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日本古来の「芸能」が歩んだ道のり
祭りの変化がもたらした、今の姿

神への捧げものから生まれた日本文化 episode2

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神道文化学部 教授 笹生 衛   研究開発推進機構 助教 吉永博彰

2019年8月1日更新

 古代から現代に至るまで、神に捧げられてきたものたち。それらの意味を見つめると、捧げられたものの歴史や日本の伝統文化の素顔を知ることができる。

第2回は、神楽などの舞をはじめとした「芸能」を取り上げる。

 

春日大社(奈良)で12月に執り行われた「若宮おん祭」での和舞。

神話と芸能の関係 歴史書から見える変遷

 古くから行われてきた、神楽や舞楽。これらの伝統的な芸能も、ルーツは神をもてなすことにあった。

 それを示すのが、『古事記』や『日本書紀』が伝える「天石屋戸(あめのいわやと)神話」や、「天石窟(あめのいわや)神話」である。戸を閉ざして石屋にこもった天照大御神のために、捧げ物をして祝詞を奏上し、また天宇受売命(アメノウズメノミコト)という女神が踊りを捧げたとされる。神事で神楽を行う由縁である。「少なくとも『古事記』や『日本書紀』が編纂された8世紀には、神を楽しませる、もてなすものとして【舞】があったのではないでしょうか」。こう考えるのは、古代祭祀の遺跡から歴史を考察する國學院大學 神道文化学部教授・國學院大學博物館館長の笹生衛氏だ。

 

神楽のルーツを知ることができる『天岩戸伝説 錦絵』。(國學院大學神道文化学部 蔵)

 それ以降、仏教が日本にもたらされると、その儀礼で披露される大陸由来の舞楽・雅楽なども定着し、やがては神前で舞楽が神に捧げられるようになった。一方で、猿女(さるめ、巫女)による舞や、東遊(あずまあそび)・和舞(やまとまい)といった日本固有の舞も整えられ、神に捧げられていく。

 ここで、「閉ざされた空間」で行う「祭祀」と、「祭礼」の違いが出てくる。

「民俗学者の柳田国男は、【祭祀】を限られた人が参加するクローズドなもの、【祭礼】を不特定多数の人々が観覧するオープンなものと定義しました。その意味で言えば、現代の祭りは祭礼であり、日本でこの形式が出始めるのは平安時代中期。そして、祭りの祭礼化が芸能の発展に関わります」(笹生氏)

 平安時代中期は、平将門や藤原純友が相次いで反乱を起こし、自然災害も重なるなど、社会情勢が不安定な時代であった。更に、そのような民衆の心理状態に響きあうように、志多羅神(したらしん)という得体の知れない神が出現し、その神の神輿を民衆がかつぐ騒ぎも起きたことが、記録には残されている。

 そこで注目すべきは、「移動する神輿の周りに、鼓を打ち歌い舞う人々がいたことです」と笹生氏。その数は膨大で、歌舞の音は山をも動かすほどであったという。これが芸能を伴い多くの人々が参加する祭礼の、初期の形であったのかも知れない。「神輿とともに芸能がセットで移動する祭りの形式は、この頃から定着し始めたのではないでしょうか」と同氏は見る。こうした歌舞や芸能は、後に田楽などの組織化された芸能につながるものとも考えられる。

 

神社が芸能をつなぐパイプに 大衆芸能になったものも

 平安後期には、平安京の外に鎮座する著名な神社の神々を、京中に迎えて祀る「御旅所祭祀」が行われた。平安時代末期に成立した『年中行事絵巻』には、神輿の行列を先導するように、獅子・舞楽・田楽や競馬の乗尻(騎手)などがお供をした様子と、それを観覧して楽しむ群衆が描かれている。現在、私たちの知る祭りと芸能の形が確立されていったのである。

 

平安末期の祭礼行事における芸能の様子がわかる『年中行事絵巻』。(國學院大學博物館 蔵)

 たとえば、春日大社で毎年12月に行われる春日若宮おん祭は、保延二(1136)年から続く祭り。祭礼の形が整った時期に成立したものであり、披露される田楽や舞楽・神楽、競馬ほかの神事芸能は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 

春日大社の若宮おん祭では、巫女による神楽の他、競馬も奉納される。

 祭りが公で行われると、次第に祭礼に伴う行列・芸能が民衆の注目の的となった。「披露される芸能は動的で華美になり、趣向や意匠が凝らされました」と話すのは、國學院大學 研究開発推進機構助教の吉永博彰氏。神をもてなす位置付けだった芸能は、衆目とともに発展していった。

「加えて、当時民衆の間で好まれていたものも祭りに取り入れられます。伝統的な神楽・舞楽をはじめ、競馬や相撲などの朝廷の儀式に由来するもののほか、田楽・猿楽や華美な装いの稚児も披露されるようになりました。いわば、祭礼がさまざまな芸能・人々をつなぐパイプ役となったのです」

 武士たちも、やがて神に披露するために武芸を神前で行うようになった。今も各社に伝わる「流鏑馬神事」がまさにそれである。

「以降、祭祀・祭礼のいずれにおいても、神事芸能は多様に発展しました。祭礼は京都の祇園御霊会に代表されるように、都市の発展とともにその規模が大きくなり、専門性も高くなります。一方で江戸時代以降、娯楽の要素も強くなり、寄席・舞台などで行う「太神楽(神楽・獅子舞)」のような大衆芸能として発展するものが出てきました」(吉永氏)

 神へのもてなしに始まり、今に行き着く日本の伝統芸能。ちなみに、日本の芸能は仮装とのつながりも深く、また江戸の祭りでは、民衆が仮装する催しもあったという。ハロウィンの仮装に熱狂する現代だが、そこには日本人の伝統的な精神性が関わっているのかもしれない。芸能の歴史を知ると、そんな思いも浮かんでくる。

 

 

 

 

笹生 衛

研究分野

日本考古学、日本宗教史

論文

宗像・沖ノ島における古代祭祀の意味と中世への変容―人間の認知と環境変化の視点から―(2023/03/31)

「災い」神を変える―9・10世紀における災害対応と神の勧請―(2022/01/25)

吉永 博彰

研究分野

中世・近世神道史、神社史、神社有識故実

論文

伊豆三嶋信仰の様相ー現状の把握とその成立背景ー(2023/02/28)

中世伊豆国三嶋社にみた神仏関係―僧侶の活動と神宮寺の展開を手掛かりに―(2022/09/30)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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