「新しい世界を生きるための知」を探究し、アフターコロナ時代の「共存」を模索するシリーズ。第1回に登場するのは、環境社会経済学や農業経済学を専門とする古沢広祐・研究開発推進機構客員教授と、宗教学専門で、非常勤の神職でもある菅浩二・神道文化学部教授だ。本学の「共存学」プロジェクト(正式名称:研究開発推進センター研究事業「伝統文化・神社・地域と共存社会の研究」の推進)の中心となってきたふたりの、前後編にわたる対話から今、一歩ずつ「知」をリスタートさせよう。
古沢広祐(以下、古沢):「グローカル」というキーワードは、國學院大學で「共存学」のプロジェクトがスタートして以来、10年間の歩みでずっと考えてきたものです。
私たちは「共存」を考える上で、相互依存を深めるグローバリゼーションの現実を、「ローカル(地域)」「リージョナル(地域・国)」「グローバル(地球社会)」という3つのレベルで捉え、テーマ領域としては「環境」「経済」「社会」を設定し、学際的な研究を行ってきました。
その歩みを総括して今後を展望する、「グローカル」をキーワードにした公開研究会が、新型コロナウイルスの影響を目の当たりにする中で行われました。緊急事態宣言こそまだ出ておりませんでしたが、参加者が集まること自体も危ぶまれつつある中で、なんとか開催できたのでした。
令和元年度共存学シンポジウム「「グローカル」世界のビジョンを探る~「共存社会」の構築に向けて~」(令和2(2020)年2月18日開催)
スタートから現在にかけて、「共存学」は、まさに私たちが直面している諸問題、それに対する向き合い方を探る取り組みそのものになっていきました。かねてより研究の知見を学生と共有しようと、並行して授業(國學院科目の一つとして)も行ってきましたが、この春は急遽オンライン授業での「共存学」となりました。初回では、とくに「コロナ危機にどう向き合うか」共に考える内容でおこなっています。学生たちも、いま現在作られていく歴史そのものの中に自分たちが生きている、ということを実感したのではと思います。
そこで、敵対・対立・排除という他者否定に陥るのでもなく、共生に至る手前の段階、より土台となるようなあり方として、共存を考えるようになっていったのです。時代が転換していく中で、共存こそが、現実を、そして未来を展望する議論につながっていく出発点だという思いですね。
たとえば20世紀前半、第一次世界大戦における「総力戦」の経験によって、国家は人間や文化を含めた国内のあらゆる資源を、戦争遂行のために機能的・合理的に編成するようになっていきました。宗教、あるいは精神的なものをめぐる価値というものは脇に追いやられていくようであり、動員という面では前面に出ているようでもある。しかも、日本がアジアに対して「共存共栄」を謳ったのは、この時期であるわけです。
人と人、集団と集団、国と国が共存するということは、どういうことなのか、考えさせられる。そしてこの問題はそのまま、現代へつながっているわけです。
私が今考えていることのひとつは、人間という存在が、人間中心主義的な世界観ではなく、生物的存在として――つまりは自然や生命系の中で問い直されている、ということです。私たちにとってはほぼ不可視のウイルスという存在ですが、しかし自然界においてはそうしたミクロな存在が大多数を占めている。そうした世界の一端に、人間は位置しているわけです。昔、天動説から地動説に変化して世界観が大きく転換したように、人間存在の根底が今見直され始めています。こうして組み立て直される世界観は、そのまま宗教学の議論にもつながってくるものでしょう。
対談の後編では、近年議論が進むSDGs(持続可能な開発目標)も含めて、共存の行く末を考えてみたいと思います。
所 属:研究開発推進機構
研究分野:環境社会経済学、地球環境・エコロジー問題、農業経済学、NGO・NPO・協同組合論
所 属:神道文化学部 神道文化学科
研究分野:宗教とナショナリズム論、近代神道史