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『國學院雑誌』の創刊

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研究開発推進機構 准教授 渡邉 卓

2024年6月3日更新

 『國學院雑誌』は、本年で創刊130周年を迎える。第二次世界大戦中の昭和19(1944)年に一時刊行が中断されたものの、戦後の23年に復刊され、現在まで通巻1405号(令和6(2024)年5月現在)を越えて毎月刊行され、本学を代表する学術雑誌として学界・思想界・教育界に大いに貢献している。『國學院雑誌』の創刊は社会の趨勢と、それに応える本学の歴史と深くかかわる。

 近世後期以降、「好古」への情熱を持つ人々によって、日本の国柄や文化に密着したさまざまなモノやコトの起源・来歴を考証する営為が盛んとなり、学派を超えた各種の私的集まりが次々と生じた。明治期にも学派にこだわらない国学者らの人的つながりに民間の学問結社が成立し、種々の研究雑誌が刊行された。明治20(1887)年11月、皇典講究所では卒業生の会として水穂会が結成され、同会は「本邦の文学を研究する」ことを目的とした。同会は関係者の著作を多数刊行しつつ、21(1889)年9月に雑誌『日本文學』を創刊する。黒川真頼・小中村清矩・落合直文・三上参次といった皇典講究所講師陣が筆を執っており、刊行は松野勇雄幹事の主唱とされる。その時の「日本文學発行の趣旨」には「今本題に日本文学と称するものは、本邦現行の文学を汎称するに非ずして、本邦固有の文学即ち国柄の如何を徴証すべきものを謂ふなり」と宣言された。同誌は23(1891)年4月の第21号から『國文學』に改題し、25(1893)年4月まで継続した。

 そして、同誌を前身として27(1895)年11月に國學院が創刊したのが『國學院雑誌』である。「発刊の趣旨」には、「国史国文の普及」と「深くこの学問を研究して、其の新彩を発揮」することが掲げられ、さらにその学問を普通教育の基礎となすべきことも明記された。

 また同時期に皇典講究所では、明治22(1889)年1月を第1回として講演会を定期的に開催し、講演録を掲載した雑誌『皇典講究所講演』を刊行し始めた。第1号は同年2月15日付で松野勇雄を発行者としている。およそ月に1、2回刊行され、29(1897)年8月1日付の第180号まで続いた。『皇典講究所講演』や『國文學』所載の論考などは後に分野別に振り分けられ、『法制論纂』『國史論纂』『國文論纂』『法制論纂続編』という國學院編纂の大著として36年から37年にかけて刊行された。このように、皇典講究所・國學院では講演・雑誌掲載・論集刊行という3段階の研究発信を行っていたことが知られる。

『日本文學』発行の趣旨(國學院大學図書館蔵)

 

学報連載コラム「学問の道」(第59回)

渡邉 卓

研究分野

日本上代文学・国学

論文

「上代文献にみる「吉野」の位相」(2024/03/22)

「中世の日本書紀註釈における出雲観―『釈日本紀』にみる「出雲」の文字列から―」(2021/03/31)

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