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怪奇を考える。実話怪談から見える可能性

昭和と令和をつなぐ文学の橋 −後編−

  • 文学部
  • 日本文学科
  • 全ての方向け

文学部 日本文学科 准教授 安西 晋二

2026年2月2日更新

 日常において見慣れた駅の地下通路が、無限ループの恐怖空間へと転じていく。令和5(2023)年にインディーゲームとして発売され一世を風靡し、令和7(2025)年8月に映画版が公開された『8番出口』のような作品は、ぞっとするものが日常の風景にそのままとけこんでいる感覚を、うまく表象しているのかもしれない。

 そんな現代的な感覚と、昭和の作家・澁澤龍彥が描いた世界の手触りが、不思議と重なり合うかもしれない──そんな予感に促されているのが、安西晋二・文学部日本文学科准教授だ。インタビュー後編は、コロナ禍に安西准教授が読み浸っていたという、実話怪談小説の話からはじまる。〈怪奇〉は時代を超えて、私たちの日々にそっと顔を出す。

 

▼もくじ

コロナ禍に知った今っぽい〈怪奇〉

文学における怪奇と現代の実話怪談は繋がりを持っている?

日常と怪異が繋がる現代の価値観で読む面白み

 

コロナ禍に知った今っぽい〈怪奇〉

 

 最近、気になっているのは〈怪奇〉です。幼い頃から幽霊や妖怪といった得体の知れないものが好きで、そこから澁澤龍彥の文学世界へと深入りしていくことになったことはインタビューの前編で触れました。澁澤の広い教養や関心も含めて日本近現代文学を研究するなかで、改めて〈怪奇〉というテーマに目が向くようになったのは、実はコロナ禍が大きなきっかけだったのです。

 家からなかなか出られず、仕事もオンラインで取り組むしかない日々。読書好きの方はご記憶にあると思うのですが、あの頃はなかなか書店にも足を運べず、私も電子書籍を購入するようになりました。電子書籍のサブスクリプションを購入すると、その読み放題のラインナップのなかに、竹書房という出版社の怪談文庫というシリーズが入っているのを見つけました。

 「竹書房怪談文庫」は、いわゆる“実話怪談”と呼ばれる人気ジャンルにおいて非常に有名なレーベルです。自分が体験したり、人から聞いたりした“本当にあった怖い話”を語るもので、YouTubeなどをはじめとした映像配信などで楽しんでいるという人も多いかと思います。

 コロナ禍の最中、電子書籍のサブスクリプションでは、実話怪談の新作文庫が毎月次々と配信されていました。私はそれを黙々と読む日々を送っていたのです(笑)。読んでいくうち、似たような〈怪奇〉が違う話で度々登場するということもあれば、私が子どもの頃にはあまり見聞きしなかったような、とても今っぽい〈怪奇〉が出てくることもあるなど、いろいろな発見がありました。

 

 

文学における怪奇と現代の実話怪談は繋がりを持っている?

 

 そうしたあれこれを読み進めながら、ふと思ったのです。「文学における〈怪奇〉や幽霊文学といったようなテーマは、多くの先達の方がいらっしゃるけれども、自分なりにきちんと読み直してみたら、現代の実話怪談にもどこかでつながるような新しい面白さを発見できるのではないか……」と。私なりに、というのはつまり、澁澤龍彥が〈怪奇〉に寄せた興味も含めて辿り直してみる、ということですね。半分趣味、半分研究のようなつもりで、現在に至るまで〈怪奇〉を頭の片隅で考え続け、時折論文として執筆している、というところです。

 私自身、まだ明確に考えられてはいないのですが、いま澁澤的な〈怪奇〉を捉えようとすることにはさまざまな可能性が宿っているようには感じています。たとえば澁澤は、キャリアを通じて、ヒューマニズム批判をそれとなく続けています。つまり、人間という存在を中心としたエゴイスティックな価値観への批判ですね。澁澤が人間以外の存在として〈怪奇〉を描くときには、そうしたヒューマニズム批判の視点が多分に含まれていることがある。

 これを現在の視点で考えると、たとえば排外主義的なアジテーションも、自分という人間の安定性を疑わないという意味では実はヒューマニズム的である、といえなくもない。さらには、そうした安定した自己の外側にこそ、人間以外の、コントロールできない〈怪奇〉が存在するのではないか……といったような考え方もできるように思います。

 興味深いことに、澁澤自身は確固たる自我の持ち主であり、ある意味で確信に従って生きていた人なのですが、そうした澁澤が書き残したもののなかにはさまざまな揺らぎが宿っているんです。その揺らぎも含めて、〈怪奇〉のことを考えてみるという手はあるような気がしています。

 

 

日常と怪異が繋がる現代の価値観で読む面白み

 

 それに連なるようなもうひとつの可能性として、現在の感性や価値観のもとで澁澤を読んでみるとどうなるか、ということにも関心があります。たとえば日本でも2010年代以降に一気に受容が進み、各方面で話題を呼んできているマーク・フィッシャーという思想家がいます。彼にはその名も『奇妙なものとぞっとするもの 小説・映画・音楽、文化論集』 五井健太郎訳、Pヴァイン、令和4(2022)年)という著作があるのですが、澁澤が「幻想」として語っていたものは、フィッシャーが「奇妙なもの」「ぞっとするもの」と名指したものと重なり合うんです。

 そしてそれは、ホラーやネット怪談などが流行し、どこか日常と〈怪異〉がシームレスにつながるような感覚を抱いている私たちの現在とも、無関係ではないとも思うのです。昭和の感性で澁澤を読むだけでは見えてこない、今だからこその面白さが、きっとあるだろうと感じています。

 

「明治初期毒婦小説集成」第1巻・第2巻  ゆまに書房 2025年4月 [提供:安西晋二]

 最後に、これも面白く取り組んでいる仕事としてご紹介できればと思います。文学部日本文学科の同僚である中村正明教授にお誘いいただいて、一緒に監修・編集・解題に取り組んでいる『明治初期毒婦小説集成』全7巻(ゆまに書房、令和7(2025)年4月~)です。明治初期という時代において、江戸期の戯作の系譜を受け継ぎながら、活版印刷の勃興と共に人気を博した「毒婦小説」。私としては『世界悪女物語』を著した澁澤の専門家として興味深いのと同時に、ひどい男に振り回される女性たちの姿は現代的・ジェンダー的な観点から読み解ける可能性があるようにも思われます。澁澤を読むことが、自分としても予想外なこうした広がりをもつことに、新鮮な感覚を抱いているところです。

 

<<前編は 澁澤龍彥という迷宮への誘い。異端の作家を文学史に位置づける

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安西 晋二

研究分野

日本近現代文学

論文

岡本起泉『恨瀬戸恋神奈川』論―明治初期草双紙における虚実の一例―(2025/05/15)

〈怪奇〉を語る澁澤龍彥―非人間的存在への志向―(2025/03/20)

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