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神楽に学べ!変化を受容してこそ伝統は受け継がれる

「神楽舞」は、なぜ地域の資源なのか(その3)

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経済学部准教授 山本健太

2015年8月17日更新

広島県には、県北西部の「芸北神楽」、瀬戸内沿岸部の「安芸十二神祇」、瀬戸内の島々とその沿岸部に広がる「芸予諸島の神楽」、県北東部の「比婆荒神神楽」、県中・東部の「備後神楽」と5類型の神楽舞があります。

現在に至るまでには、戦後GHQ統制下の影響や、最近では競技会への参加など、神楽を取り巻く環境にはさまざまな変化がありました。その中で、神楽は地域資源として、どのような発展を遂げてきたのでしょうか。

前回、前々回のコラムで紹介している宮崎県の神楽に続き、國學院大學経済学部准教授の山本健太氏に聞きます。
制作・JBpress

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広島県廿日市市の伊勢神社に奉納される神楽「大蛇」の一場面。(写真提供:山本健太氏、以下同)

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GHQ統制下で生まれた「新舞」

ー前回まで、宮崎県の高千穂町と日影町を例に、地域によって異なる神楽舞の役割についてお聞きしました。広島県の神楽舞にも、そうした地域差はありますか。

山本健太氏(以下、敬称略):舞の特徴だけでなく、発展の仕方や資源としての活用のされ方にも違いがあります。芸北神楽を伝える安芸高田市と、安芸十二神祇を継承する廿日市市のある集落を例にお話ししましょう。

安芸高田市では、神楽舞は観光資源として発展してきました。その過程には、連合国軍による戦後の占領政策が大きく関わっています。

第2次世界大戦後の日本おいて、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲は神楽舞にも及びました。GHQに「国家神道につながる」とみなされた神楽 舞には、上演許可が下りなかったのです。実際、高千穂町の夜神楽も、しばらく中断することを余儀なくされたものがあったようです。

それは、安芸高田市の神楽舞にとっても存続の危機でした。なんとかGHQの検閲を逃れなければ、伝統が途絶えてしまう。神楽舞を守るには、神楽舞は神様を祀る神事ではなくて、民衆が楽しむためのダンスであることをアピールする必要がありました。

そこで、郷土史研究家である佐々木順三氏が、神道色を薄めた演劇性の高い新作神楽を創作しました。もともと娯楽性の高かった芸北神楽(旧舞)に、能や歌舞伎の要素を導入したのです。こうして神事から離れたものとしての神楽舞、つまり「新舞」が誕生しました。

新舞は、「紙テープを投げる、照明で雰囲気を盛り上げる」といった、荒唐無稽ではあるけれど分かりやすいストーリーや動き、派手な衣装を特徴としています。きらびやかで見ごたえのある新舞は、観客や舞い手に歓迎され、芸北神楽に定着しました。

観光客からの人気も高いため、地元行政や事業者が集客資源として活用するようになりました。安芸高田市では現在、神楽観賞を組み込んだ旅行商品や施設、神楽に関連する土産物を開発・販売するといった取り組みに力を入れています。

ー神楽舞の伝統を絶やさないために生み出された新舞が、芸北神楽の観光利用を促したということですね。

山本:ただ、新舞を演じる人々には葛藤もあるようです。安芸高田市では、「神楽舞が本来の神事から離れることによって、単なる観光商品になってしまうのではないか」「オーセンティシティ(真正性)を失ってしまうのではないか」と危惧する声もあるようです。

神事としての伝統と地域振興の間で当事者たちは悩みながらも進んでいます。

コミュニティの外に飛び出し始めた里神楽

山本:一方、廿日市市の原集落の「原神楽」は、安芸高田の神楽とは少し異なる発展をしてきました。ここでは毎年、秋祭りの前日に地元の伊勢神社で安芸十二神祇を奉納します。この舞は、古来の舞を継承しているということから、広島県の無形文化財に指定されています。

神楽舞の日は地元の神社本殿の前に舞のステージとなる神楽殿の設営から始まります。地域の住民が協力し、柱を立て床板を敷き、屋根を葺(ふ)くんですよ。

夜になると神楽舞が始まり、地域の神楽団が「神降し」や「湯たて」などの舞を奉納します。演目の中には吹き上げ花火を披露するなど娯楽性に富んだ 演出も なされます。ただ、観光客を受け入れることにはあまり積極的ではなく、地域住民の行事・娯楽という位置づけのようです。と言っても、地域外との交流を頑なに拒んでいるわけでなはありません。

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広島県廿日市市の原集落の伊勢神社にて神楽殿設営中の様子

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完成した伊勢神社の神楽殿で奉納される「原神楽」

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同じく伊勢神社の原神楽では花火による演出も

ー地域外と交流する機会もあるということでしょうか。

山本:広島県内では神楽舞の競演会が盛んに開催されています。こういった競演会にも参加することもあるようです。競演会の観客は、必ずしも日頃から神楽舞に親しんでいるわけではありません。伝統的な安芸十二神祇を期待する人もいれば、派手で分かりやすい新舞を好む人もいます。また、競演会を通じて他の神楽団と交流することで、舞い手の技にも磨きがかかります。

ー他地域の神楽団との交流や、舞の様式を変えていくことを通じて、神楽舞は観光資源化していくのでしょうか。

山本:確かに、競演会などを通じて知名度が上がっていけば、観光客が神楽を観にやってくるかもしれません。また、他の神楽団と交流した結果、舞の様式が少しずつ変わっていく可能性もあります。

戦後に新舞が作られ、今では芸北神楽の一形態となっているように、時代とともに舞の捉え方も変わっていくものだと思います。その変化を受容し、柔軟に対応してきたからこそ、いまに継承することができたのでしょう。そして、神楽舞の担い手たちは、「神楽舞という伝統を正しく受け継いでいきたい」と異口同音にいうのです。

そのアプローチの仕方が観光資源化であっても、コミュニティの維持ツールであってもいいと思います。大切なのは、その資源が、その土地に生きる人たちのものであり、地域を想う彼らが資源をどうにか次代へと受け継いでいこうと努力することではないでしょうか。

神楽舞を地域資源という切り口で見つめ直す山本氏は、郷土食による地域振興というテーマも追いかけています。○○やきそば、△△カレー、××コロッケ・・・。B級グルメが氾濫する中、地域に真の経済効果をもたらす郷土食の条件とは何か。次回のコラムでは、実例を挙げながら明らかにしていきます。

 

 

 

研究分野

経済地理学、都市地理学

論文

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