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新年を迎える日本人の心を知る

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文学部 教授 新谷 尚紀

2018年12月20日更新

 一年の終わりが近づいてきた。12月といえば、師が走り回るほどに忙しい「師走」であるという俗説が、すでに平安時代末期の文献にも載っており、年の暮れの忙しさは今も昔も変わらないということがよく分かる。師走の忙しさの一つは年内に片付けなければならないことを済ませること、もう一つは大掃除や正月飾り、年神様へのお供えなど新年を迎える準備をしなければならないことにある。

 年末年始の風習をめぐる由来やいわれを知ることは、来たる新たな年を晴れやかな気持ちで迎える準備ともなる。新谷尚紀・文学部教授の解説で、年末年始の風習にまつわる伝承と変遷について紹介する。

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年神様を招く

 かつては、大みそかから正月には家族が家にそろい、年越しそばを食べ、おせち料理を囲み、初詣に行くというのが通例だった。今ではその過ごし方も多様になり、連休を利用して海外旅行へ出かける人で混み合う空港や、大勢の人であふれかえる渋谷駅前スクランブル交差点での年越しカウントダウンなどの光景は毎年の風物詩になっている。とはいえ、変遷をたどりながらも、おめでたい正月を心身ともに清らかに、そして盛大に迎えるという日本人の心は、時代を超えて伝承され続けている。

 日本にある年中行事の多くは旧暦の時代に形作られたもの。旧暦とは、古くから日本で使われていた、月の満ち欠けをもって1カ月とする暦である。明治6(1873)年からは、すでに世界で使われていた太陽の動きによるグレゴリオ暦(西洋暦)を日本も採用し、それを新暦と呼んでいる。一方、日本の風習には太陽の一巡を基準とする、冬至、夏至や春分、秋分といった旧暦の頃と同じ節季も残っている。

 では、なぜ正月はおめでたいのか? それは、「年取り」の祝いだったからである。かつては誕生日ではなく、正月が来るたびに皆が一斉に年を取る「数え年」だった。人々に新しい年齢と、一年を生き抜く生命力や幸運を与えてくれる神様である年神様がやってくるのが正月であり、古くから、われわれ日本人には年神様を盛大に招くための行事があり、それらは変遷をたどりながら今に伝承されているのだ。

 

◇正月事始め

 正月を迎える準備を始める日。旧暦の12月13日は鬼宿日(きしゅくにち)で、婚礼以外全てのことが吉だとされ、新暦でも伝承されている。古くは、門松に使う松や、雑煮の調理に使う薪をこの日にとりに行っていた。現在でも、13日にすす払いを行う社寺などが多く残る。

◇大掃除

 農家や商家のすす払いを受け継ぐもの。身の回りの汚れを落とし、すがすがしい気持ちで正月を迎えるという意味合いはもちろんのこと、旧年の災厄を払い、嫌なことを忘れるという「年忘れ」のためにも大切な行い。「苦(く)」が付くため縁起が良くないとされる12月29日、旧暦で大晦日だった30日、大晦日の31日を避け、28日までに終わらせるのが良いとされている。

◇元日

 元日は年神様を迎える大切な日。この日は家族揃って自宅や地域の氏神様を祀った神社にこもり、年神様の来訪を待つのがかつての過ごし方。年始の挨拶や書き初めなどの「事始め」は、2日以降に行うのが良いとされている。

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◇初詣

 江戸時代中期、その年によって変わる年神様のいる方角を「恵方」と呼び、恵方にある社寺に参詣する「恵方参り」が流行し、これが現在の初詣の起源のひとつとされている。現在のように各地の社寺に大勢の参拝客が訪れるようになったのは、明治時代以降に東京など都市部から広まった風習であり、意外と新しい風習である。

初詣をする子供

◇お年玉

 お供えからおろされた食べ物は神様からの賜り物と考えられ、特にコメを使った鏡餅は神様の力が宿り、これを食べることにより一つ年を取ることができるとされていた。このありがたい餅を商家の主人が使用人に与えたり、親が子に与えたりしたのがお年玉の起源で、江戸時代には餅に代わって着物を新調して贈っていた。戦後になって、現金を贈ることが広く一般的になったといわれている。

◇おせち料理

 宮中で元日や節句などの「節日(せちにち)」に神様に供えていた「節供(せちく)料理」に由来する。貴族の風習だったが、江戸時代から庶民にも定着し、年神様に供えた料理のおさがりをいただくことで、一年を生き抜く力を授かれると考えられてきた。現在のように、重箱に料理を詰めるようになったのは明治・大正時代以降といわれている。

典型的なおせち料理 General Japanese New Year dishes(osechi)

◇小正月

 旧暦では、毎月15日が満月に当たるため、1月15日はその年初めての満月の日であり、「小正月」と呼ばれて、小豆粥を食べて一家の健康を祈願したり、紅白の餅を飾り木につけた「餅花」を作って豊作を願ったりして祝った。門松などの正月飾りを焼いて清めるどんど焼きなどが行われてきた。現在では、この日を「正月の終わり」と考えることが多い。

時代を超える伝承

 こうした行事はいずれも、災厄や疫病、悪運など不幸を払い、年神様とともによい運気と福徳を迎え入れるための行いだが、農業や漁業を背景としていた行事は、昭和30~40年代にかけての高度経済成長期を境に廃れてしまうことも少なくなかった。また、50 年代以降は、教育や観光という場で、変遷しながら伝えられているものもある。

 とはいえ、身を清め、除災招福、気持ちも新たに新年を迎えるという年末年始行事の由来は、「一年を良い年に」と願う気持ちとともに、時代を超えて根強く伝承されていくものであるといえよう。

 

 

 

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