ARTICLE

労働者が個人で企業と戦わない現代だからこそ、労働組合への注目を。
本田一成・経済学部教授が唱える対等の意味(後編)

  • 経済学部
  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

経済学部 教授 本田一成

2019年8月1日更新

 労働組合は、問題発生時に「戦う」だけではない。問題が起きるその前に、労使の「対等」な関係を目指す労働組合に、可能性を感じる――そう話すのは、本田一成・経済学部教授だ。
 チェーンストアから労働組合論へと研究を進めてきた歩みを振り返った前編に続き、この後編では、労働組合の一般的なイメージがさらに覆されていく。「働き方改革」のみならず、より労働者の日常に寄り添った「暮らし方改革」までも見据えた、労働組合のポテンシャルとは。

      

 先だって、ある企業の労働者が、育休明けに即転勤を命じられたということが社会問題となりました。彼はSNSでの発信を含めて個人で企業と対峙しましたが、そもそもこうした問題が起きないように、企業内の個人個人が結びついていくためにこそ、企業別労働組合の存在意義があります。
 前提として、労働組合というと、「戦う」というイメージを持っている方もいると思います。もちろんそうした組合は実際にありますし、そこには大きな効力がある。ただ、その「戦う」イメージが若い人たちの間でステレオタイプ化してしまっているきらいもあり、肌感覚として遠い存在に感じられてしまう向きもあるのではないでしょうか。
 私個人としては、前編の最後に触れたような、日本の労働組合のあり方として、そこで目指される「対等」な労使関係に、可能性を感じています。日本の労働組合には大小さまざまなものがありますが、現場で「対等」な関係を目指して労使交渉を行っている企業別労働組合が最も多い。
 「戦う」労働組合は、問題が起きた時に戦うわけで、つまり対症療法です。そして、場合によっては自らが働く企業や職場を壊してしまっても構わない、という考え方をすることすらある。

  

 一方で、本来的に「対等」な関係を目指す企業別労働組合のありようは、問題が起きないようにする予防措置。いわば、インフルエンザの予防接種のようなものなのです。
 実は、企業別労働組合においても、その交渉においては経営陣との「対立」と「協調」という言葉が使われます。しかし、私としては実態を表現する言葉としてはニュアンスが異なるのではないか、と考えています。というのも、企業別労働組合で目指している労使の関係は、やはり実質的に「対等」であるからです。
 小売業には、どうしても悪しき商慣行、労働条件というものが忍び込みがちです。丁稚奉公に象徴されるような過酷な労働は、チェーンストアができて近代化が進むことによって一定程度抑えられはしましたが、しかし労働時間があまりにも長いといった問題は往々にして発生します。
 その時に、労働者個人が企業と戦おうとしても、経営陣から「馬鹿をいうな」の一言で一蹴されてしまう。このように働く側と働かせる側には対等性がないからこそ、「憲法」や「労働組合法」が存在するんです。困った時には団結して、話が整わなければ争議することができるようになっている。
 実は経営者の側としても、労働組合が組織化されることには意義があります。組織が小規模であるうちは労働者一人ひとりの顔が見えますが、それこそ大手チェーンストアのように何十万人という規模になってくると、従業員たちが何を考え、何を希望しているのか把握しきれない。労働組合には、そうした組織をまとめてくれる、いわば凝集性を高めてくれるような機能もあるのです。

 

 労使のルールを決め、要求をしながら、きちんと協力する「対等」な関係を結ぶ、日本の企業別労働組合。それは「戦う」思想の労働組合から見れば、「弱い」ように見えるかもしれません。メディアの報じ方にも、労働組合は「戦う」ものだ、そうでなければ「弱い」という論旨が多いように見受けられますが、しかし、そこは役割が違うのであって、一方的に断罪すべきことではないように思います。
 逆説的になりますが、労働法を守らせることができる、ということはすごいことなのです。ブラック企業を筆頭に、違法行為、脱法行為がまかり通ることが多い中で、きちんと「対等」な関係のもとに問題発生を事前に阻止することができるということの重要性は、もっと見直されていいように思います。
 「働き方改革」が取り沙汰されていますが、労働組合においては、その先の「暮らし方改革」に取り組んでほしい、という希望もあります。自分の暮らし方に合わせて、7時間労働にしてほしい、週4日勤務にしてほしい、という声は、この時代にあって、もっと上げられていいはずです。
 若い人たちを見ていても、社会貢献をしたい、市民活動をしたい、という人は多い。そして、たしかにNPOなども重要な活動ではあります。しかし、身近な労働組合で活動したい、という人は、もっと出て来てもいいのではないでしょうか。

 

 ですから、前編で自著をテレビドラマ化したい、といったことには、きちんとした理由があるのです(笑)。若い世代の人たちに、「あ、こんな世界があるのか」と一発で伝えられるのですから。いきなり、戦後には総評や同盟といった労働組合があって……と歴史から説いていっても、聞く耳は持ってもらえないはずです。
 今年、『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議 絹とクミアイ』という本も出し、リアリティに溢れる200枚ほどの労働者たちの写真を掲載しました。以前には『主婦パート 最大の非正規雇用』(平成22(2010)年)という新書を手がけたこともあります。10年早い本と言われました・・・。これらもまた、次の世代の人たちへ向けて、さまざまな「回路」を設けようとしているゆえの試みなのです。
 未来に閉塞感を抱いている若い人たちにとって、いろいろな選択の幅があること――その中には労働組合という選択肢もあるんだということを、これからさらに伝えていきたいですね。

 

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU