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現実を揺り動かそうとした文学・芸術運動としてのシュルレアリスムとは

シュルレアリスムの潮流を追って −前編−

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文学部 准教授 進藤 久乃

2024年6月1日更新

 シュルレアリスムというと、どんなイメージを抱くだろうか。サルバドール・ダリが描いたグニャリと曲がった時計? 文学者たちが夢を記述した幻惑的な文章?もちろんそれらもシュルレアリスムの魅力だ。そのうえで、文学芸術運動としてのシュルレアリスムの潮流を深掘りしていくと、力強く“現実”を動かそうとしたダイナミックな運動のありようが、それこそ生々しく感じられてくる。

 進藤久乃・文学部外国語文化学科准教授が見つめているのは、1920年代に産声をあげ、第二次世界大戦の荒波を潜り抜けながら戦後へとつづいていった、シュルレアリスムの潮流だ。当時の読者や鑑賞者たちを魅惑し、挑発してきた制作物は、現代人の私たちの価値観をも、ドキドキするほどに揺さぶる。

 

 いまでこそ、二十世紀のフランス文学、そのなかでも特に、現実をその独特の方法で揺らがせようとした文学芸術運動であるシュルレアリスムについて研究していますが、研究に真剣に向き合うことを決意するまでには、いくつかの段階を経てきました。

 高校時代に習う第二外国語としてフランス語を選んだのがそもそものはじまりで、だんだんと面白くなり、大学でフランス文学を学ぶという選択肢が浮かぶようになっていきました。大学では、将来の仕事につながる知識を身につけるために法律の勉強をしようと考えていたのですが、その頃は1898年に生まれた画家ルネ・マグリットの生誕100周年ということでいくつかの美術雑誌で特集が組まれていたこともあり、絵も好きだった私は、絵画も文学も含まれる芸術運動だったシュルレアリスムが面白そうだと感じたのでした。フランス語を着実に身につけつつ、将来のキャリアに直接結びつくことはないかもしれないけれど、大学では興味を持ったことについて学んでみよう、と考えたのですね。

 大学で実際にシュルレアリスムや前衛と呼ばれる諸運動のことを学んでいくと、専門の先生の授業を受ける機会があったこともあり、やはり非常に刺激的でした。最初に興味を持ったマグリットなどの絵画のほかに、1924年に『シュルレアリスム宣言』を起草し、その運動の中心人物となっていった詩人・文学者のアンドレ・ブルトンのテクストも読んでいきました。

 たとえば代表作のひとつとされる『ナジャ』は、ブルトンが出会った女性とのあいだで起こった出来事の記述を中心に展開する作品です。シュルレアリスムグループの他のメンバーも登場し、彼らの当時の活動や日常生活も垣間見ることができます。読者がその世界に没入しながら読んでいくような通常の小説などとは異なる、シュルレアリスムならではのドキュメントタッチとでもいえばいいでしょうか、その現実とのかかわり方に魅かれていきました。

 学生時代は時間があったので、美術館にもよく足を運びました。シュルレアリスムの他にも、ダダイスム、そしてフランスからは少し離れますが、ロシアアヴァンギャルドの印刷物やポスターを見る機会があったのですが、そのタイポグラフィ(文字によるグラフィック・デザイン)ひとつとっても、社会に訴えかけようとするダイナミズムは強い現代性を帯びていて、いま見ても斬新なところがある。とても面白いな、と感じました。

 とはいえ、シュルレアリスム研究を続けることをすぐに決心したわけでもありません。大学院の修士課程へ進んだ時点では、フランス語をもっときちんと身につけたいとは思っていましたが、文学の研究をこの先も続けていくかどうかは決めていませんでした。その後の博士課程では三年間フランスのリヨンに留学し、現地の生活のなかで、色々な美術館に行ってみたり、これまであまり馴染みのなかった古典演劇の舞台にも触れ、その面白さに目が開かれるようなこともありました。そうしてだんだんと世界がひらかれていくなかで、文学作品に研究という方法でアプローチすることが、自分にとって必要な作業になっていったのかもしれません。

 研究を続ける中で徐々に着目するようになったのが、シュルレアリスムのテクストと、写真やイラスト、タイポグラフィといったビジュアル・イメージとの関係でした。テクストだけを読んでいるとわからないことがある、といいますか、当時の状況や制作過程を調べ、雑誌やビラなどの資料にあたっていくと、読者を巻き込もうとする彼らの活動の戦略のようなものが浮かび上がってくるところがあるんです。

 たとえば1924年から1929年まで運動グループの機関誌だった『シュルレアリスム革命』誌には、シュルレアリスムに特徴的な「夢の記述」と呼ばれるテクストのなかに、ウージェーヌ・アジェという写実的な作風で知られるフォトグラファーの写真を掲載している、というものがあります。

 通常、こうした文中の写真やイラストというものは、テクストの意味内容を補強したり、読者に納得してもらったりするために使われるものですが、これを見ても私たちはまったく納得できません(笑)。夢の写真などあるわけないわけですから。このように、シュルレアリスムの印刷物においては、むしろテクストに書いてあることと符合していなかったり、むしろ矛盾したりしているような写真やイラストが掲載されているわけです。

 『シュルレアリスム革命』第8号にも、アジェの写真が掲載されています。テクストのほうは、これもオートマティックな性質を帯びた幻想的な文章で、階段を映したアジェの写真とは直接の関係性がない。それでも、何かしらの共通点があるのかもしれない、比喩的な意味が込められているのかもしれない、と読者は居心地の悪い気分にさせられるのです。

 こうしたシュルレアリスムのテクストとイメージの関係性は、私たち読者に「一緒に考えましょう」と誘っているようです。送り手が伝達するメッセージをそのまま受け取るのではなく、読者は誌面を前に困惑し、何かしらの判断や態度決定を求められているような、そんな不思議な気持ちになるものなのです。

 現実と切り離されたものとして文学や芸術が存在するというのではなく、現実に不穏な形で侵入してきてしまう。そうしたシュルレアリスムのあり方に興味をもつようになり、アンドレ・ブルトンを起点にしてすこしずつ研究対象の時代をくだりながら、シュルレアリスムにおけるテクストとイメージについて考えてきました。

 今回のインタビューの後編でご紹介するのは、やがて1930年代に入り、第二次世界大戦を経て戦後に至る、新旧の世代にわたるシュルレアリスムの文学者たちの動向についてです。戦争という過酷な現実を前にして、シュルレアリスムはどのように変化していったのでしょうか。

 

 

論文

クリスチャン・ドートルモンの初期の詩学における言葉の物質性(2024/02/15)

クリスチャン・ドートルモンと「時代を通じたオブジェ」展──シュルレアリスム・オブジェの一形態(2023/11/15)

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