人の生涯にわたる健康は、実は子どものとき、あるいは生まれる前からの環境が大きく作用しているかもしれない。
肥満の子どもたちの健康増進に長らく携わってきた、川田裕樹・人間開発学部健康体育学科教授へのインタビューは、後編へ。子どもの健康は周囲の大人たちと共にある、だからこそ抱え込む困難を、どうにか突破しようとする最新の研究へと話は至る。DOHaD(ドーハッド)学説に、エピジェネティクス? 専門的な用語でよくわからない、と嘆くなかれ。本記事を読めば胎児や幼少期の発育と生涯の健康との関係性や学術的なおもしろさに、きっと気づけることでしょう。
人が一生、生き生きと過ごすことができるよう、川田教授の挑戦は続く。
肥満の子どもに対しては、成長期であるので過度な食事制限に頼るのではなく、運動を習慣づけることで健康増進を図っていくのが望ましい──インタビュー前編でのお話をまとめると、おおよそこのようなものになります。ところが、現代の社会はテレビやゲーム機、スマートフォンなどといった体を動かさずに楽しめるものが氾濫しています。そのため、子どもたちが自身にスポーツや外遊びなど、運動を日常的に課すということが非常に難しくなってきているように思います。
そこで重要になってくるのが、周囲の大人、特に保護者との関係です。押さえておくべきは、「運動しなさい!」と保護者の側が一方的に指示するのではなく、保護者も一緒に体を動かしたりコミュニケーションを取ったりしながら支援していくことで、子どもの運動は習慣づけられ、継続されていくということ。子どもの運動を子ども任せにするのではなく、保護者も一緒に取り組んだり関わったりしていくというアプローチが必要になってくるだろう、というのが私の見立てです。
ただ、ここで難しい問題もまた立ちはだかります。本記事の読者の皆さんのなかにも、心当たりがある方がいらっしゃるかもしれませんが、子どもの保護者の方々のなかには、「自身が運動をすることに対して苦手意識をもっている方もいる」のです。
私は体育学部出身ですし、運動をすることは大好きです。休日になれば子どもと公園で走りまわったり野球をしたりするなど、体を動かしながら遊ぶことは日常茶飯事。ただ、すべての保護者が、運動に対してポジティブな関係を結んでいるとは限りません。かつて体育の授業が苦手だったという方もいることでしょう。
特に女性の方が運動に対して距離感を抱いているというケースが多いように思いますし、実際に厚生労働省 国民健康・栄養調査のデータを見ても、運動習慣者や歩数は女性の方が低いという結果が出ています。女性の場合、もとから運動が苦手だったという方のみならず、思春期にだんだんと運動から距離を置いた人もいます。あるいは10代の頃は運動部に所属していたとしても、大人になるにつれ体を動かすことから離れていってしまったというケースも珍しくない。やがて子どもを育てるときには、一緒に体を動かすことがためらわれるようになってしまうわけですね。
本来、子どもを育てるのは母親だけではないわけですが、日本社会の状況としては、子どもと一緒にいる時間が長いのは母親であることから、子どもは食習慣や運動習慣など、我が国では多くの生活習慣が特に母親の影響を大きく受けることが指摘されています。このことはジェンダーロールの観点において非常に難しい問題です。ただ一方で、子どもというのは、「生活習慣を自分ひとりで決められない」存在であり、親をはじめ周囲の行動や嗜好などの影響を大きく受けるということを、大人側が理解することが重要だと考えます。ですから、運動習慣についても、それを形成するためには周囲の大人たちの力が必要になってくるわけです。したがって、どのようにして親子で共に運動を習慣化するかなど、子どもの運動習慣形成に対する親をはじめとした大人の関わりかたも、私の今後の研究課題のひとつです。
さて、こうした子どもたちの肥満や健康に関する問題と連なる話として、現在集中的に取り組んでいるテーマがあります。それは「妊娠期に体を定期的に温めてあげること(温熱刺激)によって、生まれてきた子どもの成長後のエネルギー代謝が改善し、生活習慣病に罹患しにくくなるのか」というもので、日本学術振興会 科学研究費助成事業に採択され、研究を進めています。妊娠中の母体に対して反復的な温熱刺激を与えた場合、運動と似たような作用によって、出生後の子どもに対して将来の生活習慣病予防効果をもたらすのかを実験動物(ラット)を用いて調べています。
