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【齋藤公太・研究開発推進機構助教】
「日本の伝統」を語るということ

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研究開発推進機構助教 齋藤公太

2018年4月12日更新

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 「日本の伝統」というと、人によって様々なイメージを抱くだろう。そして実際に過去の歴史においても、多くの人々が、それまでに語られた伝統観を礎(いしずえ)としながら、多様な語りを展開していった。
 そうした「伝統の語り方」を紐解いているのが、齋藤公太・研究開発推進機構助教だ。しかもその研究の最初の動機は、10代のころの経験に端を発しているという。果たしてどういうことなのか。「私たちはどのような社会に生きているのか」を真摯に探究するその道のりには、思いもよらぬ理由があった。
 
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     私の研究は、『神皇正統記』という、14世紀、いわゆる南北朝期に書かれた歴史書を起点に、明治期までの日本の伝統の「語り方」の変遷をたどる、というものです。そして私がこうした研究に至った原点を考えると、自分がかつて不登校だった、ということと関わっているのです。
 
 まずは、『神皇正統記』について説明すると、これは北畠親房という公卿が、幼かった後村上天皇に対して、南朝の正統性を説明するために書かれたとされるものです。ここで重要なのは、『神皇正統記』が「日本とは何か」「日本の伝統とはどのようなものか」ということに対して、ほぼ初めて正面から提示した文章である、という点です。
 そして、この『神皇正統記』を、江戸時代から明治期までの人々が読み、神道の文脈も踏まえながら受け止め、それぞれに「日本の伝統とは何か」という問いを考えていきました。徐々に日本の国家のイメージというものができていき、近代日本を新しく作り上げる時のイメージの源となっていったのです。
 
 もうひとつ付け加えなければならないのは、「伝統」とは決して一枚岩のものではない、ということです。まず、人間は生まれた時から何かしらの伝統に規定されているわけですけれども、自分で自分の背中を見ることができないように、自分を規定している伝統の全体像を見通すことはできない。日本の伝統や文化の本質とは何かということを明確に指し示すことはかなり難しい。
  エリック・ホブズボウムという歴史家が「創られた伝統」として語っているように、いまの私たちが伝統だと思っていることが近代以降に生まれたものであることも少なくありません。一方で、日本における近代化も、西洋的な近代化の文脈だけで単純に「近代化」した、と語ることもできないわけです。そうした中で、人々は伝統について語り、そこでつくられたイメージにもとづいて社会を形成していきます。
 
    そこで私が考えたのは、伝統の語り方そのものの歴史、「伝統」そのものの伝統、ということなんですね。日本の社会では、どういうふうに伝統がイメージされてきて、それが受け継がれてきたのか――いわゆるメタレベルの語りを扱おうと思ったのです。 
 
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 ではそもそも、私がなぜこのような分野に興味を持ったのか。それが先ほどお話した、私の青少年時代にかかわってきます。小学校の途中から高校まで、私はほとんど学校に行っていませんでした。学校に通うようになったのは、大学で学び始めてからなんですね。最初に学ぼうとしていたのは哲学でした。というのも、学校という制度に違和感があったわけで、それは学校というシステムの背景にある近代社会に対する違和感だと思ったから。近代とは何か、ということを哲学的に考えていこうと思っていたんです。
 
 ただ、丸山眞男や福田恒存(編註:それぞれ革新的/保守的という立場の違いはあれど、日本社会について広い歴史的なスパンで論じ、昭和の論客として大きな功績を残した)といった人たちの著作を読んでいくうちに、「自分が直面していた問題は、果たして単純に近代の問題だったのか」と考え直すようになっていったのです。そこには日本特有の伝統も関連していたのではないか、と。単純に近代批判をするのではなく、もうちょっと自分の足元を見つめ直そうと思ったんですね。 
 そこから、伝統、そして宗教、特に神道といったものが研究の中心になっていきました。少年期から日本の神話や神道、そして宗教そのものに関心を持っていたことも、大きな影響を与えています。こうしたことが絡み合って、現在の研究へとつながっていったのです。
 
 最近になって、一般の方向けに講演をする機会が出てきました。その時に参加者の方から、「日本というものに興味があるのだけれど、世の中で言われていることが正しいかどうか、自分ではなかなか判断できない。そこで「伝統の語り方の歴史」教えてもらえたのが、すごく面白かった」と声をかけていただきました。 
 私自身も、そうした社会との接点を探しています。何より研究の最初の動機である、私が生きている現在の社会へとつなげていくべく、一度一番遠くの「伝統の語り方」の原点まで遡ってから、徐々にいまへ近づけるよう模索を続けているところです。近年研究を始めているのは、明治期の日本のクリスチャンの人たちが、伝統的な日本の神道のことをどのように捉えていたのか、というテーマです。その人たちが神道という日本の「伝統」と対峙したときに何が生まれていたのか――そこからまた日本の伝統を捉え直すきっかけができるのではないかな、と感じています。 
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  大学時代に、ある先生が授業中に言っていたことを今でも覚えています。それは、「いい論文というのは、小さな窓から大きな世界を見るような論文なんだ」ということです。大きな窓で世界全体を捉えようとするのではなく、小さい窓から広い世界全体を見るような論文こそがいい論文だとおっしゃっていた。
   
 私が自分自身の研究に納得する瞬間が訪れるとしたら、それは大著を書いて完結する、ということではないと考えています。何より、まだ自分の語っていることが大雑把だという自覚がある。今後は、ごくごく狭いテーマを扱っているかもしれないけど、問題を捉える視野の精度をもっと高めていって、問題の“急所”を捉えられたのではないか、と手ごたえを感じる――そうやって自分自身で納得できるところまで、研究を続けていきたいですね。
 
 若い時は、卒論でも、それこそ人生でも、すぐに答えを出そうとしていました。でもその時に出した答えというのは、いま見てみると粗くて、すごくつまらないなと感じます。答えが出ないということは、見ようによっては苦しいことかもしれないですけれども、逆にいえば、無限大に探究する余地は残り、その地平が広がっている――これからどんどん深められるということでもある。
  その深さをきちんと捉えて研究を続けられているのならば、いつまでも面白い研究を進めていられるということなのではないか。そう信じて、目の前の研究にあたっているのです。
 
 
 

 

 

 

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