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インターネット×民俗学!? 身のまわりに溢れる「話」の光と影を追って

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文学部准教授 飯倉義之

2019年4月22日更新

 「民俗学」というと、昔から口頭で語り継がれた物語である口承文芸などの研究、といったイメージが強いかもしれない。たしかに現在も、そうした領域は民俗学にとって重要な対象ではあるが、今、目の前で――特にインターネット空間や都市空間において生み出されゆく数々の「話」を重点的に研究しているのが、飯倉義之・文学部准教授だ。その独特な「現在の民話」の光と影を見つめる飯倉先生の目に、現代社会はどう映っているのだろうか。

 

 「河原町のジュリー」という、1980年代初頭まで生きていて、京都・河原町の周辺を歩き回っていたホームレスの方がいます。生前から現地では、「彼が店の前で寝っ転がると、その店には福が来る」「実は貯金を1億円もっている」といった、さまざまな噂がありました。私が彼に興味を持ったのは、2004年頃、とあるエッセイマンガに描かれていたことがきっかけでした。インターネットで検索してみると、その頃には、エッセイ漫画よりもさらに実像を離れて、ネット空間のなかで話が純化されていき、京都の名物男のような扱いになっていました。

 1995年にWindows95が出現し、検索エンジンも発達すると、検索した人同士がブログなどでお互いのページにリンクを貼り合い、そのコメント欄でもまた盛り上がり、「河原町のジュリー」という話の語りが構成されていく――情報インフラを利用して知識だけで人々がつながり、コミュニケーションをして、ひとつの話をつくりあげていく時代が訪れました。

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 もともと私は、誰がつくったのか実はよくわからない、柳田国男いわく、人々が「群れ」としてつくりあげていく口承文芸の世界に興味を持ち、民俗学の研究を進めていました。現在において話が生まれてくる場所というのは、もちろん対面のコミュニケーションのなかでも生まれていきますが、インターネットやSNSを通じて生まれてくる話にも、現代の現代らしさ、現代の口承文芸らしさがあるのではないかと思い、ネット空間の「話」を研究し始めたのです。

 この背景を説明するために少し、民俗学と現代日本のかかわりをお伝えしたいと思います。1988年、日本に「都市伝説」という言葉が紹介されました。これはジャン・ハロルド・ブルンヴァンが著書『消えるヒッチハイカー』のなかで「アーバン・レジェンド(urban legend)」という概念として議論したもので、当時気鋭の民俗学者の方々が邦訳し、大きな反響を呼びました。

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 というのも当時の日本では、「なんだかよくわからないけれども、若者の間で口コミによって流行する」という現象が目立つようになっていました。ご記憶の方もいると思いますが、たとえば当時の佐川急便のトラックに描いてあったキャラクターについてだとか、あの褌(ふんどし)に触ると一日ハッピーですとか、スポーツをやっていない人の間でもボストンバッグが流行る、といった現象です。

 ビジネスにおけるマーケティングが本格化し始めた時期でもあり、「噂ブーム」「口コミブーム」というよりは、「アーバン・レジェンド」という学術的な概念を用いた方が説得力もありますから、民俗学の分野を越えて、この概念が大きなインパクトを残したのです。商業メディアも、都市伝説を積極的に取り上げていくようになりました。

  一方の民俗学においては、現代に対応する民俗学としてのあり方の重要性について研究者側も重々承知しつつ、まだギリギリ昭和の時代でしたから、明治生まれのお年寄りも生きており、そうした人々から話を聞き出す方が優先だ、というのが民俗学者を取り巻く空気でした。そうこうしている間に、社会全体で都市伝説ブームに広がっていった結果、都市伝説自体がイロモノ扱いされるようになり、民俗学者の食指が動かない状況になっていってしまったのです。

 私が民俗学の道に足を踏み入れた頃は、こうした状況でした。また、話を聞くためのテクノロジーにも限界もありました。当時はカセットテープですから、録音できる量にはどうしても限界がある。いわゆる昔話や伝説ではない、「世間話」を語り手が始めると、テープがもったないないので録音を止めてしまう、ということが当時の民俗学では多かったのです。

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  しかし私は、こうした「世間話」のほうに惹かれました。当然ながら、民話や伝説より、「世間話」のほうが量も多い。そして、生活のなかで起きたことを、起承転結をつけて面白く語る方がたくさんいました。

 たとえばある地方の老人は、小作人の倅(せがれ)として、自分の土地を持たず苦労して育ち、小さい頃は「『おめえにはエンコ(犬)にぶつける土ねえべ』といっていじめられた」といいます。しかし戦後、農地改革によって土地を持ち、そこからまた苦労して土地を広げていき、ある日農協の集まりで、かつてのいじめっ子に「もうお前を埋めるくらいの土はあるんだ」と胸倉をつかんで詰め寄り、謝ってもらったと語っていました。ドキッとする話ですが、やはり面白い。

 こうした「世間話」への注目から、やがてインターネットの世界での「話」へと関心が広がっていった、というわけなのです。さらには、「Twitterでこんな話を見た」「YouTuberがこんな話をしていた」というふうに、ネット上での話が現実世界でも語られるようになってきました。

 ただ、近年のインターネットのなかで、話が純化し、先鋭化していく――いわばカスケード(次々と起こる反応)が発生する動きには、危うさも感じています。AでなければB、白でなければ黒、と二項対立の議論をする人が増えてきている印象を私は抱くのです。自分の主義主張やスキーム(枠組み)に合っているものは肯定し、そぐわないものには敵対する。フィルターバブルの問題もあり、こうした側面が最近目に付くようになりました。

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 人は、何か説明がつかないものに出会ったとき、それを説明するためのストーリーを必要とします。この物語化という構造自体は、実は昔も今も、根っこはそんなに変わりません。柳田国男が「群れ」の文芸というように、語りは本来、多様性を含みこんでいます。ひとつの話でも、みんなそれぞれ面白いと思うポイントが違うし、辻褄が合っていないものも多く、各々が異なる解釈をすることも許されている。つまり、不純物がたくさん入っているんですね。ネット上の話は、いわばこの不純物がない、作り込み過ぎのものが多い。そうして完成された話が、コピー&ペーストで流布していくのです。物語としては、緻密に見えるけれども実は多様性の豊かさの面においては痩せている、ということが多いんですね。

 「自分が信じるストーリー以外にもストーリーはある」ということを知っているだけで、ずいぶん世の中の見方は変わってくるだろうと思います。自分のスキームだけが当たり前だと思ってしまっている状況そのものに、物語論的に働きかけていく――それが、現代をより理解するために民俗学が発信できることなんじゃないか、と考えています。

 

 

 

飯倉 義之

研究分野

口承文芸学、民俗学、現代民俗

論文

柳田國男と/民俗学と写真―方法論の不在について―(2023/08/05)

オカルトを買っておうちに帰ろう : 「コンビニオカルト本」の私的観察史(2023/04/01)

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