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お寺にも神社にも見られる「手水」

五感体感、日本。~留学生の日本フィールドワーク~

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國學院大學神道文化学部准教授 菅浩二

2016年9月5日更新

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國學院大學で学ぶ留学生たちは、5月24日に「とげぬき地蔵」で知られる高岩寺を訪れました。そこで生じた留学生の疑問に、本学教員が回答します。

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Q.なぜ日本のお寺には、手水のような、神社の要素があるのですか?

A.水による清めの信仰は、神道だけではなく、もろもろの宗教文化に見られます

 聖なる力により心と体を「清める」儀礼において水を用いることは、様々な宗教文化にみられます。海に囲まれ、川や湖沼も多く、古くより農業が営まれてきた日本列島でも、水による清め、という考え方は生活の中で一般的でした。日本には、在来の神道と、外来の仏教とのシンクレティズムである「神仏習合」信仰の歴史が、近代まで一千数百年以上あります。

 しかし水による清めという考え方は、この神仏習合の歴史よりもずっと深く根源的に、日本の生活に根差していると考えられます。

 神社における手水、即ち神に参拝する前に、流れる水により手と口を清める作法は、もともと、川や海の水の浄化力により、心と体の穢れを取り去る「禊(みそぎ)」という儀礼が簡略化されたものです。古代日本神話にも、神が川の流れに身を浸し禊をするさまが描写されています。一方ご質問のように、日本の仏寺にもしばしば、手水を行う施設があります。こちらは仏教思想により「身口意(しんくい)」即ち人の身体、ことば、心の三つのはたらきによる業(ごう)を清めるものと解釈されています。他方で、香煙による清めの儀礼は仏寺では一般的ですが、神社には見られません。

 具体的な歴史についてはさらなる研究が必要でしょうが、手水は神社の要素と考えるよりも、諸宗教に広くみられる水の清めの、日本における一形態、と捉えたほうが良いと思われます。

 

 

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2016年9月5日付け、The Japan News掲載広告から

 

 

 

 

菅 浩二

研究分野

宗教とナショナリズム論、近代神道史

論文

W・P・ウッダードのKokutai Cult論に関する考察(2023/09/08)

沖縄・伊平屋列島の天神降臨伝承と藤貞幹『衝口発』 : 同祖論研究展開の試みとして(2023/05/15)

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