たち個人、ひとりひとりにとって重要であるからです。
なぜならSDGsは、実現に向けては目標17の「グローバル・パートナーシップ」が必要であり、政府のみならず、民間セクターや市民社会がパートナーシップを構築しなければならない、としているからです。NGOなどの市民組織もこれに含まれます。
つまりここで期待されているのは、新しい時代における、国という枠組みを超えた主体の行動であり、そうした主体による国際的かつ積極的な、「連帯と協力」なのです。

 

 SDGsにおいて求められているこうした主体の積極的な関与は、まさに分断に陥りそうなアフターコロナの世界において、求められるものではないでしょうか。だからこそSDGsは見直され、世界が目指すべき目標として、改めて掲げられているのです。
バラバラになりかねない世界を、つなぎとめるSDGsという共通目標。それを我が身に受けとめることは、自分たちのありようを考え直すことにつながります。
ここまでお読みいただけた皆さんにはおわかりいただけることと思います。いま期待されているのは、地球市民社会を構成する、私たちひとりひとりの連帯に基づく行動なのです。

 そもそもSDGs達成度にかんする世界的な調査データを見ると、アメリカに限らず従来の世界の大国が非常に遅れた順位となっていることがわかります。平成28(2016)年に11位だった日本も、令和2(2020)年の最新調査では、17位まで落ち込んでしまっています。私たち先進国と言われてきた国は、いまだに20世紀的な価値観の負の遺産を引きずってしまっているようです。
 その点を明快に示したのがパンデミック発祥地の武漢市に住む女性作家である方方(ファンファン)さんがネットに書いた日記での言葉でした。 “文明の尺度とは、高層ビルや交通網、軍事力、経済・購買力の大きさなどではなく、その国の弱者に対する態度なのです“(文意を編集し簡略化) この言葉が世界的に共感を呼んだのは、世界の現実とあるべき社会の姿を端的に表現したからでしょう。
 近年の危機的事態として、2001年の同時多発テロ、2008年のリーマンショック、そして後に続く震災や異常気象災害、そしてコロナ危機と続発しています。国をまたぐこうした全方位的なグローバル危機に対して、世界の連帯による持続可能な社会の実現として掲げられているのが、まさにSDGsというわけです。SDGsが目指す「誰一人取り残さない」、皆が幸せになる社会像は、今こそ見直されるべきだ、と思います。

 

 

客員教授:古沢 広祐(フルサワ コウユウ)
所  属:研究開発推進機構
研究分野:環境社会経済学、地球環境・エコロジー問題、農業経済学、NGO・NPO・協同組合論
 

 

 

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