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コロナ危機の中だから共存が再認識される?!
("新しい世界"を生きるための知)

古沢広祐・研究開発推進機構客員教授 / 菅浩二・神道文化学部教授 前編

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研究開発推進機構 客員教授 古沢広祐  ・  神道文化学部教授  菅浩二 

2020年8月8日更新

   
    私たちの足元がゆらぐとき、これまで積み重ねられてきた知は、未来を築く礎となりうる。過去の議論に真摯に耳を澄まし、既存の価値観におもねらず、異なる道を探る知の営みならば、なおさらだ。
 「新しい世界を生きるための知」を探究し、アフターコロナ時代の「共存」を模索するシリーズ。第1回に登場するのは、環境社会経済学や農業経済学を専門とする古沢広祐・研究開発推進機構客員教授と、宗教学専門で、非常勤の神職でもある菅浩二・神道文化学部教授だ。本学の「共存学」プロジェクト(正式名称:研究開発推進センター研究事業「伝統文化・神社・地域と共存社会の研究」の推進)の中心となってきたふたりの、前後編にわたる対話から今、一歩ずつ「知」をリスタートさせよう。
 
 
 
コロナ禍の前にシンポ開催
 
――おふたりは今年2月半ば、令和元年度共存学シンポジウム「「グローカル」世界のビジョンを探る~「共存社会」の構築に向けて~」を開かれています。奇しくも、世界で猛威を振るう新型コロナウイルスが日本へも大きな影響を与えつつある最中での開催でした。

古沢広祐(以下、古沢):「グローカル」というキーワードは、國學院大學で「共存学」のプロジェクトがスタートして以来、10年間の歩みでずっと考えてきたものです。
 私たちは「共存」を考える上で、相互依存を深めるグローバリゼーションの現実を、「ローカル(地域)」「リージョナル(地域・国)」「グローバル(地球社会)」という3つのレベルで捉え、テーマ領域としては「環境」「経済」「社会」を設定し、学際的な研究を行ってきました。
 その歩みを総括して今後を展望する、「グローカル」をキーワードにした公開研究会が、新型コロナウイルスの影響を目の当たりにする中で行われました。緊急事態宣言こそまだ出ておりませんでしたが、参加者が集まること自体も危ぶまれつつある中で、なんとか開催できたのでした。

令和元年度共存学シンポジウム「「グローカル」世界のビジョンを探る~「共存社会」の構築に向けて~」(令和2(2020)年2月18日開催)

 スタートから現在にかけて、「共存学」は、まさに私たちが直面している諸問題、それに対する向き合い方を探る取り組みそのものになっていきました。かねてより研究の知見を学生と共有しようと、並行して授業(國學院科目の一つとして)も行ってきましたが、この春は急遽オンライン授業での「共存学」となりました。初回では、とくに「コロナ危機にどう向き合うか」共に考える内容でおこなっています。学生たちも、いま現在作られていく歴史そのものの中に自分たちが生きている、ということを実感したのではと思います。

 
 
菅浩二(以下、菅):「共存学」はもともと、本学の松本久史先生(神道文化学部教授)が学際的な共同研究として立ち上げられ、古沢先生をリーダーとして進展してきたものなのですが、人類の中での共存のみならず、人間と自然、あるいは伝統と現代といったさまざまな共存が考えうるテーマとして、研究が積み重ねられてきました。
 
 
共生でなく共存?
 
古沢:「共存」というキーワードを考える上で念頭にあったのは、従来多く使われてきた、「共生」という言葉です。私が本格的に研究の道へ進んでいった1980年代以降、自身も含めてさまざまな研究で使われてきた言葉です(古沢広祐著『共生社会の論理』学陽書房、1988年)、2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)が起きると、この共生という言葉自体が揺らぐようになりました。つまり、21世紀のビジョンとしては、理想主義的な概念なのではないか。共生は理想型であるとしても、その土台が崩れ始めているのではないか、と。
 そこで、敵対・対立・排除という他者否定に陥るのでもなく、共生に至る手前の段階、より土台となるようなあり方として、共存を考えるようになっていったのです。時代が転換していく中で、共存こそが、現実を、そして未来を展望する議論につながっていく出発点だという思いですね。
 
菅:ここから共生といった様態に発展していくような、原初的で多義的な萌芽、それらを含んだ状況としての共存というものを、研究の中から取り出していこうとしてきました。
 
古沢:しかも発足後すぐに東日本大震災に直面しました。そして、10年経った今はコロナ禍――常にクライシス(危機)の中で、共存を考え続けているのだと感じます。
 
 
――さまざまに研究も議論も広がってきたと思いますが、おふたりのご専門分野に引き付けると、共存というテーマはどのように捉えられますか。
 
菅:私が一貫して関心を抱いているのが、宗教とナショナリズム、あるいはエスニシティをめぐる問題です。局所的な文化が発展し、領域を広げていく時、当然他の領域と接触しますし、政治的な問題も発生してきます。近代化・現代化の中で宗教がどのような価値を持ち、展開してきたのか、という問題意識です。
 たとえば20世紀前半、第一次世界大戦における「総力戦」の経験によって、国家は人間や文化を含めた国内のあらゆる資源を、戦争遂行のために機能的・合理的に編成するようになっていきました。宗教、あるいは精神的なものをめぐる価値というものは脇に追いやられていくようであり、動員という面では前面に出ているようでもある。しかも、日本がアジアに対して「共存共栄」を謳ったのは、この時期であるわけです。
 人と人、集団と集団、国と国が共存するということは、どういうことなのか、考えさせられる。そしてこの問題はそのまま、現代へつながっているわけです。
 
 
古沢:ナショナリズムという問題は、ローカルとグローバルの間で噴出してくる問題、葛藤を見つめる上で非常に重要な論点ですね。共生という理想形ではなく共存という言葉にこだわっているのは、そうした非常に多義的な関係性、困難な事態や状況、さらに言えば矛盾にもきちんと焦点を当てようという思いからなのです。
 私が今考えていることのひとつは、人間という存在が、人間中心主義的な世界観ではなく、生物的存在として――つまりは自然や生命系の中で問い直されている、ということです。私たちにとってはほぼ不可視のウイルスという存在ですが、しかし自然界においてはそうしたミクロな存在が大多数を占めている。そうした世界の一端に、人間は位置しているわけです。昔、天動説から地動説に変化して世界観が大きく転換したように、人間存在の根底が今見直され始めています。こうして組み立て直される世界観は、そのまま宗教学の議論にもつながってくるものでしょう。
    対談の後編では、近年議論が進むSDGs(持続可能な開発目標)も含めて、共存の行く末を考えてみたいと思います。
 
 
 
 
 
客員教授:古沢 広祐(フルサワ コウユウ
所  属:研究開発推進機構
研究分野:環境社会経済学、地球環境・エコロジー問題、農業経済学、NGO・NPO・協同組合論
 
 
教  授:菅 浩二(スガ コウジ
所  属:神道文化学部 神道文化学科
研究分野:宗教とナショナリズム論、近代神道史
 

 

 

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