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「物語」こそ人生の指針

多様化の時代、多彩な経験を

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副学長(文学部長、教授) 石川 則夫

2019年10月24日更新

 「生きていく上で何を指針としたら良いのだろう」と悩んだことはありませんか? 國學院大學で文学研究を続ける石川則夫副学長(文学部長、教授)は、「人間が経験した出来事を時系列に整えて語っていくことを『物語』と呼びますが、人は経験を積んで物語を更新することで成長してきました。物語は人間自身がどのように生きていくかを支えてくれるものなのです」と説きます。しかし、価値観が多様化する現代社会では、経験そのもの少ない若者に限らず、一個人の経験則だけで物語を確立させることはとても難しいことです。そんな時、どうしたら…石川副学長に教えを請いました。

人間の経験を時系列で語る。それが「物語」

――「物語」とはどのようなものでしょうか?

石川副学長(以下・石川) 例えば赤ちゃんが「オギャア」と生まれてから老人になるまでなど、一定の期間に人間が経験する出来事を時系列に整えて語っていくことが「物語(narrative)」なのです。

 昨日あった出来事を誰かに伝えるのも時間の流れを前提とした物語ですし、仕事の打ち合わせも因果関係に絞った形となると、これも物語に相当します。つまり、誰かと話したり自分の意思を伝えたりする場合、必ずその個人の物語として相手に伝えられていくわけです。

 物語というのは、自分自身が周囲に広がる世界を了解していく形です。大学受験を例にとると、一生懸命勉強して志望校に合格して入学式に参加したとき、その人は今の自分をどう評価するでしょう? それまでの成功や挫折などを思い起こしながらも、目標を達成した自分の物語の中に自分自身を見いだしているはずです。ところが仮に大学の勉強が難しく、「この学校は合っていないかも」となると、成功した自分ではなく挫折・葛藤する自分に更新されてしまいます。そのようにして物語は、自身の中で了解され、更新を繰り返してきました。

 社会の動きが緩慢で遅く、人の生活習慣が何年も崩れなかった時代には物語が単純化し、毎年それを反復していれば安心した生活ができました。しかし、明治以降になると日進月歩でいろんなものが変わるようになりました。グローバル化も進み、物語の更新が日々迫られる現代になると、自分自身の経験だけで物語ることは不可能です。そこに助け船を出してくれるのが、今まで様々な作家が書物で残してきた物語です。

――書物を読むメリットとは?

石川 最近の人間評価の指標は単純化してしまい、「勝ち組」「負け組」という二項対立で評価を決めてしまうことが随分とありますが、「そうじゃない」物語があっていいと思います。そういったものが昔から物語として作られ、読まれ、享受され、さまざまな形に派生することを繰り返してきました。文学作品に親しむことで、新たな物語を吸収し、人間は自然に物の見方の複数性を身につけてきたといえます。

 実は文学作品は「負の遺産」のようなもので、滅ぼされてしまった一族の物語である『平家物語』などを日本人は夢中になって読んできました。人形浄瑠璃文楽を観に行くことがあるのですが、作品の中には「曾根崎心中」をはじめ男女が心中する物語があります。昔なじみの遊女と一緒になったものの、最後は現世では生きていけないから心中する…といった展開です。注目したいのは、心中を否定するのではなく、そこまで至った二人の物語を作って人々が共有し、それを自分に引き写しながら涙して受け入れてきた点です。今の人間は「死」から先はないと思っていますね。「現世」に絶対的な価値を見いだす現代人には、「死」を美化する心中物は生み出せません。しかし、人形浄瑠璃が作られた江戸時代には「死」と「生」が隣り合わせで、「あの世で結ばれよう」ということを本気で信じていたので、心中物のような作品が生み出されたのです。

ゴーギャンの絵に見る「物語」の意味―

―人々の物語はいたるところにあるのですか?

石川 実は精神医療の分野にも、「物語」とか「語り」を意味する「ナラティブ(narrative)」を冠したものがあります。「ナラティブ・セラピー」という言葉を見かけて調べたのですが、患者と医者が物語を交換し、患者が自身の症状を語るなかで診断していくことだそうです。医者は患者の物語には介入しないのが鉄則。時には物語はどんどん逸脱しますが、そこから病の兆候を発見し、診断のきっかけをつかむのです。

 文学研究はかなり狭い世界で行われるものだと思っていましたが、ナラティブ・セラピーのように物語を読み取って治療に役立てる手法もあるとは驚きました。物語が高尚なものではなく、日常生活を大きく左右するものとして考えられているのですね。

 人間が自分自身を表現し、自分自身の在り方を語る基本的な形が物語だと考えた時、ポール・ゴーギャンの有名な絵が頭に浮かびました。ゴーギャンがタヒチで描いた『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897~98、油彩、カンヴァス、139.1 cm×374.6 cm、ボストン美術館蔵)は不思議な絵で、南洋の絵にしては色合いが暗い作品です。この絵には子供も若い女性も描かれ、頭を抱えてしゃがみ込んだ老婆もいます。人間が生まれてから死ぬまでが一面に描かれていると考えられるのですが、左上には『我々は~』というタイトルにもなっている3つの疑問がフランス語で記されています。ゴーギャンがなぜこの疑問をタイトルにしたかは不明ですが、人間の基本的で原初的な問いの集約がこれではないかと思ってしまいますね。おそらく、これが人間にとって物語の原型ではないかという気がします。そこで、ゴーギャンが示した3つの問いが、自分自身が存在する定点を定めることになると気づいたのです。定点は人間を安心させる根拠となります。物語というものは、人間自身の在り方を規定し、人間自身がどのように生きていくかを支えてくれるものなのです。

 日本もそうですが世界中のあらゆる民族は神話を持っています。神話とは単なる神の話ではなく、その神がどのように現れ、どのような力を持っているのか、そして人間とどう関わるのか―ということが語られています。『古事記』や『日本書紀』で祖先に関わる話が展開されています。それは原初的な人間であっても『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という問いが自分自身の生活の定点を定めることになるということを示しているのではないでしょうか。

ゲームやSNSで「物語る」若者

――今の若者にも物語は必要でしょうか?

