「祭祀(まつり)」のルーツを追う旅へ episode.1
古くから続いてきた、神を祀る文化。
日本人はなぜ神祭りを大切にし、どう行ってきたのだろうか。
古代にさかのぼり、「祭祀(まつり)」の発祥に迫る本連載。
初回は、「祭祀」そのものの意味を考える。
人はなぜ神を祀るのか―ヒントとなるのは、あの神話
四季折々、日本各地で行われる「祭祀」。長きにわたり継承されたものも多く、現在でも地域の人々が支える行事であり、お互いの絆を深める場となっている。
このような祭祀は、いかに日本列島で生まれ、伝統文化となったのだろうか。そもそも、「神祭り」とは一体何か。古代に目を向けて、その発祥を見てみよう。
祭祀の意味や成り立ちを知る上で、参考となるものがある。『日本書紀』に伝わる「天石窟(あめのいわや)」の神話だ(『古事記』では「天石屋戸(あめのいわやと)神話」)。
「神話では、〈太陽の女神〉である天照大御神が天石窟に籠もり、世界が暗闇に閉ざされることに。そこで天石窟からのお出ましを願い、貴重な鏡と勾玉をサカキ(常緑樹)に下げ、天石窟の前に捧げました。この話は、神祭りの起源や原型を表しているのです」
こう語るのは、古代の遺跡をもとに歴史を研究する國學院大學 神道文化学部の笹生衛教授(國學院大學博物館長)。「この神話で注目すべきは、太陽という自然の働きに神を感じ、祭っていること。これが日本の神祭りの一つの原型となります」と話す。
神話の中では、祭祀に先立つ準備として機織りや鍛冶の記述がある。「機織りや金属加工技術は古墳時代(5世紀)に日本列島にもたらされた、当時の最新技術でした。5世紀の祭祀ではそうした最上の品々を捧げていた痕跡が発見されています」という。
祭祀の中でもきわめて重要と言えるのが「大嘗祭」である。古代以来、天皇は毎年11月、その年の収穫を感謝し、神に新穀等の神饌を捧げる〈新嘗祭〉を行う。この神祭りを古くは〈大嘗祭〉といい、平安時代以降は〈新嘗祭〉の名称が定着していった。一方で、原則として新たに天皇が即位して最初に行う形での大規模なこの祭祀を、〈践祚大嘗祭〉と呼んだ。以降はこれを大嘗祭と呼ぶことにする。
約千三百年前の神祭の遺構-古代における「大嘗祭」とは
古代の大嘗祭とはどのような祭祀だったのだろうか。
「大嘗祭の特徴は〈大嘗宮〉という特別な祭祀の施設を設けること。古代の大嘗宮は、祭の7日前に着工し5日間で仕上げることになっています。そして、祭が終わるとすぐに解体されました」
なぜ、大嘗宮を特別に造る必要があったのか。笹生氏は「祭は心身を清める〈潔斎〉が重要で、祭祀の場や使われる道具が清浄であることが求められたからです」と解説する。こうして特別に設けた神殿において、米や粟の御飯に始まり、鯛やアワビ等の海産物、御酒などの神饌を、天皇手ずから取り分けて神へとお供えされたのである。
ところで、古代の大嘗祭の舞台が確認された遺跡がある。奈良県の平城宮跡だ。「発掘されたうちの一つは、758年斎行の、淳仁天皇の大嘗宮遺構です。さらにそれ以前、8世紀前半の元正天皇・聖武天皇の大嘗宮遺構も見つかっています」と笹生氏。当時も大嘗祭はきわめて盛大であり、それは「神への畏れと敬いから、清浄性を厳密に確保し、慎重に行う必要があったのです」という。何より、祭祀の中では天皇自ら、国内の平安を願う。そのため、大嘗祭は重要な祭祀として現代まで続いてきたのだ。
今年は30年ぶりに大嘗祭が斎行される。これまでの話は古代を中心とするが、平安を願う大嘗祭の意義は、環境変動により自然災害が頻発している現代においてこそ一層重要な意味を持ってこよう。なお過去の大嘗祭(新嘗祭)・大嘗宮の様子は、國學院大學博物館に展示される様々な資料や模型などを通して知ることができる。
日本人が大切にしてきた祭。長い歴史を超え、今も続くその伝統文化の礎には、神を祀ってきた人々の真摯な思いや強い意志が感じられるのではないだろうか。
<編集協力:國學院大學 研究開発推進機構 助教 吉永博彰>
【博物館のご紹介】
笹生 衛
研究分野
日本考古学、日本宗教史
論文
宗像・沖ノ島における古代祭祀の意味と中世への変容―人間の認知と環境変化の視点から―(2023/03/31)
「災い」神を変える―9・10世紀における災害対応と神の勧請―(2022/01/25)
吉永 博彰
研究分野
中世・近世神道史、神社史、神社有識故実
論文
伊豆三嶋信仰の様相ー現状の把握とその成立背景ー(2023/02/28)
中世伊豆国三嶋社にみた神仏関係―僧侶の活動と神宮寺の展開を手掛かりに―(2022/09/30)