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院友研究者と学士院賞

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研究開発推進機構 助教 比企 貴之

2025年7月7日更新

 学士院賞は、人文・社会・自然科学の広範な分野を対象として、顕著な業績を上げた研究者に授与される、日本学術界における最高水準の栄誉とされる賞である。さらに、そのなかでもとくに優れた業績には、上位賞である恩賜賞が授与される。

 この賞の制度は、明治44(1911)年に帝国学士院において創設された。その母体となった学術機関は、明治12(1879)年に設立された東京学士会院に遡る。同会は、欧米諸国の制度、とくにフランスのアカデミーを範とし、明治39(1906)年には帝国学士院へと改組された後、昭和22(1947)年に日本学士院と改称されて今日に至る。

 受賞者は、院友(國學院大學卒業生)の研究者からも輩出されており、たとえば武田祐吉(21期。「万葉集校定の研究ならびにその万葉学における業績」昭和25(1950) 年)、米原正義(62期。「戦国武士と文芸の研究」昭和53(1978)年)、小川信( 51 期。「足利一門守護発展史の研究」昭和56(1981)年)、また高等師範部中退ながら所三男(「近世林業史の研究」昭和56(1981)年)らがいる(以上日本学士院より)。

 恩賜賞受賞者としては、八代国治(5期。「長慶天皇御即位の研究」大正13(1924)年)や奥野高廣( 36期。「皇室御経済史の研究」昭和20(1945)年)らに屈指できる(以上帝国学士院より)。院友に限定しなければ、本学所縁の研究者の受賞例はさらに多数におよぶ。

 令和7(2025)年は、恩賜賞を受賞した奥野高廣(1904〜2000年)の没後25年にあたる。昭和3(1928)年に國學院大學国史学科を卒業した奥野は、東京帝国大学の史料編纂掛(現・東京大学史料編纂所)に勤務し、室町後期から安土桃山期にかけての史料編纂に従事した。

 昭和20(1945)年からは母校でも教鞭をとり、前出の小川信もその薫陶を受けた。代表作『皇室御経済史の研究』が一等著名であることはもちろん、大学院での講義内容に基づいた『戦国時代の宮廷生活』(遺著)も広く知られるほか、編著の史料集『織田信長文書の研究』は現在も基礎的文献として重用されている。

 研究開発推進機構では、彼の卒業論文『徳政令の社会的意義』を収蔵している。そこには、既存の史論に対する奥野の立ち位置を問うとともに、大量の引用史料の読み込み余地に関する厳しいコメントの一方、前向きに今後の改訂を期す旨、審査にあたった渡邊世祐による評がみえる。「彼も人なり…」との思いは僭越に過ぎるかも知れない。けれども、卒業論文からは、後年の偉大な研究者でさえ、学生時代には現代の学生とさほど変わらない指摘を受けたという意外な一面が覗る。ここから、我われは研究に向き合う姿勢をいま一度省みなくてはいけない。しかし同時に、学問の道を歩むうえでの一抹の勇気くらいは頂戴してもよかろう。

 

学報連載コラム「学問の道」(第68回)

比企 貴之

研究分野

日本中世史、神社史、神祇信仰、神社史料、伊勢神宮、石清水八幡宮

論文

伊勢神宮の中世的変容と祭主・宮司の文書(2025/03/20)

大中臣祭主の家にかんする研究余滴-名前の「親」字の読み-(2025/03/06)

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