石川 昔の若者は友達とおしゃべりすることで物語を発信していましたが、今の人達はSNS(会員制交流サイト)などで発信していますね。友達と対面する形から、スマートフォン(スマホ)の画面とおしゃべりする形式に変わっただけで、「自分自身を伝えたい」という物語衝動に変わりはないのです。ただ、煩わしい人間関係を抜きにして発信するスタイルを選んだということになります。手紙や対面した会話などと違い、ネット空間では自分の物語を受け入れてくれる人が多く獲得する状況になりやすいのも確かだと思います。

 昔だったら学校に行かないと友達に会えません。学校で友達と打ち合わせて一緒に帰るとか、喫茶店に行くとか、具体的に場を設定しないと自分の話を聞いてもらえないし、相手の話を聞くこともできませんでした。そのようなことを無意識にやっていたのが、従来の対面コミュニケーションです。それがスマホでのやり取りとなってしまい、反応は「いい」か「悪い」の2つだけ。ダメだったら極端に攻撃され、一方的に炎上するでしょう。そのような状況に、今の時代の人間は追い込まれているのではないでしょうか。

 スマホのゲームに熱中する若者も多いですね。ロールプレイングゲーム(RPG)というものがありますが、若者はゲームを構成する物語を通じて登場人物に自己を投影するのです。ゲームの中にもなかなかクリアできない場面もありますが、結局は「成功=ゴール」に導くラインがあるわけです。ですが、我々が生きている世の中ではゴールは与えられるものではなく、自分自身がどれをゴールにするのか選ぶものでしょう。ゲームという限られた空間にとどまらず、人生の指針となるものが1本のレールだけではないことを知るためにも、いろんな物語を経験する必要があるでしょう。物語を通じて、「世界にはこんなにも色々な人間がいる」という衝撃を感じてほしいです。

この12冊を読もう! 「物語る」ためのお勧め本

 「物語る」ことを身につけるにはどうしたら良いのか? 石川副学長に、12冊の文庫本を挙げてもらった。秋の夜長に1冊でも読んでみたらどうだろうか。

初級編 逸脱性の少ない物語から読み始めよう

  • 吉本ばなな『キッチン』(新潮文庫)
  • 江國香織『神様のボート』(新潮文庫)
  • 村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫)
  • 夏目漱石『坊っちゃん』(新潮文庫)

ストーリーが単線でできていて、主人公に感情移入していけば主人公の生き方や在り方、ストーリー展開を追えます。

中級編 物語の多様性を経験しよう

  • 川端康成『掌の小説』(新潮文庫)
  • 太宰治『走れメロス』(新潮文庫)
  • 夏目漱石『三四郎』(新潮文庫)

 登場人物のタイプが多く、様々な人間がいることが分かります。熊本から東京の大学に入った三四郎が1、2年の間に経験する出来事が描かれる漱石の『三四郎』は、地方から都会に出てきた学生には受け入れやすい物語でしょう。川端の『掌の小説』は111編の超短編小説集で、太宰の『走れメロス』には表題作を含め物語性豊かな9作品が納められています。

上級編 物語としての日本語表現を楽しもう

  • 谷崎潤一郎『春琴抄』(新潮文庫)
  • 泉鏡花『高野聖』(新潮文庫)
  • 樋口一葉『たけくらべ』(新潮文庫)

 谷崎と鏡花は、「日本語の原型はこのようなものじゃないか」というところに入っていきます。物語における日本語表現の在り方を、伝統的な古典世界からも続く表現を読んでもらいたいですね。一葉の『たけくらべ』は現代語訳付きではない新潮文庫の原文で読むと、カギカッコがない本来の物語文学のスタイルが分かります。日本人はそのような物語を読んできたのだから面白いですね。

番外編

 

  • 内田百閒『冥途』(岩波文庫ほか)

 短編連作の物語で『冥途』というタイトルが付けられていますが、読んでいて訳が分からないのが面白い(笑)。最初と最後はつじつまが合っていても、その間には派生した物語が並んでいるだけで、関連性を見つかりません。まるで迷宮です。

チャレンジ編

 

  • ドストエフスキー『罪と罰』(新潮文庫ほか)

 「いろんな人間やいろんな生き方や物語がある」ということが、そのまま小説になっているのがドストエフスキーの作品でしょう。『罪と罰』はストーリーがしっかりしているので読みやすいほうです。

石川 則夫

研究分野

日本近代文学

論文

「小林秀雄の文事-『本居宣長』の文体を辿る-」(2017/09/01)

「白鳥は哀しいのか―村上春樹「青が消える」の教材研究論」(2017/02/20)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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