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吉田家に伝来した徳川家康の文書

「徳川家康禁制」(吉田家文書)

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本学兼任講師・研究開発推進機構客員研究員 堀越 祐一

2019年8月5日更新

「徳川家康禁制」(吉田家文書)國學院大學図書館所蔵

 京都・吉田神社の神職をつとめ、吉田神道(唯一神道)の宗家であった吉田家が伝えてきた古典籍・古文書は、本学で教鞭をとった宮地直一、西田長男らによって研究が進められていたが、昭和20年代には散逸した。國學院大學図書館は、この一部を所蔵している。

 今回紹介する「徳川家康禁制」は、関ケ原合戦の直後の慶長5(1600)年9月21日に徳川家康が下した禁制である。宛先が書かれていないが、吉田家に伝来した文書であるため、京都・吉田神社宛であるのは間違いない。

 同月15日、美濃国(岐阜県)関ケ原で石田三成ら西軍に完勝した家康は、軍を進め20日には近江国(滋賀県)大津城へ入り、この地にしばらく逗留している。翌21日には、京都から多くの公家衆が戦勝祝いに駆けつけた。吉田神社の神主である吉田兼見の弟梵舜もこの日に家康の元を訪れ、兼見からの進物を献上しているため、この禁制は、その際に梵舜が要求して書いてもらったものだと考えられる。

 東軍の先鋒は、19日にはすでに京都手前の山科にまで進出しており、京都の公家衆や民衆にしてみれば、まずは安全を確保することが重要だった。

 本資料は、現在國學院大學博物館で開催中の「覇者たちの中世」(令和元年6月29日~8月25日)でも展示している。学報連載コラム「未来へつなぐ学術資産研究ノート」(第3回)

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