町並みを保存するには、地域の人々の存在が何よりも重要だ──。下間久美子・観光まちづくり学部教授は、長年の文化庁での職務経験から、そのように確信的に話す。誰かが決めたから守るのではなく、議論や保存のプロセス一つひとつに、人々が参加することが重要である、と。
前後編にわたるインタビューで浮かび上がってきたのは、文化財と「人」、という観点だ。いま世を騒がせているあのトピックも、人をめぐる問題なのだと、下間教授は語る。
インタビューの前編で、建造物や集落・町並みの保存の主体として、地域住民の方々の存在がとても重要だ、ということに触れました。
そうした文化財の保護をめぐる状況の変化に、すこしでも寄与することができればと思い、文化庁の職員として微力ながら試みたことがいくつかあります。その一つが、前編でお話しした通り、文化庁の機関誌などを通じて修理や防災、環境保全といった、文化財保護行政の考え方や現状をかみ砕いて説明することでした。
NPO法人や市民団体との協働のあり方を発展させるための調査研究を2004年から2年で行い、2006年に委託事業を立ち上げたことも、思い出に残る仕事の一つです。2003年に地方自治法が改正されて指定管理者制度が導入されるのと時期を同じにします。その少し前には、文化財建造物の活用事例集を作成する仕事にも携わりました。
「公開は活用に含まれますか?」「民家に住まうことは活用ですか?」という問いも多く、「活用とは何か」ということから議論を積み重ねる必要があったことを覚えています。「指定管理者制度で文化財を結婚式場として使ってもいいんですか?」といったお問い合わせの電話を受けたりもしました。活用の良し悪しは、用途よりはむしろ、文化財の良い管理につながるかどうかで判断するものと考えていますが、こういう質問が出るほど、日本では保存と活用がかけ離れていたのだと思います。
前編でお話しした長野県南木曽町の妻籠宿では、歴史的な町並みでコーヒーを出してもよいかという議論も行われたと聞きます。笑い話のように思えるかもしれませんが、歴史的な町並みにふさわしいものとは何かを真剣に議論をしたという視点で振り返る必要がある事例ではないでしょうか。最近は、人を呼ぶためや儲かるためであれば、歴史的な建物や町並みをどのように使っても許されるような風潮も感じられます。その価値を損ねるような使い方、それを継承してきた人々の心情を傷つけるような使い方は、文化財の活用ではありません。高付加価値化という言葉を耳にしますが、本質的な価値なくして付加価値は成り立ちません。時間を正確に刻めない腕時計は、デザインに優れたり多機能であっても、時計として劣るとはお感じになりませんか。
難しいのは、活用のために現状を変更する必要が生じた時に、何をどこまで許容できるのかを判断することです。建築基準法のように数値基準があるものは、白黒つけやすいのですが、文化財や自然環境のように、定性的基準によるものにはグレーゾーンがあります。そのため、審議会の意見やアセスメントの結果を判断に用いているのだと思いますが、文化財が生活文化に近いものほど、その保護の在り方の判断に地域住民が関与する必要があるとする考え方が、国内外で広がっています。
国宝・重要文化財の指定の権限は文部科学大臣にあります。一方で、重要伝統的建造物群保存地区や重要文化的景観の選定は、関係自治体が特徴や特性を調査し、文化財としての価値を見いだし、それに見合った保存計画を立てた上で選定申出を行います。選定申出がなければ、どんなに貴重な集落・町並みも、文部科学大臣は選定できません。国がどんなに力を入れても、地域の人々の理解と主体性がなければ集落や町並み、景観の保護は難しいからです。でも、結局は、全ての文化財が、所有者や地元の人々の理解と参加を無くしては長続きしません。今、「参加」と申し上げましたが、本来であれば、「自発性」というべきかと思います。行政が行う保護に地域の人々が参加するのではなく、人々の保存の意思と取り組みを行政が支援するというのが望ましいあり方ですから。
「まちづくり」という言葉の定着には、幾つかの背景があります。集落・町並み保存においては、昭和40年代から50年代にかけて、「保存」が懐古主義で経済開発を止めるものではなく、地域の成長を促す一手段であることを表わすために用い始められました。慣れ親しんできた生活環境、自然環境、文化環境を行政や事業者の考えや利益のためだけに勝手に変えないでほしい、壊さないでほしいという主張が込められています。でも、最近は、省庁も自治体も、自分たちの施策を通すために「まちづくり」という言葉を多用しています。まちづくりの支援のための様々な法定計画や事業が、調整や協議の不足のために、かえって地域の取り組みに行政の縦割りを持ち込んでいる状況を見るのは、とても残念です。
国連が示す「人権」は、人が人らしく尊厳を持って幸せに生きる権利を指し、文化を享受する権利もその中に含められています。近年は、「ビジネスと人権」として、人権を確保し、持続可能な社会と経済発展を実現するために、政府や自治体のみならず、どのような企業も、生活者や消費者、市民社会等とパートナーシップを構築する必要が唱えられています。主要な人権リスクには「企業活動により、先住民や地域住民のあらゆる人権を侵害すること」が含まれ、生活や文化、宗教への負の影響もその内です。今年5月に、国連人権理事会における担当作業部会が日本の状況調査(令和5(2023)年7月24日~8月4日)に関する最終報告を公表しました。その中では、大規模開発における環境影響評価の過程にパブリックな協議が不足している事例として神宮外苑の問題が取り上げられています。実際には神宮外苑だけではなく、国内各地で同様の問題が見られる中で、歴史的な建造物や集落・町並み、文化的景観を巡る議論が「人権」とも結びついていることに是非思いを巡らせていただければと思います。
そう、このことはどこまでも、人が尊厳を持って幸せに生きる権利を巡る問題なのです。
下間 久美子
論文
The Current Situation and Challenges of Cultural Propreties Protection in Japan(2024/05/14)
巻頭論文「国際専門家会合『文化遺産と災害に強い地域社会』の背景、目的、成果」(2016/03/31)