
“教育における身体”を研究するといっても、今回は体育の話ではない。明治期以降、近代日本の教育において重視されてきた「修養」と身体性の関係を研究しているのが、教育方法学を専門とし、主に教職課程を担当する齋藤智哉・文学部日本文学科教授だ。
いったいそこには、どんなミッシングリンクが見いだされるのだろうか。近代日本教育史の話が、思わぬかたちで私たちが知る現代の教育現場へと流れ込む、魅惑的なインタビューを前後編でお届けする。
教育方法学と聞くと、どのような学問だと想像されるでしょうか。その全体像をまとめた『教育方法学辞典』(日本教育方法学会編、学文社)が令和6(2024)年に刊行され、私も執筆で参加しているのですが、この辞典の章立てを概観するだけでも幅の広さを感じていただけるかと思います。
章立ての一部を挙げてみると、「教育方法学の原理と方法」「子どもの発達と教育方法」「カリキュラム・教育課程」「学力の形成と授業の研究」「教科と領域の教育方法学」「教育方法の歴史と実践」……など、多岐に渡ります。教育学が扱ういわば理念的な内容を実践的な側面から研究するのが教育方法学だと考えていただければ、ざっくりとイメージしていただけるでしょう。
なかでも私は、近代日本の教育における「修養」を中心的なテーマに研究を進めているのですが、このテーマにたどり着くまでは、かなりの紆余曲折がありました。その経緯をお話しすることが、「修養」をめぐる問題にやがてつながると思います。
実は私、法学部出身なんです(笑)。ですので、まわりの友人たちの多くは司法試験を目指していました。しかし、大学入学当初は、法曹の世界に進むか学校の先生になるかで迷っていましたので、私は教職課程を履修しました。そして、教職課程を履修しているうちに、だんだんと関心が教育に移り、最終的に大学院で教育方法学を専門にする道を選ぶことにしました。
そのときからずっと、私の関心の核にあるキーワードは、「身体」や「型」だといえると思います。小学校2年生から剣道を続けていることもあって、何かを学ぶためには、まず自分の「身体」があって、その「身体」を通して「型」や技を習得していく学びのプロセスが沁みついていたからかもしれません。ただ、どうやら現代の教育では、こうした観点はほとんど重視されていないですよね。そのことを批判したいわけではなく、「身体」や「型」の重要性をことさら強調し復権させたいわけでもなく、教育における「身体」や「型」とはなんだろうかという素朴な問いから研究が始まりました。

大学院に進学し、修士論文では国文学者・民俗学者である折口信夫の師弟関係をテーマにしました。当時は、まさか本学の専任教員になるとは夢にも思っておらず、振り返ってみれば不思議な縁ですよね(笑)。ともあれ、まずは師弟関係──特に師匠としての折口の「かたる」行為と、それを聴く弟子の構えに着目し、教育における「身体」と「型」の一端を見て取ろうとしたのでした。
折口は弟子に口述筆記をさせたことで有名ですが、「感染教育」という、いま聞くとドキッとするような表現で師弟関係の特徴が説明されます。まさに感染するように、声を媒介とした「かたる」行為によって弟子と一体化し、その情念までも含めて伝えていく。そこには教育における身体性の、一見極端ではありながら非常に根本的な様相を垣間見たように思います。
しかし、博士課程に進んでから困ってしまったんですね。この先は、別の師弟関係について調べていくだけでいいのだろうか。それでは、無暗に師弟関係のケーススタディを積み重ねるだけにならないか……。確たるテーマが見つからないまま、暗闇の中で論文と本を読みあさるだけの日々が2年以上続きました。
そして博士課程3年目の半ばにたどり着いたのが、蘆田惠之助(あしだえのすけ)という、戦前の国語教育の著名な実践者でした。蘆田は「随意選題」や「綴り方教授」で有名ですので、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。当時の私も、もちろん蘆田の存在は知っていましたが、改めて蘆田の全集を読み返していたときに、教師の「修養」が問題にされていることに気づいたんです。他にもいろいろと調べていくと、唐木順三が『現代史への試み』(筑摩書房)のなかで、大正6・7年を画期として日本社会は「型」を喪失し「修養」から「教養」の時代へ変化したと言っています。確かに、大正教養主義に代表されるように、いわゆる都市中間層は教養主義へ流れていきます。しかし、不思議なことに、教師は時代に逆行するように「修養」を継続するのですね。「なぜだ?」と思ったわけです。この段階で、近代日本の教育における「修養」というテーマが、私の中に浮かび上がりました。
このことを指導教官の先生に報告したところ、「いいテーマを見つけたね」とニッコリ微笑んでくださいました。と同時に、「『修養』というのは定年間際の先生が取り組むような大きなテーマだから、時間はかかるかもしれないよ」とも。どういうことでしょうか。
もとをたどれば、「修養」という言葉は、近代における翻訳語です。中村正直がスマイルズのSelf -Helpを明治4(1871)年に『西国立志編』として翻訳した際に、cultivationを「修養」と訳しました。のみならず、中村は同じ語を「教養」や「教育」とも訳しています。もちろん研究上、「修養」という概念をめぐってはさまざまな議論があります。この記事の読者の方にとってもなじみ深いかもしれない「研修」という言葉にも関係があるという解釈もあります。

「修養」という研究テーマは、すくなくとも明治・大正・昭和前期の森羅万象について博覧強記といえるくらいに知悉している人でないと、なかなか歯が立たないよということを、師匠は言外におっしゃっていたのです。いまだに私の研究は未完成ですので、あのときの師匠の言葉は本当だったと痛感するばかりですが……(笑)。それでもやはり、「修養」というテーマは興味深く、「身体」や「型」とも強い関連があります。インタビュー後半では、そうした「修養」の世界の入り口を、すこしでもご紹介できればと思います。
後編は 「近代日本の教育方法学にみる姿勢と呼吸」>>
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齋藤 智哉
研究分野
教育方法学
論文
戦後の芦田恵之助の教育思想に関する覚書-「修養の道連」「師弟共流」から「共に育ちましょう」へ―(2023/02/20)
明治時代における芦田恵之助の「修養」(2022/02/20)