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プロ野球・東京ヤクルト 1位指名 清水投手
環境が意識を変えたプロへの道

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硬式野球部 投手 清水 昇(日文4)

2018年12月19日更新

 今年10月に行われたプロ野球・ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位で指名された清水昇投手(日文4)。12月7日には、入団選手発表会が都内で行われ、背番号17のユニフォーム姿を披露した。「戦国東都」と呼ばれる東都大学野球1部で、4年間で43試合に登板し、13勝を挙げた右腕は、4年間の学生生活に何を思い、年明けから本格的に始まるプロ生活に何を目指すのか、現在の心境に迫った。

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ドラフト1位に高揚感とプレッシャー

―ドラフト指名から1カ月余りが経った今の心境は

 ドラフト指名を受けたときは、今までやってきたことがありますから、気持ちが高ぶりました。仮契約が終わって、これから結果を出していかないといけないプレッシャーが出てきました。これは、自分の中で前向きな意欲に変えられたらと思っています。

《11月には、愛媛・松山で行われたヤクルトの秋季キャンプを見学。チームメートとなる選手たちの練習を、熱心にメモを取りながら見守った》

 秋季キャンプを見学して、選手たちがピッチング練習でも甘いボールが行かないように投げている姿や、甘いボールを投げたときの悔しがる姿を見て、大学生、アマチュアではない一つのプレー、一球に対しての意識の高さを感じました。

 大学4年間、鳥山泰孝監督は「思ったことは練習中でも、試合が終わってからでもメモを取るように」と指導をしてくださっていました。ミーティングで受けていても、その場では「すごい」「勉強になった」と思っても、誰しも、半年、1年と経ったら忘れてしまいます。秋季キャンプを見学しながらメモを取っていたのも、そうした意識から自然と行ったことで、これからも変えずにやっていきたいです。

―プロ野球選手を目指したのはいつから

 帝京高校2年のときに、1学年上でバッテリーを組んでいた石川亮捕手(現・日本ハム)がプロに行ったのが大きかったかなと思います。3年でプロに行きたいと思っていたのですが、周りの選手を見たときに、やっぱり自分にはまだ足りないものが多いなと思い大学進学を選びました。

 國學院大學に進学して、1年のときに柴田竜拓選手(現・横浜DeNA)がプロに進みましたし、東都大学野球で戦うたくさんの選手がプロに行くのを見て「行きたい」が「行く」に変わってきました。3年のときには「絶対に行く」という気持ちを持っていたのが、大きかったですね。環境が意識を変えてくれたと思います。

 

コントロールと強気の攻めが生きる道

―大学での4年間を振り返って

 技術面でいうと、球速が一番伸びたことです。入学したころ142~143㎞だった球速が1年間練習を積み重ねて、2年の秋に150㎞を超えるボールを投げるようになりました。

 しかし、150㎞のボールを投げても打たれることはありましたし、140㎞前半でしっかりコースに投げたときには抑えられます。変化球にすごくキレがあったとしても多少甘かったらヒットにされます。150㎞が出たことで、変化球やコントロール、打者にしか分からないキレを2年、3年で求め始めたのが、今振り返ると良かったかなと思います。

 自分が生きる道はコントロールや強気に攻めるスタイルです。球速を求めすぎずに、ほかの人と違うようなところで攻めていきたいです。

 ただ、実生活では気持ちを表に出さないタイプです。球場に立ったら人が変わるとよく人に言われます。

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《合宿所で集団生活をする硬式野球部。4年間の学生生活は、仲間との野球漬けの日々を送った》

 授業から帰ってきても誰かが玄関でバットを振っていたり、ウェイトトレーニングをしていたり。食堂に行ったら体重が少ない人が人より多くご飯を食べていたりしている。どこかで誰かが野球しているので、あの環境にいたら野球から離れようという感覚にはなれないです。

 野球に対してうまくなりたい欲というのは、誰もが持っています。メンバー外だからこそレギュラーよりも練習していつかチャンスをもらったときに結果を出そうという仲間がゴロゴロいる野球に集中できる環境でした。

成長と悔しさを糧に、愛される選手に

―4年間、戦ってきた東都大学野球1部では、幾度となくリーグ優勝を目前で逃した

 4年間を振り返って、優勝まであと1勝となったときこそ一回足もとを見直したほうがいいのかなと思います。みんなが勝ちたいという気持ちがあるのでしょうがない部分はあるんですけども、いざ優勝を目前にしたときになぜかチーム全体が背伸びをしてしまうからこそ足もとすくわれて負けてしまうことが多かったです。

 自分たちは、得点を取ってそれを守り抜くというプレースタイルなのに、なぜか普段と違う力が入って打とう打とうとしたり、抑えようとなったりするので、野球が変わってしまったのかなと。1勝と言われたとしても、野球を変えない強さが必要なのだと思います。優勝したことはないですけど、惜しい経験はどこのチームよりもしている。欲を押し殺して、今までやってきたことをやるのが大事なのかなと4年間終わって一番感じたことですね。もっと早く気づけたらいいですけども、終わってから気づくことだったのかなという感じがしますね。

 東都大学野球の1部は、今季(平成30年秋季)もそうですけど、勝ち点3で優勝です。最下位が勝ち点2。「戦国」と名前がつくだけあって、1勝するかしないかで順位が大幅に変わってきます。優勝争いをしていたのにも関わらず、この試合を落としたことによって5位、4位になる。実力が拮抗しているゆえに、いい経験になりました。

―いよいよプロ野球の世界に入る。17番を背負って、目指すピッチャー像は

 究極をいうなら、負けないピッチャーが一番いいピッチャーです。たくさんの人に愛されるヤクルトの看板選手になりたいなと思っています。僕も小さいころ野球を見て、夢をたくさん与えてもらったので、自分が今までしてきてもらったことを次はする番だと思います。

 ヤクルトで背番号17は、通算191勝を挙げた松岡弘さん、沢村賞や最多勝を獲得した川崎憲次郎さんが付けたエースナンバーです。子どもたちが「17番をつけたい」、「清水みたいになりたい」と思ってもらえるような選手になりたいです。

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―ありがとうございました。

 

 

 

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