近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。
東都大学野球リーグ
今年の東都大学野球春季リーグでは、國學院大學硬式野球部は苦戦を強いられました。私自身、1部と2部の入れ替え戦を覚悟し、手帳にその日程を書き込んだほどでした。しかし、最終の3連戦で奇跡の3連勝。1部リーグ残留を決めました。
十数年前、本学が2部リーグに降格したことがあります。その時の感動の場面を思い出します。
授業が終了した時のこと、数人の硬式野球部員が一列に並び、「申し訳ありません」と一礼。そして、次の一言でした。
「私たちは知りました。各チームの戦力にそれほど違いはありません。違うのは、自分たちの勝ち方を知っているか、知っていないかだけでした」
「自己が自己を見つめる」主体化
前回、國學院大學の「告諭」にある「本(モト)ヲ立ツル」にいう日本の伝統文化に基づいた神道精神を基礎とする子育てについて、触れました。
具体的には、欧米の子育てが、他者が「つく(造)る」子育てに対し、『古事記』「国生み」に見られる我が国のそれは、自らが「なる」「なろう」とするよう支援する子育て、ということでした。
これを体現したような彼らの言動に感動を覚えたのです。彼らのそれは、自分が自分の主人公であろうとする「主体化」に向けた言動であり、それはまた、自ら「なる」「なろう」とする意欲を前提とするものでもありました。
総じて言えば、「自己が自己を見つめる」姿です。
本学の鳥山泰孝硬式野球部監督の指導方針は、自分の課題を各自見いださせ、その解決法を自分なりに認識、実施し、その結果を見据えた反省を次の自己課題の探究に生かす、というサイクルで一巡すると聞いています。
筆者の知る限り本学では、陸上競技部の前田康弘監督をはじめ、他の監督も、これと同様の「(自ら)なる」を支援する指導方針のようです。
「生きる力」の育成と「(自ら)なる」子育て
平成元(1989)年の学習指導要領改訂以降、我が国の学校教育も遅ればせながら、従来の「つくる」「つくられる」教育からの脱却が図られています。それが、子どもたちの「生きる力」の育成です。
「生きる力」とは、自ら(自律性)、意欲的に(主体性)、他と一緒に(共生)、を指します。これらは、今日の子どもに欠落しているとされる資質・能力です。
筆者も長く関係した学習指導要領は、ほぼ10年ごとに改訂されますが、この間の小・中・高校の学校教育の方向付けをするものです。すなわち、今日の教育界の動向は、本学の教育・子育て理念と軌を一にすると言えます。
今回も、「明治天皇御製」で締めましょう。我が子を大切に思うが故に、大学生活になじんでいるかなど、父母ら(保証人)は心配します。これは、そうした我が子を想う親心を詠った句と言えるでしょう。
「いつくしと めでのああまりに撫子の 庭のをしえ(教え)をおろそかにすな」(可愛いと愛するあまり、愛児(撫子)に対して家庭の教えをおろそかにしてはならない)
新富 康央(しんとみ やすひさ) 國學院大學名誉教授/法人参与・法人特別参事 |
学報掲載コラム「おやごころ このおもい」第22回