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宗像大社と沖ノ島、海の孤島に集ったイノベーション

考古学と古事記で巡る日本ヒストリー episode1

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神道文化学部 教授 笹生 衛

2017年12月25日更新

DJ(宗像)

沖ノ島の中腹にひっそりと佇む沖津宮拝殿

 「古事記」などで伝えられる日本の神話。それらの背景を考古学から迫ると、本当の〝古代〟が見えてくる。初回は、世界遺産に登録された沖ノ島と宗像大社について、そのルーツに迫った。

 

沖ノ島に宿る女神と

国家祭祀の舞台になった理由

 福岡の玄界灘に浮かぶ「沖ノ島」。2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコの世界遺産に登録されたことで知られる。島自体が「御神体」として長く信仰され、これまで一般人の入場が許されたのは年1日のみ。島からは草木石さえ持ち出すことを禁止されるなど、厳しく制限されてきた。2017年からは、全面的に一般人の入場が禁止となった。
 信仰の歴史は古い。古墳時代にあたる4世紀後半から、この島では国家祭祀が盛んに行われた。以後、神域として守られたため、祭りの様子を伝える当時の奉納品や道具が手付かずのまま多数出土。これが世界遺産につながったのだった。

沖ノ島

沖ノ島

 なぜこの島で国家祭祀が行われたのか、古事記から紐解いてみよう。沖ノ島のある福岡県宗像市には、宗像大社という神社がある。大社は3つの宮に分かれ、沖ノ島はそのひとつ。「沖津宮」として島全体が境内となっている。さらに、沖ノ島と本土の間に浮かぶ大島に「中津宮」、九州本土に「辺津宮」があるのだ。

 3つの宮に祀られるのは、3柱の女神。古事記によると、アマテラスオオカミがスサノヲノミコトの剣から生んだ神々で、宗像三女神と呼ばれる。さらに、古事記と同じく歴史書として知られる日本書紀では、海の「道」の最高神とされ、海上交通を見守る存在となった。だからこそ、航路の安全を願って沖ノ島で国家祭祀が行われてきた。

中津宮(大島)

辺津宮(九州本土)

辺津宮(九州本土)。沖ノ島の沖津宮を含め、三社からなる宗像大社。大島、沖ノ島は本土からほぼ直線に並び、その先に朝鮮半島があるため航路の中継点となった。

 とはいえ、国としての安全を九州の、しかも孤島で祀るのは不思議だ。たとえば4世紀後半は、奈良を中心としたヤマト王権が栄えた頃。なぜこの島が重視されたのだろうか。 

 研究者の意見を聞いてみよう。國學院大學 神道文化学部教授の笹生衛氏は、神社や祭祀の遺跡から古代に迫る「祭祀考古学」の専門家。同氏は「当時のヤマトから朝鮮半島への航路を考えると、沖ノ島の価値が見えてきます」と言う。

「4世紀後半は朝鮮半島内部の勢力争いが激化した時期。その中で、日本列島(倭国)と朝鮮半島との交流は活発化しました。彼らが近畿地方から西進して朝鮮に渡る上では、宗像からのルートが最短。そして、ちょうど航路の中継点となる場所に沖ノ島があったのです。しかもこの島は、海の孤島でありながら真水が出ました」

当時の航海ルート

当時の航海ルート

 

鉄やガラス、機織機 

最先端技術が奉納されていた

 ヤマト王権、倭国にとって、朝鮮半島との交流は最新の技術・知識・鉄資源を得る意味で重要。また、当時の航海技術を考えれば、朝鮮半島へたどり着くのは簡単ではない。だがそれを助けるように沖ノ島があり、しかも海路では貴重な真水まで手に入った。だからこそ神格化され、国家祭祀の舞台となっていく。

 古事記や日本書紀が編纂されたのは7世紀後半。4世紀後半以来の沖ノ島における神祭りの伝統が、これらの歴史書で明確となった。「日本書紀には、宗像大社の部分で『天孫(あめみま)を助けよ』という意味の記述があります。天孫とは天皇のことです」と笹生氏は付け加える。 

 祭祀考古学の研究でも、沖ノ島の遺跡からヤマトとの関係が分かるものが見つかっている。「鏡や腕輪など、沖ノ島で発掘された4世紀頃の遺物は、奈良で出土した同時代の古墳の副葬品と一致。ヤマトによる祭祀を裏付けています。また6世紀頃の奉納品については、伊勢神宮の御神宝と類似した品が出土しています」と笹生氏。

 古墳時代の最新技術を象徴する品々は、奉納品として沖ノ島に納められ、時を超えて現代に発見された。

「鉄の延べ板やガラス器など、大陸から入った当時の貴重品が沖ノ島から出土しています。それは、各時代のイノベーションを象徴する品々です。たとえば機織機も進化しており、金色にいろどられた模造品が伝えられています。これは、沖ノ島がいかに大切な場所であり、神へのお供えとして国が最新、最上のものを奉納した証拠。その信仰と地理的な関係により、沖ノ島の祭祀には最先端イノベーションが集まっていたのです」

沖ノ島で出土した6世紀の龍頭。同時期に中国の石窟で描かれたものと酷似。

沖ノ島で出土した7世紀の龍頭。同時期に中国の石窟で描かれたものと酷似。

8〜9世紀頃のミニチュア機織機。当時の最先端品を祭祀で奉納したと考えられる。

8〜9世紀頃のミニチュア機織機。当時の最先端品を祭祀で奉納したと考えられる。

 これらの遺物は、辺津宮にある「神宝館」に展示されている。4世紀後半に始まった沖ノ島の国家的祭祀は、その島や宗像大社を「海上交通の神」と位置付け、以後はルートに関わらず、航海の際に祈る対象となった。その強い信仰は受け継がれ、沖ノ島は保護され続けたのだった。

宗像三女神の降臨地とされる高宮祭場(辺津宮)。

宗像三女神の降臨地とされる高宮祭場(辺津宮)。

 3つの宮に分かれる三女神だが、顔を揃える機会がある。10月初旬の「みあれ祭」だ。沖津宮と中津宮から船で御霊を運び、辺津宮で祭りをするのだ。玄界灘を守り、古代の航海を助けてきた宗像三女神は、今も地域に根付いている。 

みあれ祭の様子。地元漁師の船が御霊を取り囲み、地域一丸で本土へと運ぶ。

みあれ祭の様子。地元漁師の船が御霊を取り囲み、地域一丸で本土へと運ぶ。

古事記とは?

日本最古の歴史書で、数多くの神話を記載。國學院大學では、文部科学省の平成28年度「私立大学研究ブランディング事業」に「『古事記学』の推進拠点形成−世界と次世代に語り継ぐ『古事記』の先端的研究・教育・発信−」が採択され、大学独自の「古事記学」構築を目指している。

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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