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立法史をさぐると日本の法文化が見えてくる

長又高夫・法学部教授 前編

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法学部教授  長又高夫

2020年6月17日更新

  現代日本の立法機関である国会は、ヤジが飛び交い、居眠りも日常茶飯事、というイメージが定着してしまっている。対して日本の歴史を振り返ると、社会の礎のひとつとなる法を定めるため、並々ならぬ努力を重ねてきた人々の足跡が見て取れる。
 日本法制史を専門とする長又高夫・法学部法律学科教授は、法がうまれるプロセスを、史料から丹念に分析してきた。中世における公家法から武家法へと、その研究遍歴から見えてくるのは、時代を超えて連綿とつながってきた「日本の法文化」の特徴だ。明晰な語り口が、私たちを魅惑の法制史へといざなう。

 

 

 

 私は初めから日本法制史が専門だったわけではなく、学部生時代は中世の政治・経済史を学んでいました。卒業論文は、14世紀前半に後醍醐天皇が短期間掌握した政権をいわゆる建武政権を、制度史の観点から論じました。
 建武政権というのは公武合体政権、つまり公家と武家の寄り合い所帯のようなものでした。政権の性格を考えるためには、公家法と武家法の相違点や関係性がわからないといけないのですが、過去の研究書を読んでみてもハッキリとしませんでした。このことが、大学院に進学するきっかけとなりました。
 公家法の前身は律令法であり、さらにその母法は唐の律令法でした。一方の武家法も、公家法から生まれた本所法(荘園法)や国衙法を母体としています。これらをトータルに見ていかなければ、当時の法文化の実態はわからないのです。
 現在、「日本の法文化の特徴」という大きなテーマのもとで研究を進めているのも、そのためなのですが、ともあれ、まずは公家法から、ということで研究を始めました。公家の法曹が著した「法書」 ――具体的には「法曹至要抄」や「裁判至要抄」――  の性格や法解釈を分析し、学位論文としてまとめました。それが私の最初の論文集である『日本中世法書の研究』(汲古書院、平成12(2000)年)です。
 その論文集をまとめる過程で、公家法の特徴や公家法と武家法との関係がわかってきました。それによって、おぼろげながら、日本の法文化の特徴も見えてきました。


 ところで、我が国では、奈良時代と明治時代に二回、体系的な法の継受が行われています。いずれも社会変革を促すために、見本とする法体系を継受しているわけですが、この継受の方法は、一般にイメージされる様なやりかた、つまり、異質なものを単に持ってきた ―― いわば竹に木を接ぐような方法ではありませんでした。
 古代においては、律令法を継受するために法そのものだけではなく、中国文化全般を採り入れていますし、近代においてはまさに文明開化に象徴されるように、欧米人の生活スタイルまで受け入れています。
 しかも、古代、近代ともに、きちんと段階的な継受をしているという点も、興味深いところです。
 古代においては7世紀初めに、十七条憲法でまずは政治理念を官僚達に植え付けます。同世紀半ばより部分的な法のとして、既にある国内の慣習法となじむものから受け入れていき、同世紀後半に、体系的な法の継受を行っています。飛鳥浄御原律令とそれに続く大宝律令がそれにあたります。
 要するに、政治システムをはじめとした文化のパッケージを取り入れる準備を行った上で、中国法(律令法)を体系的に取り入れているのです。
 近代も同様です。実は徳川吉宗が将軍の座にあった享保期以降、幕府は中国法を熱心に勉強します。その合理性や体系性を学び、幕府法や藩法の立法に役立てたのでした。その影響で、江戸時代後半には、合理的な思考法を持つ者が登場しはじめました、勿論、幕藩体制の中で官僚制は根づき、都市型文化も開花していたわけですから、西欧法をはじめとする近代文化を採り入れる準備はできていたわけです。勿論、当時の人々はそんなことを夢にも思っていなかったとは思いますが(笑)
 古代から近代まで通じる法の継受の手法にも本のオリジナルなやり方を見て取ることができます。中国の文化圏ではありつつも、政治的な支配を受けていたわけではなく、属国として法を押しつけられたわけでもありませんでした。先進の文化を自主的に摂取していったのですね。その手法を具体的に説明しますと、
 第一は、海外の法を継受する際に、自国の法制度、法慣行をきちんと研究し、国情に合わないものは削除・修正しています。

 第二に、母法以外の他の外国法もきちんとチェックしています。母法というのは、たとえば古代日本における唐の律令法などがそれにあたるのですが、もし、そこに見いだせない内容を我が国で立法する場合には、唐代以前の中国法に、その正当性の根拠を求めています。これらは先進諸国に一人前の国家として認められるためには必要なことであったわけです。正当性の根拠を他の外国法に求め、内から見ても外から見ても恥ずかしくないようなものに練り上げているのです。近代では、欧米諸国の王位継承法を比較検討しながら、なおかつ伝統法にもとづき編纂された皇室典範が、この事例に当たります。まさに、このような法の継受の方法が、日本の法文化の特徴の一つといえるわけです。面白いですよね。
 後編では、諸法の関係を説明しながら、法が実際にどのように運用されていたのか具体的に見ていきましょう。そこにも、古代と近代を貫く法文化の特質を見出だすことができるのです(後編につづく)。

 

 

長又 高夫

研究分野

日本法制史(法典編纂史・法思想史)

論文

「御成敗式目」第八条の法解釈をめぐって(2019/12/10)

召文違背、下知違背に対する泰時執政期の処分について(2018/03/30)

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