かつて学校の授業で、古典文法を覚えるのに苦しんだという人は少なくないだろう。しかしそれほど古典文法が重視されているにもかかわらず、実際の読解・解釈では文法的な理解が不正確なまま伝えられることがあるという。一体、どういうことなのか。
古典文法を中心に日本語文法の仕組みを研究する、小田勝・文学部日本文学科教授へのインタビュー。今回の後編は、文法の仕組みを考えるということがもつ、その秘められた力を伝えるものとなる。『源氏物語』にしても『百人一首』にしても、文法をめぐる見地から眺めれば、再考すべき余地はたくさんありそうだ。(このインタビューは令和6(2024)年9月に実施しました)
インタビュー前編の最後に、いまの古典の読解・解釈において、古典文法の仕組みの正確な理解・反映がなされていないところがあるのではないか、ということを申し上げました。
ここでは『源氏物語』から、具体的な一節を紹介しつつ、ご説明したいと思います。「桐壺」の巻における高麗の相人(占い師)の観相といえば、授業で習ったという方も多いかもしれません。高麗人の優れた相人が日本にやってきたというので、帝が息子である光源氏の相を見てもらおうとする。しかし占い師の側に先入観が働くといけないので、光源氏の素性を隠すわけですね。右大弁が自分の息子のようにして光源氏のことを紹介しながら、相人に見てもらった……という場面での、相人にかんする一節が、私たちにとって問題となります。
相人おどろきて、あまたたび傾(かたぶ)きあやしぶ。
この文は、ふつう「相人は驚いて、何度も首を傾けて不思議がる。」と現代語訳されています。それで良いのですけれども、ここで、古典文のカタチを見てください。「傾き」と、自動詞になっていますね。実はこういう場合、古典文では「首が傾いて不思議がる」というように、自動詞で表現するのです。
例えば、『古今和歌集』の、詠み人知らずの下記の歌を見てみましょう。
昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く
現代語では「稲葉をそよがせて」と表現しますが、古典文は「稲葉がそよいで」と自動詞になっています。
百人一首にもとられている、小野小町の有名な次の歌はどうでしょう。
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
ある文庫本は、この下の句を「私も男女の仲にかかずらわっていたずらに物思いをしていた間に」と訳していますが、「世にふるながめ」という連体修飾が、どうしてそういうカタチで解釈されるのでしょうか。私は、これを「内容を表す連体修飾語」ととって、「私がこの世をどう過ごしてゆくかという物思いをしていた、(外では)長雨が降っていた間に」と解釈しています(小田勝『百人一首で文法談義』(和泉書院、2021年9月))が、いかがでしょうか。
こうした例は、いろいろあるようです。
もうひとつ、重要なこととして申し上げたいのは、ここまで述べてきたような疑問が頭に思い浮かぶためには、古典文法の知識だけではなくて、現代日本語文法についても広く知らなければならない、ということです。
たとえば、下記のような古典文を目にしたとします。
「雉やある」と求めに来たるに、虚言(そらごと)を「あり、取りにおこせよ」と言へば(兼澄集・詞書)
「雉はあるか」と求めに来た人に対して、もっていないのに「ある」と嘘をついたというのです。ひどいですね(笑)。ただ、この古典文は、簡単に意味が分かるので、何の不思議も感じないまま読んでしまうのではないでしょうか。しかし、この古典文は、現代語には存在しない非常に面白い形なのです。
私がこのことに気づくことができたのは、江口正「日本語の引用節の分布上の特性について」(『九大言語学研究室報告』13、1992年)という現代日本語文法にかんする研究論文を読んでいたためです。そこでは、現代日本語の引用構文に、
「あるよ」と嘘を言う。
✕嘘を「あるよ」と言う。
という語順の制約があることが指摘されています。こうした知見を知っていたからこそ、「古典語にはこの語順制約がなかった」ということに気づくことができたのです。
日本語文法を広く見渡し、細部に見つめることを、ひたすら重ねていくしかないのではないでしょうか。
目下、私が取り組んでいるのは、『源氏物語全解読』(和泉書院、2024年3月)という、全15巻予定のシリーズです。令和6(2024)年3月に最初の巻が出たばかりですから、まだ先は長い。『源氏物語』をきちんと文法的に読む、ということを徹底してみたいと思っています。
そしてインタビュー前編でもお伝えした通り、同じ版元から平成27(2015)年に刊行した『実例詳解 古典文法総覧』(和泉書院、2015年4月)にかんしても、着々と手を加えています。その後の新たな発見などを版元ウェブサイトで連載として書き連ねており、それらを合わせた新版を刊行する予定です。日本語文法の面白さを、より多くの方へと伝えられればと考えている次第です。