妊娠中でも体力向上や健康の維持増進のために運動をしたほうがよいということは、例えばマタニティスイミングなど、読者の皆さんも見聞きされたことがあるかと思いますし、実際そのように促された方も多いことでしょう。おもしろいことに、最近の研究において、妊娠期に行う母体の身体運動が、母親のみならず生まれてきた子どもの将来の生活習慣病予防に有用である可能性が報告されるようになってきました。そして、そのメカニズムの一つとして――少々難しい話になってしまいますが――運動によって胎盤から分泌されるSOD3(スーパーオキシドジスムターゼスリー)という生体内の抗酸化酵素が胎児の肝臓に作用することで、出生後、子の将来の糖代謝に好影響を及ぼすことが動物実験などによって明らかにされつつあります。
こうしたトピックの背後にあるのは、DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)学説と呼ばれている考え方です。ざっくりといえば、将来の健康や病気(Health and Disease)は、人生の早期(Developmental Origins)、つまりは胎児期や幼少期の影響を大きく受ける、という学説です。
さらに、このDOHaD学説を支える科学的な知見のひとつとして、エピジェネティクスという考え方を挙げることができます。DNAの塩基配列は親から受け継ぐもので生涯変化しないのですが、後天的なメカニズムによってDNAの情報がどう用いられるか(=どのように発現するか)、すなわち、「生命(タンパク質)の設計図」であるDNA情報のスイッチのオン/オフ(=エピジェネティクス)が変化することによっても表現型に影響が及ぶ(生物学的な無数の特性が生じる)ことがわかってきています。例えば、ミツバチは雌の働きバチと女王バチとで同じDNA配列を持っているにもかかわらず、女王バチは働きバチと比べて体は1.5倍、寿命は20倍にもなり、卵を1日に1500~2000個も産卵します。では、この差はどのようにして生じるかというと、幼虫の頃にローヤルゼリーを与えられて育つことで、女王バチに分化されるというエピジェネティックな変化によるものであることが知られています。
このような話に興味のある方は、ティム・スペクター著『双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける』(野中香方子訳、ダイヤモンド社、2014年)という本を、ぜひご一読ください。中身を簡単に紹介すると、基本的に同じDNAをもつはずの一卵性双生児においても、遺伝子情報のオン/オフはその後の環境に拠ることから双子は似ているようで異なる存在として成長していく、といった概要です。
幸い我々の研究メンバーは、ラットに温熱を与えることによる体温上昇が運動に似た代謝反応を引き起こすということを既に明らかにしています(Keiichi Koshinaka et al. 「Elevation of muscle temperature stimulates muscle glucose uptake in vivo and in vitro」(『The Journal of Physiological Sciences』63:409-418, 2013))。そこで、我々の研究テーマである「妊娠期における母体への温熱刺激」が、先ほどご紹介した「妊娠期における母体への運動」の先行研究の結果と同様に、子の将来の生活習慣病予防効果をもたらたすのか、明らかにしたいと考えている次第です。
この研究はあくまで実験動物を用いた基礎研究ではあるものの、もしかしたら先ほど申し上げたような、運動に対して心理的な距離がある親御さんたちに、何か光をもたらしうるかもしれません。妊娠中の母親に対して入浴や足湯などの反復的な温熱刺激を与えることで、まるで母体が運動をしたかのように胎児に対してエピジェネティックな変化をもたらし、その結果、子の将来の生活習慣病予防に寄与するとしたら……。現在実験を鋭意継続中ですので、仮説どおりの結果が得られるのか私にも全くわかりませんが、どこかでまた研究結果をご紹介したいと思いますので楽しみにしていてください。今後もひとりでも多くの方々が生涯にわたって健康に暮らすことができるよう、研究を続けていこうと思います。
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川田 裕樹
研究分野
発育発達、運動生理・生化学、栄養学、運動処方、健康教育学
論文
GPS測定による移動軌跡から得られる幼稚園児の活動の特徴(2022/02/01)
The Association of Body Image Self-Discrepancy With Female Gender, Calorie-Restricted Diet, and Psychological Symptoms Among Healthy Junior High School Students in Japan(2021/10/05)